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see,look の違い?
see,lookの違いがピンときません。 see:視野にとらえる。 look:視線を向ける でよいのでしょうか? Look and see what is going on outside.という文は 外で起きてることに視線を向けてそして視野にとらえなさい。 という意味ですよね。See and look...とはいわないですよね? ということはlookには”視線を向ける”けど対象を捉えるという意味はなくて対象を捉えるのはseeの方なのでしょうか? look:”意識して見る”と習ったので混乱します。 アドバイス頂けると有難いです。
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>see:視野にとらえる。 look:視線を向ける でよいのでしょうか? lookとseeの最も中心になる意味は、次の(1)、(2)のようです。 (1)look:見ようとして注意を集中する。 日本語では「見える」「見る」などと訳されますが、ただ単に見ようとして注意を集中すること(これは、多くの場合、その方に目を向けて焦点を合わせようと努力することです)だけを言います。見ようとした結果(つまり、lookした結果)見えるかどうか、見るかどうかには関係ありません。つまり、見えるかどうか、見るかどうかについては何も言い表しません。 (2)see:(目に自然に入ってきて)見える。 lookの正反対です。注意を集中している感じは全くしませんが、確かに「目に入ってくる」「見える」ことです。 したがって、例えば、次の(3)のようです。 (3)I looked, but saw nothing.(見ようとしたが、何も見えなかった。) >Look and see what is going on outside.という文は 外で起きてることに視線を向けてそして視野にとらえなさい。 という意味ですよね。 御質問の文は、次の(4)のような意味です。 (4)外で起きていることを見ようとして注意を集中しなさい、そして確認しなさい。 ここでは、lookは(1)の「中心となる意味」のとおりですが、seeは(2)から少し転じて「見て確認する」という意味です。例えば、次の(5)のようです。 (5)I saw if the door was locked. (ドアにかぎがかかっているかどうか見て確かめた。) >See and look...とはいわないですよね? 言いません。言わない理由は、動作の順番が反対なので意味が次の(6)のようになるので言いたいことがよく分からないからです。文法的に間違いということではありません。 (6)外で起きていることを見て確認しなさい、そして見ようとしなさい。 >ということはlookには”視線を向ける”けど対象を捉えるという意味はなくて対象を捉えるのはseeの方なのでしょうか?look:”意識して見る”と習ったので混乱します。 意味の違いは、上に申し上げたとおりです。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 補足質問的お礼を読ませてもらいました. >単語を整理して分類しておいて使う段階になった時に個別にひっぱりだしてきて組み合わせても駄目だということ。 この単語は副詞です。と言われても、まったく英語習得には手伝っていないわけです。 だから? なぜそうだと分かるの? 先にも書いたように、何で締め出し食べた、がだめなのか。 学校文法では説明できないのです。 学校文法は単に「整理整頓」しているように見えるだけなのです。 使えるようには教えてくれないのです。 このカテで今では6年前と違って学校を卒業した人には「文法(学校文法のことです)的な説明を避けている人が多くなった」のです。 基本をしっかり身につければ良い、中学の英語をしっかり勉強しなおしてください、と言っているわけです。 もっと多読しなさい、もっと英語に接しなさい、とも言いますね。 そうする事によって、今回の様に知っていると思っている単語の一つ一つの使い方や意味合いが分かってくるからなのです。 こういうときの「みる」はこれ、こういうときの「みる」はこれ、でもこれはこういうときには「みる」という意味では使われていない、という事などを感じることが出来るわけです。 >どういう状況、ニュアンスの中でどんな意味をもってるかが大事なのですね? そうなんです。 どういうときに「見る」と言う漢字を使いどう言う時に「診る」と言う漢字を使うのか、フィーリングで感じているとは思いませんか? 私と言う意味のIをどんなときに俺になり、どんなときに拙者になるくらいならまだしも、わたしとわたくし、そして、どんなときに「私」をわたしとよみわたくしと読むのか誰も「整理整頓して」教えてはくれていないですね。 「整理整頓」されているように見えても「人間が感じることすべては文字には表せない」のです。 普段はわたくしなんて言わなくても、営業では「わたくしどもは」と言いますね。 同じ「わたし」でも、「わたしさぁあ」と言えば同じ「わたし」が含まれていても、「わたし」だけの表現とはフィーリングが違いますね。 この「わたし」がseeであり、lookであり、watchなのです。 >この感じでは毎日どっぷりと英語環境に浸かってないと満足に上達はしないし自然なやりとりなど10年かかっても無理だと直感しました。つまり独学では不可能なのだと悟りました。 なぜ、そう決め付けるのですか? 決まった先生がいない、と言う理由から独学と言うのであれば、書かれた表現に対して私は「そうじゃないですよ。」といいます。 しかし、自立的に、積極的に、そして、自分には向上する能力があるんだと言う自身を持って、英語を身につけなければだめなんだ、と言う理解であれば、「そうなんですよ。 少しづつ身につければいいことなんだからがんばってください」といいます。 私は6年間このカテで、日本にいたって英語を使えるようになる!!!!と言い続けています。 確かに40年近くいればできるようになるだろう、と言う人もいるでしょう。 私に言わせれば「まさか」なのです。 こちらで40年前に生まれた人がろくな英語表現も出来ない、誤解した理解をしている、と言う人はたくさんいます。 日本でも同じですね。 40歳の日本人のすべてが社会で通用する日本語を知っていたり、使っているとは思えません。 ただ私がいる社会ではアメリカ人よりも英語の理解をもたないと話しにならないという事を知らざるを得ないと言う自覚を深く持っています。 そして、試験のための英語教育と言う社会からまったくはなれたところで自分勝手にしかも客観的ともいえると思いますが、日本語表現を違う視点から見ていると言う境遇にもいるわけです。 これはこれで幸運だとはいえるでしょう。 しかし、決して私はこちらで住んでいるからと言う理由だけで今の私があるとは思っていません。 うぬぼれとか自慢とか言うのではなく、私は私なりに自分を向上させる以上の事をやってきたと思っています。 人に言い聞かせていることを言いながら自分ではしないのであれば誰も私のモチベーションも聞いてはくれないでしょうし、私の(普通の人では考えられない)きついトレーニングを信じてついてきてはくれないでしょう。 そして護身術の私が育ててきた指導員たちも人を殺す事をなんとも思っていない輩から命を狙われている事を必要悪なり本望としているのです。 狙われるくらいの実力を持たずして教えられない、手ごわいやつだと判断して狙ってくる輩に狙われても自分を守れる有無を言わせぬ実力を持て、と言う私の教えを伝えるにはそれなりの英語力は必要となるのです。 だからこそ死ぬまで向上させる自分を作ればいつどこでも英語力をつけることが出来る、と私は断言するのです。 そして、その土台を作ることを無視した、日本の英語教育ではその土台が作れるわけはない、という事なのです。 学校文法をよく記憶していて、辞書と同じような単語力を持っていても、使われている業界でフィーリングをあらわす英文が作れない、使えないという事が分からない、日本人が言っているんだから仕方ないなと相手は無理して理解してくれているのに気がつかない、と言うアリ地獄に落ちてしまう人が出てくるわけです。 まとめて覚えようとするのではなく、いつか使うだろうと思う文章を一つ一つ身につけていくのです。 今日出来ないから習得するのです。 出来ないからできるようにするのですね。 知らないことを集めてこれだけ知らないと言って自分に志望したって何の役に持ちませんよ。 いつもの医者に見てもらわなくてはならないみたいだ、と言う表現を、「してもらう」だからこれは使役動詞の表現だな、haveだったよな、そして、してもらう本人を目的語として持ってきて使役動詞だから動詞の原形をその後に使うんだ、みたいだはseemだっけ、なんて考えて文章を作ったってもうそれを伝えたい人は「寝てます」よ。 もしこの表現を知らなかったら、覚えてしまってください。 I think I have to see my doctor. このseeは今回の「疑問」の中にありますね。 そして、この日本語のフィーリングがある時にはこの簡単な7単語しかない表現を使ってください。 医者に行くべきかなぁ、であれば、Should I see my doctor? 弁護士に頼もうか?、だったら、これを応用すればいいのです。 Should I see a lawyer? つもの弁護士だったらShould I see my lawyer.似なるわけです。 考えずに自分でこれらのうちのひとつのフィーリングを頭に浮かべるのです。 おなかが痛いから、と言うのであれば、別に、このおなかが痛いから、と言う表現を英語にしなくたって良いのです。 痛そうな顔をしておなかをさすればいいのです。 それをやりながら、Maybe, I need to see a doctor.と言えばいいのです。 伝えようとするフィーリングとは文字だけではないですね。 ジェスチャーとは何か、と言う質問に答えられるよりも、そのジェスチャーを使えるようにした方が良いとは思いませんか? そして、それは難しいものであり10年もかかることですか? 40年経っても私はまだまだ習う事はある、と自分に断言しています。 なぜって知っていることの方が何をどうやっても知らないことの方より多いんですから「死ぬまで自分を向上できる」と私は言うわけです。 でも今日やらなければ死ぬまで一日分少なくなっちゃうよ、だから、今日からやれば言い、と私は言うわけです。 知らないことを追いかけないで、知る必要のあることひとつを今日しっかり身につけてください。 明日復習する必要はないのです。 だって、今日身につけてしまいましたよね。 そして、今日は、医者に診てももらわなくちゃ、と言うフィーリングはもう考えずに英語で出てきますね。 おなかが痛いから、はちゃんと顔つきとジェスチャーで出せますね。 優しい恋人に使えますね。 (逆に、このフィーリングを感じてもらってキスしてもらおうと言うフィーリングがあっても使えますね。<g> これを悪用と言う「応用」です) ではまたの機会に、
お礼
今の時点では参考書、辞書で調べようとよく知ってる人に聞こうと何をしようがしまいが英語をダイレクトに使いこなせる感覚は99%不可能と判断してますが、しかし中学英語(文法、英文解釈、単語、リスニング)を集中的に学んでみてからまたその時点で判断することにしました。可能、不可能の判断はそれからにしようと思います。 一年やって手応えがなければ同じこと何十年やってもだめだと思いますので。返信ありがとうございました。
- Ganbatteruyo
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アメリカに38年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 本当はこの質問何回も見ていたのです。 そして、どう書いたら私の言おうしている事が分かってくれるだろうか、と考えていました。 結局初めから言おうとした事を書く事にしました。 でも、あまり聞いたことのない説明のしかた、参考書に載っている説明とは合わない、よって、理解していただけるのは難しいかなと思うわけです。 しかし、6年前に書いていた事と結局同じなのですが、その頃に比べ英語を言葉として理解してくれる人が増えたので、今では多くの人が理解してくれていると感じます。 ですから、書きますね。 このカテでいつも思うのですが、xxxと言う(日本語の)単語を英語にするとどうなります?と言う質問をたまに見ます。 そうすると6年前と違って、その単語は使い方によって、状況によって変わってきます、と回答してくれる人が多くなりました。 自分としてはうれしいです。 日本語から英語の理解が深くなりその日本語の単語のを使うフィーリングによって家訳も変わってくる、という事が浸透したともいえるからなのです。 しかし、今回はどうでしょう。 「上に書いた言葉と言うものの理解」が英語から日本語には使われていないではないですか。 すみません、と言う日本語は、使い方によって、謝りたい時に使う時もあるし感謝する時もある、と言う理解は問題ない人が多くなったのですね。 しかし、seeは?lookは?watchは?となると、英和辞書になってしまうのです。 そしてその単語の意味を説明するわけですね。 これが悪いとか間違っていると私は言っているのではなく、英語習得の効率が悪い覚え方だ、と私は言いたいのです。 単語とは殆どの場合、99%くらいでしょうね、単語だけでは使わないのです、日本語の単語と同じように。 私も「単語は例文と一緒にして覚えなさい」と言う一人です。 そうする事で、「その単語が使われているフィーリング(意味合い)がその文章と言う「何を言いたいのか」を示しているものの一部として覚えられ、その文章で表現されているその単語の持つ意味合いを感じることが出来る」からなのですね。 これは殆どの人が理解できる日本語であるし、いいアドバイスとして定着しつつあると思います。 しかし、このアドバイスをうまく使わない限りこのアドバイスの役割が半減してしまうのです。 つまり、これらの三つの単語は、それぞれ使い方によって「引き出せる」意味合いが変わってくるのです。 そして、その使い方と言うものはすでに英語表現として「定着したものばかり」なのです。 look and seeと言えば、よく見て理解しろ、という事になり、watch your stepsと言えば、足元に気をつけて、となりますね。 Seeing is believingと言えば、百聞は一見にしかずと言うことわざに匹敵するわけですが、見れば信じられる、見るまで信じられない、という事ですね。 You should see a doctorといえば、ドクターに見てもらえよ、(あれっ、俺が見るんじゃないの? <g> 使役動詞はないね、なんで?) Watch tvテレビを見る looking good いいじゃん、かっこいいよ。 See? I told you. なっ、言っただろう? Did you see my girlfriend? 俺のガールフレンド見かけた? Did you meet my girlfriend? 俺のガールフレンドと会った? Were you watching my girlfriend? 俺のガールフレンドを見てただろう? Will you watch my baby tonight? 子守してくれる・ない? I'm glad to see you. (また)あえてうれしいです。 I'm glad to meet you. 会う機会が持ててうれしいです。 See you later じゃ、また I see your point 言いたいことは分かる。 I saw how you looked when you were watching her leave. (宿題) I was looking at you watching me seeing my girlfriend. (宿題) I was watching you seeing her off looking sad. (宿題) と言う風に勉強していくのが日本では普通ですね。 私は、アメリカ人が日本語の部分のフィーリングを持っているときにこういいますよ、と言います。 つまり、 よく見て理解しろ、と言いたいときにはlook and see 足元に気をつけて、と言いたいときには watch your steps 見るまで信じられない、と言いたいときにはSeeing is believing ドクターに見てもらえよ、と言いたいときにはYou should see a doctor テレビを見る、と言いたいときにはWatch tv いいじゃん、かっこいいよ、と言いたいときにはlooking good なっ、言っただろう?と言いたいときには See? I told you. 俺のガールフレンド見かけた?と言いたいときには Did you see my girlfriend? 俺のガールフレンドと会った?と言いたいときには Did you meet my girlfriend? 俺のガールフレンドを見てただろう?と言いたいときにはWere you watching my girlfriend? 子守してくれる・ない?と言いたいときにはWill you watch my baby tonight? (また)あえてうれしいです、と言いたいときにはI'm glad to see you. 会う機会が持ててうれしいです、と言いたいときにはI'm glad to meet you. じゃ、また、と言いたいときにはSee you later 言いたいことは分かる、と言いたいときにはI see your point と言い、この日本語を使うときのことを考えながら、自分がその台詞を言いたいときにこれの英文を言えるようにしておけば良い。と言うわけです。 そうすると、自然に、seeは?lookは?watchは?と辞書作りをやめる事になるのです。 そして、辞書ですらひとつのジャンルに分けることが出来ない、という事がYou will see.なのです。 辞書ですら出来ないひとつの説明を自分ではやっているという事に気がつき、こうだからこうだとはっきりいえない部分が多くあるという事を知るようになると思います。 すなわち、これらの表現方法を知っていれば、You should watch you doctorとは言わないし、You see good?とも言わない、 Will you see my baby tonight?と言われたら子守ではなくチェックしてくれない、と言っているらしいという事などになり、これらの表現ではほかの単語が使えない、という事が身につくわけです。 さっきも書いたのですが、締め出し食った、とは言うけど、締め出し食べた、とは言わないわけです。 そして、患者を診る、テレビを見る、お芝居を観る、などちゃんと日本語では「みる」を区別できるのは、別に、この診る・見る・観るがどういう「みかた」をするのかなんて考えずに感じを選択していますね。 分類すのではなく、フィーリング表現を覚えるのです。 こういうフィーリングを持ったときはこういう文章を使ってその中で使う単語はこの単語を使うんだ、と言う風に覚えるのです。 一つ一つ自分のものにしていくのです。 観察するのはxxxだ、注意深く見るのはxxxだと言う理解の仕方では、その表現自体を使う以外は、たとえばWatch your stepsという表現は、思い浮かべなくなってしまい、勝手に表現を作ってしまうわけです。 でもそれはネイティブが使う表現ではない可能性が高くなってしまうわけですね。 最近このカテでも一部この「分かってはもらえるだろうけどネイティブはまず言わないと言うような表現」が多く見られるようになってしまったのが残念と感じるしかないわけです。 でも日本語に直すと質問者が言っている事と同じように「見えるlook like」事になってしまうわけです。 単語の意味合いを覚えるのでは分類するのではなく、文章として本当に成り立つ使い方なのか(社会文法に沿っているのか)を使われているとおりに覚えていくとこの三つの単語を不自由なく使えるようになると思います。 You will see how these words are used. And you will not see their strange looks on their faces when they hear the way they use everyday in USA. So watch how they use these words and watch out the way you say. これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
返信ありがとうございます。 単語を整理して分類しておいて使う段階になった時に個別にひっぱりだしてきて組み合わせても駄目だということ。どういう状況、ニュアンスの中でどんな意味をもってるかが大事なのですね? この感じでは毎日どっぷりと英語環境に浸かってないと満足に上達はしないし自然なやりとりなど10年かかっても無理だと直感しました。 つまり独学では不可能なのだと悟りました。
- carolinablue
- ベストアンサー率33% (158/471)
Look and see what is going on outside. この文での「see」はどちらかというと「理解しなさい」という意味です。 「外で何が起きているのか見て把握しなさい」というような意味です。 「See」には「見る」や「見える」以外にも「わかる」や「理解する」や「把握する」というような意味もあります。 また他の方も仰っているように「見る」と訳す「Look」と「See」は厳密には違う意味をもちます。 「See」は、五感の一つとして見る。つまり視界に入るので見えてしまう。見ようとして見ているわけではなく、見えている状態です。 「Look」は自分の意思でその目的物へ視線を自ら向けて見る状態をさします。
お礼
返信ありがとうございます。 lookは意識的に視覚上で認識する。 seeは視覚上で認識し理解や把握するところまで踏み込むということでしょうか。
- Parismadam
- ベストアンサー率65% (2756/4211)
こんにちは。3/27のご質問ではお返事を有難うございました。 一般には see:意識しないで見る=視野に入ってくる look:意識して見る=視野に入れる watch:注意してよく見る、観察する といった違いはありますが、ここでは lookは「見る」 seeは「理解する」 の意味で用いられているようです。 例文の意味は (直訳)「外で何が起こっているか見て、理解せよ」 →(意訳)「外で何が起こっているか目で見て、頭で理解せよ」 となります。 ご参考までに。
お礼
返信ありがとうございます。 seeという動詞はは視覚に入ったものがどういう内容なのかまで踏み込む感じなのですね。
- thepianoman
- ベストアンサー率39% (863/2160)
覚えておくと便利な比較を一つ。 watch 見える hear 聞こえる これに対し、 look 注意深く見る listen 聴く
お礼
見る、聞くで単語が数種類あり難しいです。いろんな状況でいろんな文章にふれてみようと思います。 返信ありがとうございました。
- xs200
- ベストアンサー率47% (559/1173)
seeは見る気もないのに視野にはいってしまう lookは見るという意識を持って見る = intend to see ですから教わったとおりでいいです。 ついでに watchはlook at it quite intenselyです。
お礼
返信ありがとうございます。 see<look<watchの順に意識的に確認しようとの意味合いが強くなるのでしょうかね。
- ANASTASIAK
- ベストアンサー率19% (658/3306)
>look:”意識して見る”と習ったので混乱します。 look=「視線を向ける」で間違いではないですが、 対比的にはglance「ぼんやりと見る、いちべつする」と 区別されます。lookの原義は「注意して見る」という ような意味です。looking-glass とかlook out of window は何か注意を引くものがあってそこに視線を向けるわけです。 対して、seeは日本語で「見る」という訳が与えれれていますが 見て認識することをいいます。Seeing is believingはこの例です。 Let me seeというのは単に見せてというだけでなく、それを見て 判断する意味を含んでいます。
お礼
度々恐縮です。 ということはlookは”何か注意を引くものがあってそこに視線を向ける”けどみようとする対象が何であるかということまでは踏み込んでないということでしょうか?(何か気になるのでその方向、場所に視線を向けた?)それに対しseeはそれが何であるかを認識するというところまで踏み込んでると考えてよいでしょうか?
- Carlos777
- ベストアンサー率26% (61/231)
改めて考えてみると確かに難しいですが、お考えの通りでいいのでは ないでしょうか。 See:見える、目に入ってくる。(視野に入る) Look:意識して見る。(視線を向ける) 質問の例文ですが、外で起きていることは多分動いていることだと 思いますので、Look outside and watch what is going onでも良いのかと思いました。ただ、watch what....はあまりネイティブの人は 使わないような気もします。 私より専門家の人の回答も待ちましょう。
お礼
返信ありがとうございました。 NHKのイメージ単語(正式な題名は忘れました。歌手の紅さんがでてた番組。現在は本にもなってます)をみて混乱したのです。
お礼
look: >lookした結果、見るかどうかには関係ありません. see: >「目に入ってくる」「見える」 この感じを教えてほしくてこの質問投稿したのでした。 よくわかりすっきりしました。 返信ありがとうございました。