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「数」(かず)の概念と人間の思考
今年から小学1年生になる子供がいます。 新1年生らしく、毎日学校から帰ると「ゲーム」か「お絵かき」、 あきて来ると勉強をしています。いきなり勉強するをしだす事もあり、 親としては少し嬉しかったりして、ほのぼのする毎日です。 (父親の私は自営業なので、常に顔を会わせていますが・・) 毎日少しだけ時間を作って、学習する時間を子供と一緒に 過ごすようにしています。(出来ない時もありますが・・) 1年生から「塾」もなんなので某通信添削をしています。 そこで最近のいろんな問題に触れるのですが、ナカナカ問題が よく出来ているように思えます。 例えば、いきなり「1+1」を教えるのでは無く、「絵の中のゾウさんはいくつ?」と言うような問題です。 大人からすれば何でも無いのですが(当たり前ですね)子供の目線から 言うと、凄くステップ・アップ出来るように組まれています。 自分も昔はこんな勉強してたんだな~と思うのですが。。 そこでふと不思議に思ったのですが、人間は「数」を認識する脳の分野は、「他の文物」を認識する分野とは明らかに違う分野なのでしょうか? 又、親でも、解っていても「算数」は上手く教えられない時があります。そんな時はどのように子供とアプローチするのがベターなのでしょうか? ※けして「教育パパ・ママ」ではありません。 ただ、6歳くらいの子供達はどんな思考でものを考えているのか? に興味があります。 日頃のスキンシップ+アルファとして参考にしたいと思っています。 宜しくお願いします。
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ーーー 拝読しまして。 #1<数の概念> #2<数の概念を御子息どう共有するか> #3<親と子の人間関係> #1は当方の手に余る事項であり、また御質問の主旨を#2#3と解釈して、取りとめも無い話または一方的議論になることを、ご了承下されば幸いです。 また、メンテの時間に書いたため、今再読すると一番下の事項には触れていませんでした。回答を思いついたら再RESしたいと思っています。 貴殿の主旨とは明白なズレがあります。お詫びいたします。 取りあえず書いた部分だけ、投稿させて頂きます。 ーーー #10本論 御子息に<直接的>な<学科内容>に触れるのは<芳しくない>ない。が当方の持論です、あくまで持論であり当方の心の中にだけ存在している事柄のため、誰にも話したことがなく活字にしたこともありません。しかるに今回の御投稿は貴殿の人柄良さを偲ばせ、また温かみを感じましたので、書いて見ようと思いました。 <芳しくない>理由として、生徒が学校で学ぶ前に<知ってしまうと>生徒が授業に対し<興味が薄れ>しいては最悪の場合<学校自身に興味が薄れ>・・・。これは現実に起きる現象です。 付随事項として、スーパー等で主婦が<教師批判>を<余暇>として楽しむCASEが多々見受けられます。それで留まっていれば問題はありません。問題なのは<教師批判を生徒の前で展開させる事です。>如何に不満があろうとも、<生徒自身の教師不信/教師批判>につながり、<学校が荒れる>原因となります。これもまた現実に起きる現象です。余りにも古い話ではありますが、村長/先生ではなく、村長様/先生様とする、一歩譲って師の影を踏まず、という時代がありました。良し悪しは別として、一面の真理を内包するとかんじております。ただし、最近NEWSで伝えられる極端な教師の場合は全く別の話となります。 では<間接的>に<授業>と重ならぬ様に御子息と知識を共有するための方法論は CASE BY CASE であり、一様には定まりません。これに関しましては、当方が採用した方法を記述しますが、あくまで<参考>として受けとって下されば、幸いです。 ーーー #20 <ご参考内容> 当方の子供は、性別女2名です。多くの場合、男親の存在は小学校高学年になると、無視されるのが悲しい事に現実です。これを承知していましたので、その時点では無関心を装い、日常生活の会話に留めました。 特に子供に期待する<自分の夢を託す>思いはなく、可能なら普通の人間関係を築いてくれればOK(充分)としておりました。 しかしながら、小学校に入学した途端に学習が上手く行かなくなるCASEがある事のみ懸念しました。(結果として、人間関係が築けなくなってしまうからです。) 如何に聡明な生徒といえどもでも、いつかは挫折するため少しでも、それを遅らせれば上手く行くと社会に出てしまえば何とかなるとの思いです。 国語力、算数力は全ての教科の基本であることから、この点に的をしぼりました。 算数に関しては、思いつく限りのGAME、GAMBLE(若干危険性をともないますが)をしました。実際にはかなりの重労働です。具体的には、トランプ・花札・カブ・オセロ・麻雀・どんじゃら・将棋・旗源平あげくのはてには、チンチロリン・・・。特にトランプの中には、四則(加減乗除)はおろか、<負の数>の概念まで含まれます。算数(数学)では概念さへ把握されれば、あとはどうにでもなります。よって、一度として+、-の記号は使用しておりません。+、-、×、÷の表記は。<約束ごと>に過ぎず、授業で充分理解出来るはずですので。 余談ですが、入学後はセガマレテ遊びましたが、口惜しいことに、子供の理解力/知識を得る能力は、指数関数・幾何級数・S字曲線的発達をするため大人は直ぐに追い越されます。オセロはとうとう勝てなくなり、<もうしない>となりました。 国語に関しては、いまでもあるはずの<ノンタンシリーズ>を膝の上で100回は読み聞かせました。当然ながら最初は<ひらがな>もよめず、<50音>を順に認識して行き最後は、自分で読めるように成りました。この過程で上記の現象が起こり、当方は暗記不可能でしたが、子供は初期の段階から暗記可能でした。国語に関しては低学年まで続き、様々な童話を読み聞かせる羽目になりました。因みに原理は不明ですが<ノンタン>は一種<詩の形式>で不思議な魅力があるようです。 #30 最後に子供の<可愛さ>について若干記載して締めます。 誰の言葉か思い出せませんが、 <子供は3歳までに、親に充分な恩返しをしており、それ以上は求むべきでは無い> 誠に以って、その通りであり身にしみております。 終わります。 ーーー
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#1さんの造詣にはとても及びません。以下は単なる雑感です。 >人間は「数」を認識する脳の分野は、「他の文物」を認識する分野とは明らかに違う分野なのでしょうか? 個人的には同じだと思っています。というのは、私は技術系の職にいるので、計算はよく行います。計算を行う際には、結局は「掛け算九九」と、無視されがちですが「足し算九九」、それに「位取り記法」のトリックを使います。ここでトリックと言ったのは、以上の方法を使用すれば、数の意味を全く考えなくても正しい答えを必ず出せるからです。100と書いたとき、本当に「1」を100個書いて、その意味に思いを馳せる事はありません。でも以上の方法を安心して使います。 この安心感がどこから来ているのかと自問自答した時、「掛け算九九」と「足し算九九」の証明にあると思いました。正確に言うと、それらに対する数学的証明はないのですが、ここで言う証明とは、それらの数表を指折り数えて確認する、確認行為の事です。九九は数学における代表的な暗記物ですが、九九を使用する度に、この確認行為を無意識に行っていると思いました。意味を抜きにした手順を覚える事と、手順を使う度にその意味を再発見する事、この繰り返しが数学の学習ではないかと思います。理想的に行えれば、これによって数学が体に染み込みます。 「百読すれば、意、自ずから通ず」という言葉がありますが、言い当て妙ではあります。また受験において、効率良い解き方だけを繰り返し反復練習させるのも、その観点からは正当化できるとは思っています。ただし数学の了解については、効率は最悪かもしれません。意味を訪ねないからです。 意味の訪ね方は、強制的なものでは駄目だと思っています。だから、勉強中に話し相手になってくれる親のいることは、とてもうらやましい環境です。私はそうでありませんでした。じつは昔、数学が不得手でした。 現在私には、高校卒業間近の息子がいます。親の影響か、小・中の頃は数学が得意だったようですが、高校で何か壁に当たったようで(よくある話ですが)、現在美大志望です。この間私は、質問を受けたときに、できるだけ話し相手になるようにしました。美大志望である事にも反対はしていません。意味の訪ね方は、強制的では駄目だと思っているからです。 最後に国語についてですが、またも体育会系の発言で申し訳ありませんが、国語力アップのためには、「どんな下らない小説でもいいから、とにかく本読め」が信条です。これだけは上手くいったようで、息子は私の本棚から、隆慶一郎やジャック・ヒギンズなんかを引っ張り出して読んでいました。国語だけは、入試でも大丈夫そうです。
お礼
回答ありがとうございます。 「数学」は小学校~高校までは「数学」ではない! と何処かで目にした事があります。本当の「数学」は大学で 専攻するが院レベルでないと解らないような「学問」とも書いてありました。そこに通じるものがありますね。 >ただし数学の了解については、効率は最悪かもしれません。意味を訪ねないからです。・・ >国語力アップのためには、「どんな下らない小説でもいいから、とにかく本読め」が信条です。 全く同感です。僕も昔、推理小説から「本好き」になった経緯があります。「活字中毒」になればシメたものですね~。 有意義な回答をありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 <直接的>な<学科内容>に触れるのは<芳しくない>ない・・ ですか~。これを見た時、私自身「ハッ」としました。 「親」とは我が子になると「盲目」ですね。。 国語の<ノンタンシリーズ>は私も知っています。 参考にさせて頂きます。 <子供は3歳までに、親に充分な恩返しをしており、それ以上は求むべきでは無い> 本当ですね。しみじみ思いました。 本当にありがとうございました。