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共時性 夢枕
何年も前、一人暮らしの祖母が倒れて急逝したときのことです。 亡くなる一週間前から当日にかけて、祖母の娘であるわたしの母、 孫であるわたしと妹、祖母の息子の妻が、祖母の死を暗示する変わった夢を見ました。わたしは火葬場を暗示する夢、妹は葬式のような夢、叔母は祖母の息子である亡くなった夫が背広を着てどこかへ行く夢、母は白装束の祖母が自分を見下ろしている夢です。 祖母は高齢でしたが、元気に一人暮らしをしていました。わたくしどもは遠方に住んでいて、母は二月に一度ほど訪ねていましたが、孫であるわたしたちは10年も会っていませんでした。(ちなみに霊感・オカルトなどまったく無縁の家族です。) その後ユングに共時性という考えがあることを知り、一応名前は付けられたように思いました。 しかし、今ひとつ、この出来事が自分の中でこなせていません。 自分の夢の内容からは、死ぬ前に別れをつげに来たとは思えません。 ただ死を予知している夢だった、と思うことができるだけです。 祖母との心のつながりがそれほど深かったようには思っていません。 共時性という名がついた、それだけ。という感じです。 それだけ、でいいのでしょうか。人間の無意識は広くつながっているんだなあと。 あいまいな質問なのですが、この出来事から何かを得ることができるとしたら、それは何でしょうか。
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確かに予知的な夢はあるようですが、しかし、その正体は#2さんおっしゃるように偶然と解釈すべきだろうと思います。 ただ、亡くなられた方が、 ・一人暮らしである ・老齢である ・夢を見たのが親類の方である などという点を考慮すると、そこにはある程度の必然性さえ垣間見えます。 また、このようなことは誰かが言い出すと、 「そういえば自分もそれらしい夢を見たような【気がする】」という心理になるものです。 自分だけ取り残されるのは何か釈然としない、というわけです。 嘘をつくのとはちょっと違いますが、そういう気になってしまうことも良くあるということです。 tabataba3さんがご覧になった夢が祖母の方の死を予知していたということではなく、 ご老齢の一人暮らしということで、その可能性を懸念する気持ちが存在していた、ということだろうと思います。 いつも心配し続けるわけにはいきませんから、その懸念は無意識領域に格納されていたことでしょう。 夢は睡眠中における無意識の顕現ですから、死に関連する夢を見ても不思議ではありません。 他の方もおそらく、亡くなった時以前にも同様に解釈できるような夢は何回かご覧になっているように思います。 ただ、実際に亡くなった時でないと、関連性が薄いため忘れ去られるということでしょう。 ユングが共時性(シンクロニシティ)を唱えたのは彼の晩年でした。 オカルトチックという評価は免れていないようです。
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人間の無意識の大きさですね。そう考えるのが一番納得いきます。 ただ、もうひとつの考えとしては、もしおばあさんが急逝しなかった場合、各人がそのような夢を見たとしても、それを報告することもなく、忘れ去られたことでしょう。夢と現実がつながったので、印象に深いのです。そういう「間違い」が今までもなかったとはいえないわけです。
お礼
なるほど、人間の無意識が大きいから現実に起こったことに即するような夢を見(てそれを心に留め)た、のではなく、祖母の死が無意識のつながり、広がりを教えてくれた、というわけですね。 同じことのようで、見方を変えると納得できるような気がします。 ご教示ありがとうございました。
- Pianoia
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あなたが求めている答えは、「あなたが何を信じているか?」によって変わってくるのではないでしょうか。 あなたがオカルト的なものを信じているのなら、あなた方のご家族(特に女性)に霊感のようなものが受け継がれている。 また、あなたが非科学的と呼ばれるものを信じていないなら、それはあなた方ご家族が偶然に同時期に見た夢(こんな夢を見たと、誰かに話されてから他の人が見たのならその可能性はおおきくなります。)として片づけてよいのではないでしょうか。 あなたがここに相談されているのは、半信半疑だからなのではないでしょうか? 無理に答えを出す必要はありません。半信半疑のまま、いつかその答えが出るであろう事を期待しながら過ごしてみてはいかがでしょうか。
お礼
こんな奇妙な質問に、ご回答ありがとうございます。 夢のことについては、葬式の時に初めて互いに知りました。 オカルト的なことは存在しない、とは思っていませんが、 霊感は自分にはない、と思っています。 共時性、という概念自体、オカルティックなものかもしれませんが。 ただ、ユングが共時性、という概念を提出したのは、 ただそういう現象に名前をつけただけだったのでしょうか。 それとも、それによって何らかの意味づけ、その人にとっての意味づけができると考えたのか、それが知りたいと思います。 無意識での人間のつながり、ということから、そこからは自分で意味を考えなさい、ということでしたら、まさにご回答のとおりですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 互いに言い合っているうちに……ということは、状況からあまり考えられないのです。皆でいっしょに、というより、ぽつりぽつりとだれかに話した、という状況でした。妹にいたっては海外旅行中で、他の人の話は知らないのに、帰るなり、当日の朝に強烈な夢を見た、と言ったのです。 またわたしも、これまでに何度か非常に印象深い夢を見てそれは今でも覚えていますが、中でも忘れがたい夢で、火葬場に行ったときはじめて(火葬場にはそれまで行ったことがありませんでした)、「ああ、このことだったんだ」、と深く納得するような類の夢でした。日常的に見ているが解釈せずに忘れてしまうような夢ではなかったのです。 (直径十メートルくらいの円形のコンクリートが流してある場所がいくつもあり、それぞれで大きな炎が上がっている、そのうちの一つの炎の中に白装束の老人が座って燃えている、しかし老人の顔には苦痛は感じられない、というものでした。) こうした体験は、人間の心が無意識の次元でつながっていることを指す、というと自分にとっての意味が見えてこないのですが、 No.2で回答してくださった方のご指摘のように、 無意識の次元でのつながりがこうした出来事によって垣間見られる、というより、祖母の死が垣間見せてくれた、と解釈するとわたしにとっての意味づけとして納得できるような気がします。 ユングの記述を直接読んではいないのですが、共時性という考えがこのような形でその人にとっての意味づけの助けをしてくれるものでしたら、オカルトで片付けることもないのでは、と考えさせられました。 と独善的な考えをしてしまっていますが、 ご教示くださったことの意味もよく考えて見ます。 ありがとうございました。
補足
自分の思うようにしか思えない、というのが意識の限界のようですね。 1.無意識が表層意識では感じ取れないヒントを積み重ねた結果だった 2.無意識は常にさまざまなものを蓄えており、現実に応じて表層意識がそれを汲み取って整合的に解釈した結果だった。 3.集合的無意識というものがあり、現実の出来事によって集合的無意識が開かれた。 これのどれかだ、ということを、皆様が回答してくださったことから、考えることができました。どれを選んでも、意識がそう思いたいからだ、と言ってしまうことができる、ということにも思い至ることができました。ご教示、ありがとうございました。 (どの回答も同じくらい参考になりました。)