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警察官の銃器

帝国陸軍が存在した時代は、警察官は拳銃をもてなかったのでしょうか。だから帯剣しているのでしょうか。 また、西南戦争で出征した警察官も武装できなかったのでしょうか。

みんなの回答

noname#26663
noname#26663
回答No.3

明回答が出揃ったようです。 戦前の警察官は、十四年式南部拳銃やブローニング自動拳銃が主であったようです。 当時、華族は拳銃を所持出来たようです。車も免許制度が無い状態であったようです。 また、軍隊の将校は拳銃は自費購入であり、高価な十四年式南部拳銃は高嶺の花であったようです。 警察官に携帯拳銃が導入されたのは大正時代であったようです。 大正12年に拳銃の携行が可となります。 http://homepage2.nifty.com/friedrich/Police/History/History.htm ここの最後に、サーベルは警棒の代わりのような記載があります。 現在では、 機動隊の盾を相手のつま先に叩き込むような「防衛的攻撃」が主であるようです。(眼より最も遠いと言う格闘術。) しかし、うずくまるような痛みだそうです。^○^ かつては防衛と言う思想は無く、攻撃が防御であったようです。 取調べ室では、指を鉛筆で捻り上げ、つい、折っちゃったり、 自白しないのでガンガンやったら気を失っちゃったとか、 偽の証言者を作っちゃったり、 国家権力の下、やりたい放題であったようです。

noname#32495
質問者

お礼

やはり戦前から拳銃持っていましたか。基本的には、軍に持たせるのに精一杯だということがあるようですね。機動隊の戦術は知りませんでした。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.2

戦前は警察に拳銃は、単にぜいたく品です。(そもそも拳銃って戦闘力ないし)サーベルも日本刀の焼き直しが多く、安く作れたという理由があります。ただし西南の役の時抜刀隊には日本刀を持たせたようです。西南戦争時は警察官も小銃を使っていたようですし、警察官という枠組みの中で(むしろそこを少しはみ出して)持たせるだけの武器はもたせていたと見るべきでしょう。戦後警察に拳銃を持たせたのは、国内に多くの拳銃や弾薬があったのも一因です。

noname#32495
質問者

お礼

戦後の理由はそういうところだったのですか。結局警官には持たせる銃器はないという雰囲気だったのですね。西南戦争は特例ですかね。

noname#49020
noname#49020
回答No.1

 昔、軍と警察の仕事が競合しているところがあって、その力関係が軍の方が優勢であった。それが警察官の武装にも影響していたことはないか・・・というご質問と解しましたので、そのつもりで回答させていただきます(的外れだったらごめんなさい)。  たしかに軍隊と警察の仕事は一部競合しているところがありました。明治維新以前には、時代が古くなれば古くなるほど、両者は混然としていたといえると思います。  戦前の軍と警察の力関係については、ゴーストップ事件などにも見られますように、下級兵士の間にも軍隊優位の意識が存在していたように思います。  また、武力は当然のこととして、政治力も圧倒的に軍が優勢でした。  これはその歴史的な成り立ちから考えて(出発点は、軍の一部が国内の治安を担う)当然のことで、現在のどこの国でも武力、政治力は軍優勢になっていることは、ご承知のとおりです(日本を除いては)。  さて、力関係は圧倒的に軍優勢でしたが、軍と警察の仕事の役割分担は、明確化されていました。  警察は維新当初には、兵部省(陸軍)に属していましたが、すぐに司法省に移され(のち大部分が内務省)、西南の役当時は形の上では軍から独立していました。  この時点からは、組織的にも仕事的にも分離は明確化されていたと思いますが、力や格は問題なく軍にあり、警察トップの川路利良が警視庁巡査(警視隊)で編成された別動第3旅団の旅団長(陸軍少将)として九州を転戦したことでもわかるように、警察が軍の下風に立っていたことは明らかです。  その他憲兵の存在など(民間人も捕まえることができた)のように、接点では一部ややこしげなところはありますが、軍と警察の住み分けは十分に出来ていたと思います。  そこで、なぜ帯剣(サーベル)だけであったかということですが、これは幕末からの武士の遺風と西洋の影響とお金の関係だと思います。  警察官は民を取り締まるために威厳を示す必要があります。また警察官は失業下級士族の有力な再就職先でもありました。  警察官(羅卒)の服装は欧米を見習い洋装でした。こういうことで、なにか腰にぶら下げるものが必要ですが、安くて軽く服装にもマッチするサーベルになったのだろうと想像します。  ピストルは昔は高かっただろうと思いますし、腰にぶら下げても威厳がありません。  維新以前は、官軍以外は皆和装のように思いますが、佐幕側の各藩の軍隊も結構洋装化が進んでいました。明治初期の官員、軍隊は皆洋装で、洋服を着た人はエライ人(元武士)という印象を、庶民は皆持っていたと思います。  昔の庶民は、洋装で腰に刀のようなものをぶら下げている人には、ヘイコラしたと思いますし、高い日本刀やピストルよりも、いろいろな点で好都合だと、当時の政府は考えたんだろうと思います。  なお、サーベルについて、旧陸軍士官のもっていたものを手にとって見たことがありますが、軽くて腰に吊るすのには好都合ですが、戦力的には、とても日本刀や槍に対抗できるものではありません(棍棒にも負ける)。  それから、西南の役での別働第三旅団や抜刀隊について、元会津士族もいたりして(薩摩士族もいた)元武士の人が多く、薩兵の抜刀白刃攻撃に対しては、ひるむことなく強かったと聞いています(鎮台兵は百姓上がりが多いから逃げたとの話がある)。  警視抜刀隊はその性格上、近代兵器は多く持たされていなかったでしょうが、それは差別とか、そういうものではなかったと思います。  警察官の西南の役への参加について、彼等の中には旧会津士族など佐幕側の旧武士が多く、薩摩に対しては恨み骨髄だからよく働くだろうという見込みはあったかも知れませんが、旧佐幕の者共だから武器もロクに持たせずに、という話は聞いていません。  まあ、結論として、軍と警察の武器の差は、純粋に仕事の目的による差だと思いますね。  戦後はピストルを持つようになりましたが、これはアメリカの指導によるものだと聞いています。米国はサムライの遺風の気配がある前時代的なものを嫌い、実用的なピストルに変えたかったんでしょう。(以上は「制服を着た警察官」についての話です。署には小火器はありました。私服も必要なときはピストルを懐に。) 

noname#32495
質問者

お礼

警察は軍の下に置かれるような雰囲気があったということはなんとなく知っていました。帯剣は銃器を持たない警察官の威厳を保つにはいいのかもしれないですね。しかし、役に立たないのですね。

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