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日独伊軍事同盟について
日独伊軍事同盟が結ばれた時は、各国の国民はこのことは知っていたのでしょうか? また、各国でこの条約に反対する勢力はあったのでしょうか? ぜひお教え下さいませ。
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勿論、各国の国民は知っていました。 日本においては主に独伊両国の海軍戦力が貧弱であり、それと同盟することによって、強大な海軍力を有するイギリスを完全に敵に回してしまうことから、海軍を中心に反対勢力がありました。 特に山本五十六、井上成美、米内光政の三人は「反対三羽ガラス」と揶揄される程に猛反対し、陸軍でも石原完爾、閣内では吉田海軍大臣、石黒農林大臣など、反対意見を唱える要人は少なくありませんでした。 しかし当時の日本ではマスコミや一般世論も含めて大多数がフランスを屈服させたばかりのドイツの勝利に幻惑され、ドイツやイタリアの力でイギリスやアメリカを牽制すると言う方向に傾き三国軍事同盟の方向へ向かってしまいます。
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noname#74443
回答No.1
知っていた。 日本では三国軍事同盟を祝う提灯行列が各地で行われたはず。 既に三国ともナチス、ファシズム、天皇制軍事警察国家が圧倒的な支配を確立していたので、反対勢力と言えるまでの力はなかった。 独伊ではパルチザンなどが地下活動、日本国内では戦争に反対していた共産党幹部は投獄されていた。 新聞は政府の提灯記事か書かなかったし、ラジオは国営放送だった。