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日独伊三国同盟とは?
- 日独伊三国同盟は第二次世界大戦前の同盟関係です。
- 日本とドイツは密接な関係を持ち、ドイツからの技術提供などを受けました。
- しかし、イタリアの同盟には疑問が残りました。イタリアは何のために仲間になったのか理解できませんでした。
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結果的に見れば ドイツ側からすれば日本を同盟国にしたことによって生じたデメリットの方がはるかに高いですね まず言わずと知れたアメリカを戦争に引きずり込んだこと 第二にドイツにとり重要戦略資源である鉱物が日本と同盟したことにより途絶したこと 戦車の装甲に重要なニッケルの殆どをドイツはアメリカから輸入していた 戦車の高速徹甲弾に重要なタングステンの殆どをドイツは中国から輸入していた イタリアとの同盟がなかったならヒトラーはオーストリアを併合できなかったのは明らか 戦前オーストリアのドルフス政権は権威主義的政権でありながら東中央諸国で随一の反ナチス政策をとり その後ろ盾にイタリアがいた イタリアはオーストリア、ハンガリーとローマ議定書を交わしフランス支持下の小協商国チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビアに対抗するとともに ナチス・ドイツに対する牽制も重要な目的だった ナチスはドルフスを暗殺し親ナチス政権を建て併合を目論むクーデターを企てるが ドルフスの暗殺に成功するものの後継者シュシュニクが素早く建て直しイタリアの支援を乞いイタリア軍がオーストリア国境まで出兵して ドイツのオーストリア併合は阻止され、シュシュニクは当然の如く大量の処刑追放を伴う徹底したナチス弾圧を行った スペイン内乱介入で独伊が和解しイタリアが容認したためナチスドイツのオーストリア併合は可能になった 確かにイタリアは余計な戦域拡大を行ったものの 一方でイタリア海軍特殊部隊のデ・ラ・ペンネ大尉率いる数人のアレキサンドリア港での英海軍戦艦2隻を大破着底させる活躍なければ ロンメル将軍の1942年の第二次攻勢は完全に不可能だった この戦艦が長期に渡り行動不能となり英海軍地中海艦隊の大型艦は巡洋艦1隻のみとなり 枢軸国の北アフリカへの補給が容易に可能になったためロンメルの攻勢が可能になったのは明白です
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- あずき なな(@azuki-7)
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ヒトラー 東条英機 ムッソリーニ あぽ~ん
お礼
独裁者の末路は哀れです。 ヒットラー 自殺。 東条 ”死して虜囚の辱めを受けず”と多くの兵を自決させながら、 てめえは自決に失敗。A級戦犯として、銃殺ならまだしも 絞首刑。 ムッソリーニ 民衆になぶり殺しにされ、棒の先に逆さ吊りにされている 映像を見たことがあります。 結局、独裁者はあぽ~んで正解かと。 回答ありがとうございました。
イタリアとしてはサヴォイア、ニースなどの「未回収のイタリア」を取り戻そうという目論見があったのかも。 また、当時イタリアは世界有数の海軍を有していました。 まあ、実戦では艦船は航空機に致命的に弱かったのですが・・
お礼
小学校5~6年生の子供たちが遊んでると、中に 小さい弟を連れてきて「一緒に遊んでやってと」 なります。 鬼ごっこなどをしても弟は足が遅いから すぐに捕まる。といってオニをさせると大きい子は 早いからなかなか捕まえられない。これではみんなが おもしろくないので、小さい子を”パン”と呼んで 捕まってもオニにならなくてもいいし、といって 無視せず適当に捕まえて、一緒になって走りまわってました。 なんかイタリアってこんな感じだったんですかね。 回答ありがとうございました。
- eroero1919
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>日独に何かメリットはあったんですか。 別に(エリカ様風)。お互いに「なんか向こうがこっちのプラスになってくれるようなことをしてくれればいいなあ」と勝手に期待していただけです。潜水艦で細々と技術供与をしたくらいで、実際はその技術供与も戦争に影響を与えるほどのこともありませんでした。原爆の燃料を積んだUボートが日本に向かったという話は有名ですが、仮にそれが日本に着いたとしても、当時の日本では原爆を完成させる技術はまったくありませんでした。 >やけになってギリシャに攻め込んで 我らがムッソリーニ閣下の名誉のためにいいますが、ヤケなんて失礼なことをいってはいけません。イタリア軍は兵力でも装備でもギリシャ軍より優れていたのですよ。だけど、えーとなんだ、その、なんというか、向かい風が強くて前に進めなかっただけの話です。追い風が吹いていたらアテネまで一直線でしたよ(キリッ >同盟国イタリアはどういう存在だったのですか まあ日本やドイツに比べたら人的損害が小さかったのですから。攻撃はへっぴり腰だから敵兵をあんまり殺さないし、大量の捕虜を出すからこっちも人的損害が小さいし、なんだその、無益な殺し合いはしないってことですよ。 イタリア戦線に参加したアメリカ軍の従軍記者は、武装解除したイタリア兵が(家に帰れるので)歌を陽気に歌いながら山を下っていくその横で(まだドイツ軍相手の戦争が続く)アメリカ兵が沈痛な面持ちでノロノロと山をあがっていく様を見て「どっちが勝った国なんだろう」と思ったそうですよ。
お礼
ムッソリーニの娘が来日して、駅のホームにいると お父さんの名前を連呼する者がいるという。 駅弁売りが「弁当~、ベント~」 弁当・ムッソリーニ、ベントー・ムッソリーニ、 ベニート・ムッソリーニというオチです。 これは昔、巨泉のクイズダービーの問題で出てたので 本当の話だと思います。 これはつまり、そのー、まあ 何というか、いわゆるところの、けっきょく~あの~ はやい話が(ひとつも早いことないがな)そういうことです。 回答ありがとうございました。
- hgg83474
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当時のイタリアは一応ヨーロッパでは雑多な小国が多い中では有力国の一つでした。 自前でフランスやドイツに比肩するほどの大型の艦船も多数保有しており、 陸軍においても国産戦車で機械化された部隊を有していました。 実際には同じドイツの同盟国であるハンガリーやルーマニアより若干まし程度で、 ドイツ軍の陰に隠れてしまって戦闘で活躍する機会がほとんどなかったようにも思えます。 イタリア国民にとっては大義もない戦争でしたし、 そもそものその国民性にも由来するものだという人もいます。 同盟したドイツもここまで頼りなかったとは想定外だったのでは?
お礼
同盟国の中で真っ先に降伏し、政権が代わると あろうことか、連合国の仲間入りをし、枢軸国と 戦うとは、「オウ、てめぇらはこの俺をだれだと思って いやがんでぃ。日光は東照宮、左甚五郎の眠り猫と 絢を競ったこの桜吹雪の刺青を、散らせるもんなら 散らしてみやがれ・・・」(by笑点、木久扇) 何かわけの分からんことをしてたようですね。 回答ありがとうございました。
- mekuriya
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日独伊三国同盟は、はったり、景気づけ、強がりに過ぎません。国民に対して、「わが国は世界から孤立していないぞ。仲間が居るぞ。」と元気付けるためのはったりだったのです。イタリアは「枯れ木も山のにぎわい」。二国より三国の方が収まりが良いんですね。三国協商、三国同盟、三国干渉、三国志、などなど。歴史用語には「三国~」が多いですが「二国~」は一つもない。 日独伊三国同盟は看板だけで中身がありませんでした。名目だけで実質がありませんでした。
お礼
日独ぃ二国+一国グリコのおまけ付き同盟でしたか。 ハラ減ったときのおにぎりは二個食うより三個食う方が うれしいですが(なんのこっちゃ)このさんこくう同盟は ハリボテだったのですね。 「わが国は世界から孤立していないぞ」という強がりは カンカンに怒ってる人が「わしゃ何も怒ってへんがな~ ウォ―」 というのとおなじですね。 回答ありがとうございました。
お礼
勉強になりました。砂漠のロンメル軍団の活躍の 陰にイタリアあり、でしたか。 初期の構想では、日独伊ソ四国同盟を目指していた らしいのですが、日独共通の敵ソ連を仲間にしようという 発想が分かりません。日独二国同盟で東西からソ連をたたき つぶしてやったら、北方領土どころか、バイカル湖以東は 日本領土になってたかも。そのへんどうなんですかね。 回答ありがとうございました。