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山本五十六が三国軍事同盟参加に反対した理由

山本五十六は日独伊三国軍事同盟に参加する事に反対していたそうですが、それは何故でしょうか? わざわざ同盟を結ぶからには多分何かしらのメリットがあるからでしょう。 しかし反対するからにはそれを考慮してもカバーできない致命的な部分があるのでしょうか?

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  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.4

山本五十六だけでなく、三国同盟には主に海軍を中心に強い反対がありました(陸軍では石原完爾などが反対)。 当時のドイツとイタリアを足してもイギリスの海軍力の半分にも満たなかった事から、海軍側は海軍力の貧弱な枢軸側に加わってイギリスを敵に回すのを恐れたのです。 三国同盟を推し進めた外相の松岡洋右は、三国同盟の後に日ソ中立条約を締結し、三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア枢軸」に拡大し、それで米国に対する圧力を意図していたと言われていますが、それは独ソ戦勃発で崩壊します。 結果的には三国同盟が大失敗だったことは明白ですが、当時の日本の政治家やマスコミ、世論の多くはフランスを屈服させヨーロッパの大部分を制圧したドイツの力の幻惑されていたと言えます。

その他の回答 (7)

回答No.8

山本五十六に限らず、米内光政、井上成美、山口多門と言った、日本海軍の提督の中にも反対した人物は多数います。 これは戦略的に見て、遠くはなれた独伊枢軸と連携を保つのは不可能に近いという現実があります。 また、枢軸側の好戦的政策により、同盟に参加して戦争に巻き込まれることを危惧したのです。 また、彼らは、枢軸側の国力よりも、アメリカ・イギリスの国力のほうが大きく勝っていることを知っており、戦争しても勝ち目が無いほうにつくことを避けようとしたのです。

  • googahaku
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回答No.7

 それぞれの回答者が指摘されている通りアメリカを刺激した区なかったためのようです。  初期の「日独防共協定(1936)」はソ連と対抗していくために経ったと思われますが、三国同盟(1939)ノモンハン事件(1939)以来、南下政策に転換、マレー、インドシナ、への進出を狙ってイギリス、フランスとの対峙、中国大陸の権益で利害が対立してきたアメリカを含め、欧米との軍事力均衡を狙ってのものだったようです。  時の外務大臣 松岡洋右 あたりは三国同盟を結んで戦争しようと考えていたのではなく、戦争の抑止のためと考えていたようです。 開戦に至ったのは、第2次大戦初期のドイツの圧勝に刺激された陸軍が強硬姿勢を取り、中国大陸での妥協を拒否し続けたことに起因するでしょう。  もうひとつ、18世紀に産業革命を終えて文字通りの「先進国」となったイギリス、フランスなどがアジア・アフリカなどを次々と植民地化していったが、産業革命が19世紀にずれ込んだイタリア・ドイツ・日本=中進国、が、既に欧米列強の植民地の一角を狙って共同歩調を取ろうとの思惑が根底にあったようです。三国とも程度の差こそあれ、国家社会主義的体制を備えていったのも、この目的のためと考えると合理的です。  結局、先進国に戦いを挑んで惨めな敗戦を味わうのですが、歴史は繰り返す、これからの世界も同じような形での展開があるのかもしれません。たとえば中国やインドなどの台頭から。

noname#58790
noname#58790
回答No.6

年表です。 満州事変(1931) 満州国建設(1932) 国際連盟脱退(1933) 日独防共協定(1936) 日独伊三国防共協定(1937) 日中戦争(1937) 日独伊三国同盟(1940) もう、どうしようも無い状態まで行きついています。 >致命的な部分 常識が通用しない事。 何を言っても無駄である事。 =典型的な馬鹿。(言ってもきかないので死ぬまで直らない) =面倒見きれない。

noname#70223
noname#70223
回答No.5

理由としては、 1 米英の反感があると思ったから。 根拠 そのあとアメリカが日本に石油輸出を禁じたから 2 ドイツの状況は悪かったから 根拠 ユダヤ人迫害で世界の反感をかっていて、そこと軍事同盟を結ぶ   と戦争がドイツで起こったら、日本も援軍に行くから戦力が少な   くなる。(ドイツでは戦争がいつ起こってもおかしかなかった) こんなとこ

  • miyabi15
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回答No.3

質問者様に対するお答えになるかどうか分かりませんが「反対派の人たちは冷静な計算ができた」ということではないでしょうか。 三国同盟の大きなメリットとしては、帝国臣民と陸軍にとっての宿敵ソ連(ロシア)を牽制できることをまずあげるべきでしょう。確か独ソ不可侵条約は日本には知らされていなかったはずです。そしてナチスは共産主義を嫌っていましたから。また、締結の直前はドイツが破竹の勢いでヨーロッパを席巻していた時期です。「勝ち馬の尻に乗る」という発想を持つ人たちにには、宗主国を失った南方地域を日本が統治する夢や、ドイツと日本とイタリアが世界を主導する覇権国家となる夢想。つまりメリットしか見えなかったのでしょう。 逆にデメリットとしては、同盟間の連絡線が細すぎる(遠すぎる)ため同盟の恩恵があまりない(戦争協力はもちろん、技術交流や人的交流も自由に行えない。実際対米戦に突入すると、潜水艦くらいしか大容量連絡手段はなかったですし)というのが、致命的な気がします。もちろん外交的抑止力にはなるでしょうが、実利が少ない。そしてドイツと手を結べばその後には、対英米戦が控えているというおまけが付きます。 さらにいい加えれば、ヒトラーは黄色人種を白人種より下等な人種と見ていたようです。平時だとして、対等なお付き合いが出来たかは疑問です。 反対派は、この辺を聡く見抜いていたのでしょう。 ついでに言い添えるなら、海軍は大陸や欧州より米国を主敵に据えた視点で、陸軍や国民は欧州のドイツの動向やソ連への影響力(ソ連を押さえ込めれば、中国戦線に回せる戦力が増える)に主眼を置いた違いで、反応が違ったと言えるかもしれません。

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4880)
回答No.2

歴史(事実)をみれば一目歴然と思いますが・・・ >わざわざ同盟を結ぶからには多分何かしらのメリットがあるからでしょう。 日・独・伊三国ともに、お友達になってくれる相手が他にいなかったから・・・ということですね。 >しかし反対するからにはそれを考慮してもカバーできない致命的な部分があるのでしょうか? 結果論になりますが、勝てっこない相手に喧嘩を売った挙げ句・・・致命的な部分”しかなかった”と言うべきでしょうね。 (一種、神格化されていると言っても良い”零式艦上戦闘機”にしても、大戦初期には対抗手段が判っていました・・・傑出した運動性を持っていた飛行機でしょうが、兵器としては欠点が目立つと言わざるを・・・) 戦争は国力の勝負であり、精神論で戦争はできません。 資源のない日本が米国の豊富な物量・生産力を誇る米国(当時の世界最大の産油国であるほか、資源大国でもあります)に勝つことなど、幻想ですらありません。 資源を求めて南方に進出しても、補給路の維持も出来ず、皇軍ならぬ蝗軍といわれる体たらく(南方に取り残された兵士は”生き残ることが戦争”)・・・曰く、アマチュアは戦術を語り、プロは兵站を語る。 訪米経験のある山本らは、米国の底力を判っていたので戦争に反対しましたし、”ここに至っては開戦止む無し”となった時も緒戦に全力を傾注し”日本を侮れず”と印象づけ、短期決戦で”有利な条件で講和”を狙ったんですが・・・ミッドウェイで転けちゃって・・・

noname#131426
noname#131426
回答No.1

たぶん、アメリカとは戦争をしたくはなかったからだと思う。 アメリカと戦争をしても勝てないと分かっていたんだと思いますよ。 ただ、多勢に無勢で押し切られたけれど。 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub228.htm

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