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思うの促音便
五段動詞の「思う」omow-u がどうして過去形で促音便になるかの説明は難しいそうですが、こう考えました。 方言では omow-ta となる地方があります。標準語では、「他の音便規則からの類推でそうなった」と考えるのはいかがでしょうか?
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「過去形で促音便になる」は、国文法(学校文法)の立場からいえば、連用形が接続助詞「て」、助動詞「た」、あるいは「ても」「たり」など、「T」音で始まる付属語に連接する際に、促音となるということですね。少なくとも、「過去形→促音便」は事実を忠実に反映した言い方ではありません(上の、国文法から見た定義も、現象をなぞっただけのものに過ぎませんが)。 私はとてもご質問にお答えするような者ではありませんが、疑問に感じた点等を、以下、二つほど挙げてみます。それにお答えになる形で、お考えを深めていただければ幸いです。 (1) まずご質問の件は「思う」に限らず「ワ(ハ)行五(四)段」に共通するという点。「思う」だけを取り上げられたのには、特別な訳があったのでしょうか。また、私自身かねてから疑問に思っていたことですが、口語で「ワ行五段」には、「問う」のような例外が幾つか存在します(下記(2)参照)。その理由を考えてみるのも有意義かと存じます。 (2) (1)で述べてことにも関連しますが、通時的に見ると、促音便とウ音便は、標準語と方言ではなく、東日本方言と西日本方言に対応すると思います。(1)で触れた「問う」は、現在西日本系統のウ音便「問うた」だけが残り、促音便「問った」が現存しない(かつてはあったが淘汰されたのか、そもそもはじめからなかったのかはわかりません)少数派です。また、「乞う」も促音便化しませんが、「添う」は促音便化するので、オ段+子音の語尾を持つ五(四)段動詞のすべてに共通する法則はなさそうです。 なお、「他の音便規則からの類推でそうなった」と仮説を挙げていらっしゃいますが、もう少し具体的に述べていただければ何か言えたと思うのですが。 私は仕事柄、口語の学校文法に接する機会が多いのですが、なかなかその外部に立って考えを巡らすところまではいきません。国文法の先端、あるいは日本語学(定義があいまいですが)、言語学では、どのようなところまで研究が進み、また、どんなところがまだ未解決の問題として残っているのか、非常に興味深く、前の質問者の方と回答者の方の問答など、楽しく拝読しておりました。今後も、有意義な投稿をお続けになっていただきたいと、勝手ながら思っています。
お礼
http://www.venus.dti.ne.jp/~kaisaki/gengoken/pdf/vol4/kubo4.pdf 質問が舌足らずですみませんでした。質問を書いてたとき時間がなかったので詳しく書き込めませんでした。 リンクの表にもありますように、過去形 -ta にしたとき他の多くの音便化のうち促音便につられて、omow-ta もomotta になったのではないのかなと思ったのです。思うを選んだのは w で終わる語幹がそれしか思い浮かばなかったからです。 問うた、請うたが促音便化しないのは不思議ですが、取った、凝ったと音が同じだからという理由は即却下ですか?(沿った、添った、がありますものね!) ありがとございました!