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心の構造
私的にふと考えこんだら止められなくなってしまいました。 『心』及び『精神』『脳』と言われる物の構造ってどのような感じでしょうか。 個人的に『心は思考・記憶・知覚に分かれる』と一度考えたのですが、それだけでは感情は生まれるのか?と考えてしまいます。 それに、それぞれがそれぞれにどのように作用するんだ?等、どんどん疑問が膨れ上がってしまいます。 Wikipediaなどから探して読んでみたのですが、肝心な所がありませんでした。 ひょっとしたら、心理学的にも難題かもしれませんが、ご回答よろしくお願いします。 ちなみに、「この質問はオカルト的質問ではありません」。又、「私は未だ高校生なので難解な用語等は解りません」。故に「専門的すぎる説明は不要です」ので、そこを踏まえてご回答お願いします。
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難しい問題ですね~ 「心」は形、色、匂いなど物質的な要素を持たないので、 (ブラックボックスと云う言い方もします。)取り出して、 見せる訳にも行きませんし、標準値みたいものを設定することも難しいでしょうね。 私なりの考えですが… 「心」は、受動感覚器官だと考えています、 外界の刺激(気温、湿度、感触、見る、聴く、匂うなど)で、 喜び、快、不快、喜怒哀楽、恐怖などを感じる器官です。 自分での「心」のコントロールは、難しいですが、まったく出来ない事ではないですし、 心理療法では、積極的に色々な方法でのコントロールを試みます。 人の心は、その歴史や成り立ちによってそれぞれに 凸凹(感覚の鋭い部分と鈍い部分)を持っています。 これが(受動的な)個性とも言えますし、人それぞれに感じ方が違う部分です。 「意識」が、心と思考(脳)の上位器官で、 「記憶」は思考のデータベース(倉庫)です。心で感じた事を元に『どう動くのか?』を 「思考」が「記憶」を使い動く為の方法を探り、最終的に決定するのが「意識」です。 脳の中では、「前頭葉」と「扁桃体」が感情を司る部位と言われています。 http://www.toukoukyohi.com/trauma/nounokouzoutokokoro.htm ※個人的には、「心が脳の中にある」というのには賛成出来ませんけど(笑) (異論もあるかと思いますが)「精神」は「魂」とも言い、 「意識」の中の中核的な部分を占めるもので、無意識にもつながっている、 意識の根っ子のような部分であると考えます。 まとめ、心(受動感覚器官)=意識を通じて、外界の情報を受け取り、感じる器官 意識=心や思考からの情報を受け取り判断し、行動を決定する器官 思考=色々なバラバラの情報を組み合わせ、ひとつの形に統合する働き、 記憶=思考の最大の情報源 精神(魂)=意識のコアの部分、無意識とつながる部分 「感情は何故起るか?」については、 原始的には、生き延びる為に、不快や恐怖の感情が表れたとの説が在ります。 そして、獲物を得た時の興奮と生存の安全感が快(感)につながり、 幼児がやるように、目と目を合わせて笑い合ったり、言葉以外のコミュニケーションとして 感情と感情表現が発達して来たものと思われます。 ※言語の違う国はいくつもありますが、感情の違う国や人種は聞いたことがありません。
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- nisekant
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詩人ポール?ヴァレリー「心の仕事は将来を創造することだ」 書物「ヒトはいかにして知恵者となったのか」 大雑把だが、進化の過程で以下のように進展したと推論する。 《感覚》→《注意》→《感情》→《記憶》→《思考と想像》→《計画》→《自己意識》→《自由意志》→《言語》
お礼
非常に簡潔で、自分にも解りやすいです。 ご回答ありがとうございました。
- hakobulu
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>『心』及び『精神』『脳』と言われる物の構造ってどのような感じでしょうか。 :この中で実体があるのは脳だけですね。 『心』及び『精神』などは、脳の機能のひとつを概念として捉えたものです。 無論、これらの言葉が生まれた段階では脳(頭)と心は別物だと思われていたかもしれません。 しかし、思考・知覚・感情などももちろん全て脳の働きによるものであることは、現在の科学によって証明されていると断言して良いはずです。 「心(あるいは精神と言っても良いですが)の構造」ということでは、 よく、 本能(快・不快) 自我(損・得) 超自我(善・悪[あるいは、抑制・解放]) の3層が挙げられますが、これらにしても、そのような実体があるわけではありません。 全ては、脳によって引き起こされる化学反応に対する概念の名称と言って良いでしょう。 大脳生理学などでは、これらの精神状態が脳のどのような部位と関連性があるのか、という観点から研究がなされているのでしょう(多分)。 つまり、ある刺激に対してどのような部位からどのような化学物質が放散され、それが神経細胞によってどのように伝達されるのか、という点に注目しているのだろうと思います。 心理学の一端である精神分析学などでは、そのような仕組みのプロセスではなく、ある刺激に対して【なぜ】そのような反応が起こるのか、という点を問題にすると言って良いでしょう。 どの部位であるかはわからなくても、無論わかるに越したことはありませんが、それは二義的な問題になります。 全く個人的な見解になりますが、つまり、人は(知覚を含めた)記憶によってその精神性を確立していく、ということです。 ですから、思考すること自体も含め、何を経験していくかということによってその人間の精神性は定まっていくだろうと私は思います。 また、上に述べた本能・自我・超自我のバランスが取れていると人は安定した精神状態を確保できます。 そのためにあえてこのような概念が創出されているのでしょう。 「感情」も、無論、脳内の神経組織が引き起こす様々な化学作用の連携が及ぼす結果に他なりません。 精神分析学は、その結果がどのような記憶として格納され、さらにそれが起因で将来的にどのような結果を引き起こすことになるのか、という観点からの学問であるように思います。 心に関して、 [how]という疑問を解決するには脳の仕組みを研究すれば良いでしょう。 [why]という疑問は、構造や仕組みだけでは解決できません。 心というものの構造を、概念として想像的に設定しながら(必ずしも本能・自我・超自我の3層と決め付ける必要はありません)、検証していくより他に道はないだろうと思います。 以上、素人の私見として述べてみました。 公に認められるような学問的根拠は殆んどありませんし、趣味的で、脆弱な面があるという点についても否定はしません。 幅広いアンテナを張り巡らせて、より人間に資するベクトルを探り当ててください。
お礼
[how]と[why]ですか。自分は愚鈍故に[why]なんて思った事もありませんでした。 一つ新たな見聞、と言ってよろしいのか、そのような物を得ました。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
ご回答ありがとうございました。