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キリストの原罪論について
キリストの原罪論とは、生まれながらに皆が罪を背負ってしまったのは禁断の果実をアダムとイブが食べてしまったことに始まるんでしょうか? 例えば何も知らない無垢な子供でも、アダムとイブの遺伝子が入ってるのならば神様の教えを破り、その子供も同じく罪を償えと言うことなんでしょうか? 例えばその罪とは一体なんでしょうか?仏教の教えにも、煩悩や貪り、欲望、等を罪とする考えがありますが、キリスト教とも同じ考えと言うことでしょうか?
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キリスト教というか、一神教の教えがそうなのです。 一神教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教がそうです。元々はユダヤ教で始まり、そこからキリスト教とイスラム教が派生した感じです。 そして一神教では「神の怒りに触れて人類は楽園を追放された」ので、生まれながらにして罪を背負っているのだと考えるのです。それが「原罪」という考え方です。 しかし多神教文化圏である我々日本人には、この「原罪」という考え方は生まれながらにしてキリスト教の家に生まれてそう教えられて育ってきた人以外にはどうしてもピンとこない概念ですね。 なのでユダヤ教では「神は人類に対してお怒りなので、我々が許しを請わないと救われない(天国に入れてもらえない)」と教えています。神がノアの箱舟でノア以外の人間を滅ぼそうとしたり、ソドムとゴモラの街を破壊したのも全て「神はお怒りだから」と考えるのです。つまりユダヤ教にとっての神様は荒ぶる神なのです。 それに対してイエス(キリスト教)が言い出した革命的な発想が「神はあなたがたを愛している(祝福している)」というものだったのです。神様はお怒りではない。慈愛に満ちた慈父のような存在なのだとイエスはいったのです。(神による)愛を発明したといってもいいかもしれません。 その教えがあまりに画期的過ぎたので、彼は危険人物として処刑されてしまいましたが、やがてそこからキリスト教が生まれました。
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- oska2
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>生まれながらに皆が罪を背負ってしまったのは禁断の果実をアダムとイブが食べてしまったことに始まるんでしょうか? 始まりは、分かりませんが・・・。 キリスト教(限らず、ユダヤ教・イスラム教)では「性悪説」を基本としています。 曰く「生まれたばかりの赤ん坊でも、罪を背負っている」 対して東洋宗教(仏教)は、「性善説」を基本としています。 >子供も同じく罪を償えと言うことなんでしょうか? その通りです。 生まれながらに背負っている罪を神に懺悔する事で、清らかな体・精神になるのです。 >その罪とは一体なんでしょうか? 人間本来が持っている、各種の「欲望」です。 複数の赤ちゃん集団でも、ミルクの奪い合い・おもちゃの奪い合い喧嘩がありますよね。^^;
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- SPS700
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1。キリストの原罪論とは、生まれながらに皆が罪を背負ってしまったのは禁断の果実をアダムとイブが食べてしまったことに始まるんでしょうか? そのようです。 2。例えば何も知らない無垢な子供でも、アダムとイブの遺伝子が入ってるのならば神様の教えを破り、その子供も同じく罪を償えと言うことなんでしょうか? これは遺伝子の研究以前にできた話です。 3。例えばその罪とは一体なんでしょうか? 無いから作らなくてはいけない、ここがキリスト教の弱点だと思います。 4。仏教の教えにも、煩悩や貪り、欲望、等を罪とする考えがありますが、キリスト教とも同じ考えと言うことでしょうか? ただ罪悪感がないという点がキリスト教より進んでいると思います。
お礼
ありがとうございます
お礼
ありがとうございます。起源は楽園を終われたことの顛末によるものだと理解しました。根本的になんの罪とかじゃなく、楽園を終われ神に見捨てられたことに対する罪なんでしょうかね。