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エホバの証人の苛めとは?他の苛め方法と苛める心理について
- エホバの証人が行なう苛めにはどんなものがあるのか?
- エホバの証人の集会での経験や友人の話から、エホバの証人の苛めが深刻であることが分かった。
- エホバの証人の苛めはさまざまな方法で行われ、信者を苦しめる心理的な要素もある。
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まだ回答が締め切られていないようですので、一応回答しておきます。 以前エホバの証人だった者です。母親が私が子供の頃入信したので当たり前のように集会に行っていました。 集会に通っていらっしゃるようなので用語について詳しい説明はしません。分からない場合はまた補足要求されてください。 あなたのように集会に通っている方は姉妹(信者)になる見込みがある人なので、大会に行くのを強要したり伝道者になるのを強く勧めます。 姉妹たちはいわばものみの塔のセールスレディなので、一人でも多くの信者を獲得する人が尊敬され、会衆で影響力を持つようになります。 確かに外側から見れば皆温厚で良い人に見えるかもしれませんが、 交わりを深めれば深める程、兄弟姉妹の派閥や特権階級意識など幻滅されることが多くなるでしょう。 幸いgurigguさんは冷静に物事を見ていらっしゃるので大丈夫だと思いますが、司会者の姉妹の言葉を絶対と思わないでください。 信教の自由ですので強制しませんが、一度集会や研究をストップされたほうがいいと思います。 もし何か言われるならここに書かれた子供のことや自殺のことについて追求してください。たぶん明確な答えは出ないと思います。
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おそらく他の宗教者から見たエホバですが、参考まで
- schneewittchen7
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>来られたら困るのに、なんでしつこく誘うのでしょう。 偽善的な人に、よく見られることです。「誘う」ことが、この場合「形式的に善」の形態をとっているからです。それがバレてしまったら途端に掌を返したように正反対の言動をとるようになるのは「偽善」であったことの証拠です。 私が子どもだった頃、亡母が私のクラスメートのお母さんに誘われて、渋々、或る新興宗教の集会に私共々参加したことがありました。 出席して広い会場の前方、一段高くなった所に、まだ若くキレイにお化粧したオネエサンが両側にうやうやしいお供を従えて、赤いビロード張りの椅子に腰掛けたのをポヤ~と眺めておりましたところ突然斜め後ろから這い出してきた人に押しのけられました。 その人は、「オネエサン」の前に躍り出ると、そのまま引っくり返って気が狂ったように激しく手足を振り続けました。 私はビックリして呆然と眺めていましたが、ふと気づくと、高い所に腰掛けたオネエサンが、何やら怪しげな手つきで、まるで蜘蛛の糸を操るかのようなしぐさをしているのです。 終わってから私はクラスメートに尋ねました。「今のは何?あの男の人どうしたの?」と。 クラスメートの返事では確か「先生(オネエサンのことらしい)」がフシギな力を指先から出すと、あんなふうに「踊りだす」のだそうです。 私はタマゲて「こりゃ何と、もの凄いことがあるものだ!」と非常に慄きましたが後日、知り合いのオバサンだかを通して知ったのでしょうか母に聞いた話では、あれは事前に打ち合わせをしてやっているのだと知り、「な~んだ」と思ったものでした。 この「打ち合わせ」「示し合わせ」ということを、もしも信者の立場が従わなかったら、「神秘のイメージ」演出に協力しなかったかどで迫害されるのでしょうか。 私も、これまでに何らかの特定の宗教に入信しているという人は何人も出会ってきましたが私個人の印象として共通しているのは 何か大きな欠落感の様なものを感じていて、しかも、それを自力で埋めることが不可能だと感じている、そして代わりに埋めてくれるものを渇望していて常に、そうしたものに依存させてくれる機会を窺っている、 そんな印象です。 依存させてくれるものであれば、それは宗教でも、お酒などの嗜好品でもギャンブルでも、特定の個人でも、それこそ、こういうネットサイトでも何でもいいんです。要は基本的に、強い「依存体質」が見受けられるということです。 ずっと以前、同僚女性が身の上話をしてくれたときに、彼女の独身時代(母子家庭だった)、気の短いお母さんが怒りのあげく包丁を振り回したり、下着姿で団地の廊下に放り出されたりして辛かったと言っていました。そのお母さんの入信に従って彼女も信者になり、結婚相手も、そこでの御縁だったそうです。 可愛らしい顔立ちで、なかなかチャーミングな明るい女性ですが、笑い上戸の彼女が、けたたましいほどの笑い声をあげるのを聞くたび、笑っているというより悲鳴のように聞こえるのは私だけだろうかと思っていました。 宗教というものは往々にして「勢力の拡大」を目指します。それは信者が増えることがイコール概念に力を与えるからです。当然ヒエラルキーということにも敏感です。そもそもイジメの構造に根本で通底している。それが証拠に「自分ひとりで黙々」信じている宗教団体などというものはない。最初は一人でも、いつか賛同者や仲間を増やそうとし始めます。 これは上記に挙げたように宗教的なるものの避けられない本質です。名称が宗教でなくとも学問でもいいわけです。要は賛同者数、規模の発展を求めるという本質が根底にあり、そうした「力」に敏感な人が、その集団内部において「力関係」というものに心血を注ぐことは何ら不思議はないことです。 まして先に挙げましたように、そして貴方御自身がそうであるように「何かの欠落感」を埋めてもらいたいものという欲求が強くあるわけですから。 いわば「飢餓感」が強い人たちの集団であれば、「我が我が」の餓鬼的世界に陥る危険性と常に背中合わせである。 イジメなど、あって当然ではないでしょうか? ですから、その宗教の「出発点」が何によって立ち上がってきたものか、それを支え続けていく者たちの資質が問われてくるわけです。これは大変に厳しいものだと思います。 宗教であれ政治であれ学問であれ、人が集団となる形態においては共通した問題を孕んでいるのではないでしょうか。 御質問者様御自身は、親御様との軋轢の過去を自覚していらっしゃる、その欠落感を埋めてくれるものを渇望していらっしゃる。 辛い御気持ちはお察ししますが「依存」には、やはり、それに見合ったものしか返って来ないという現実の厳しさを目をそらすことなく見据えていただきまして、そのうえで、それではこの「穴」を何を以って埋めるべきなのか、或いは埋めなければいけない「穴」なのかということを、卑しくも「人の子の母」となった貴方です、この世界を仮にも肯定なさったに等しいのですから、この機会に内省いただくのも良いチャンスかと申し上げます。 安易な選択に逃げられませんように。
- sanjakubo
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「エホバの証人」はキリスト教ではありません。敢えて言うなら、キリスト教系の新宗教であると言えます。 http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/monominoto.html オウム真理教事件の時、カルト宗教という言葉が広く知られるようになりましたが、エホバの証人もカルトに分類されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 キリスト教と称して、一応聖書を読むようですが、その聖書は一般に知られている新約聖書旧約聖書を改竄したものを使っているそうです。まともな宗教ではないのですから、苛めの原因を考えるよりもやめる方が先決だと思います。 最初に貼り付けたURLにカルト宗教対策活動を行なっている団体が紹介されています。しつこく付きまとってくる場合は、それらの相談されたらよろしいと思います。
お礼
URLありがとございます。 エホバの証人も、オウム真理教のように、尻尾を出せば良いのですがね。 そう言う意味では、オウム真理教より、タチが悪いと思います。 やめたい気持ちと、誰かに(何かに?)すがりたい気持ちと、両方がごっちゃになっている状態です。
- hakobulu
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エホバの証人のことは良く知りませんが、ただ、 「エホバの証人が行なう苛め」という捉え方はされない方がよろしいのではないか、という気がします。 苛めは苛めであって、人間が複数いるところでは大なり小なり発生する現象でしょう。 大寺院であろうが、ローマ教会であろうが、ユネスコであろうが、慈善団体であろうが、およそイジメとは無縁そうに見える場所においても、構成員が人間である以上、現在進行形として当然存在しているものだと思います。 エホバの証人などを含む宗教者の方々は、意識的に強い信念を持ち、その教義を身につけ実践しようと志しているはずです。 とはいえ、あくまで【志している】にすぎず、いきなり聖人君子になれるわけではないでしょう。 つまり、神ならぬ身としては、必ずと言って良いほど教義と現実とのギャップが存在するのが当然だと認識しておく必要があるように思います。 その理想が高い分、苛めという暗部との差が大きすぎて、より酷いものとして感じることはあるのかもしれません。 そこで、人間にとっての苛めとは何かということになるわけですが、 これは、人間が生きていく上において、他者との比較によって自分の足場を固めたいという気持ちがあるためだろうと思われます。 自分自身が向上の努力をすることに疲れてしまい(または、その力もなく)、他人を貶めることによって相対的に自分が浮上する結果になることを目指すものです。 >来られたら困るのに、なんでしつこく誘うのでしょう :司会者の姉妹がとった態度は、教義の理想と現実とのギャップを突きつけられてそれこそ仰天してしまった結果でしょう。 建前としては、gurigguさんにいくら断わられても最後まで仲間として誘い続けることが愛であるといったような考えを持っていたのでしょうが、 本音としては現実的対応を優先させていたわけで、その欺瞞が暴かれそうになって慌てたということです。 >一度行くといったら、もう、どんな事情があっても、取り消せないのでしょうか? :建前としてはgurigguさん(も含めた多くの人)が参加することが教義にも適うわけですから、 一時的な感情でつい本音が出て「>あなたの車の用意はしていないわよ。」と言ってしまったものの、そのせいでgurigguさんが参加しなくなれば教義に反する行為を自分がしたことになってしまうので、「>それはダメです」と言ったのでしょう。 >(小学校低学年くらいの)彼だけはのけ者です :その子がどういう発言をするタイプなのかはわかりませんが、いずれにしても指導力が不足しているということは言えるでしょう。 おそらく教義に反するような、または質問が意図した内容とは別の意見を言う子なのでしょうが、そのような子に対して適切な導きが出来ないということ自体が、底の浅い主宰者(司会者)と言えるでしょう。 とりもなおさず彼女らが未熟であることの証明でもある(幼い子供ひとり導けないのですから)わけですが、 それは、自分たちが揺るぎない自信を【持っているはず】の信仰心の限界を白日の下に曝すことに対する怖れが、無意識的に存在しているように思います。 「絶対的な信仰」が崩れ去り、単なる幻想であったことを思い知らされる結果になることを怖れるために、 教義から少しでも逸れようとする事象に対して強引な否定をせざるを得ず、それが結果として「>すさまじい苛め」になる状況を推測することは、そう難しいことではないかもしれません。 先にも触れましたが、教義を否定する人を貶めることによってしか自分たちの正当性を確認できなくなる未熟な人も中にはいるだろう、ということです。 ただ、全ての信者がそうだということではないでしょうから、そのへんは冷静に判断するようにしないと彼女達と同類になってしまいますから、ご留意が必要になるように思われます。
お礼
ありがとうございます。 私の疑問に答えて下さり、概ね納得のいくものでしたが、一つだけ違う物がありましたので、この場で訂正させて頂きます。 >(小学校低学年くらいの)彼だけはのけ者です についてですが、単なる「えこひいき」です。彼は一生懸命頑張るタイプですが、彼のお母さんは、会衆では一番下の部類に入るので、彼と彼のお母さんが重要視されていないのです。 エホバの証人の全体的な雰囲気として、「酷いえこひいき」と言う事実を目にして、とても悩んでいます。
- tobymetal
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私が学生時代、約1年間エホバの証人の方と家で勉強会を行っていました。 その方は人柄もよく真面目な方で信頼できそうな方でしたし、自分も ちょっと興味があったので週に一度、家で勉強会をすることになった のです。 その途中、よく協会にくるよう誘われましたが断っておりました。 結局勉強会は、自分があまりこのエホバの証人の教えに納得出来ない 部分が多いことから止めてしまいましたが、この書き込みを読んで 協会に行かなくてよかったな、と思っています。 自分としては宗教は自分を磨くための手段考えておりますので、 このような苛めが頻繁に行われているような宗教を続ける意味は 自分には見出せません。
お礼
ありがとうございます。 私が勉強した理由も、同じです。 同様に、エホバの証人の教えには、実は私も、納得していないのです。 でも、子育てに悩んでいる今、頼りになるような経験者も傍にいなく、実親からは愛されなかった過去がある私にとって、何かにすがりたい気持ちがとても強いのです。 私の母親くらいの年齢の司会者から、離れるのが怖いのです。 ジレンマです。
お礼
回答ありがとうございました。 仰る通り、「偽善的な人」の特徴ですね。ただ、「偽善的」と言う言葉と、結びついて考える事が無く、はっとさせられました。 埋め尽せない「穴」の方は、もう少し考えて見ますが、「偽善的な人」に対しては、とるべき態度は一つだと思います。 迷いを断ち切る事ができるよう、頑張ります。