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エホバの証人をやめたい
- 私はエホバの証人をやめたいと考えています。最近、学校で宗教的な生き方や人間関係をバカにされ、ストレスを感じています。肉体的にも精神的にも疲れ、集会にも身が入らず、励ましの言葉さえもストレスになっています。親や会衆の人には理解されず、兄弟である司会者にも何かが違うと感じます。エホバの証人の生き方は魅力的だと思いますが、統治体の指針や排斥システムは許せません。限界に達し、やめる方法や相談先について悩んでいます。
- エホバの証人をやめたいと思っています。学校でのバカにされる経験やストレスにより、肉体的・精神的に疲れています。集会にも身が入らず、励ましの言葉さえもストレスとなっています。親や会衆の人に理解されず、兄弟である司会者にも違和感を感じます。エホバの証人の生き方は魅力的ですが、統治体の指針や排斥システムは許せません。限界を感じ、やめる方法や相談先について考えています。
- エホバの証人をやめたいと思っています。学校で宗教的な生き方や人間関係をバカにされ、ストレスを感じています。肉体的・精神的に疲れ、集会にも身が入らず、励ましの言葉さえもストレスとなっています。親や会衆の人に理解されず、兄弟である司会者にも何かが違うと感じます。エホバの証人の生き方は魅力的ですが、統治体の指針や排斥システムは許せません。やめる方法や相談先について悩んでいます。
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yuzugさん、こんにちは。 宗教は本来、自分自身の考え方を強くしていく助けになるものなのですけど、 使い方や伝え方を間違えたり、全然宗教とは関係ない邪心が入ってくると、 急に原理的な考え方になり、個人が自分の意思で考えることをどんどん否定してきます。 生き方を馬鹿にされるストレスと、あなた自身が、「これはおかしいのではないか?」 というのは別の事で、「これはおかしいのではないか?」という気持ちから、 周りの意見ではなく、自分自身の意見で、「こうだと思う」と自分で価値観を 作るきっかけがいま起こっているのかと思います。 話せる方に、「自分で何がいいか考えることができるように、一旦すべての宗教から 距離を置いて考えてみる。その結果考えが変わらないようだったらまた一緒にがんばろう」 と前向きな姿勢で、今の宗教を否定もせずお話をされるとよろしいかと思います。 あなたの価値観が大切にされるように、宗教を信じている人の価値観も否定はされないのです。 お互いに違うかもしれないけど、お互いに尊重する。 そんな心でお話されると、相手も無理に自分の考えを押し付ける理由がなくなるかと思います。 対立せずして、少し距離をおく。 そんな感じですかね。
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- ad383cll
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.自分はエホバの証人から教えていただいています。yuzugさんの中で大きく2つ問題があるわけですね。1つは学校。1つは組織ですね。 学校の問題については証言を事前に準備する、もしかすると親の協力もいるかもしれませんね。「若い人は尋ねる」の書籍も助けになりますね。 >統治体の指針に絶対に従う姿勢や、排斥というシステムがあることが正直言うと許せません 正直というのは大切ですね。自分の確信がしっかりしていないと学校の問題もクリアできないでしょうから。ここのところを伝えるのが反対されるのもわかっているし、相手にも悪いし、とか思ったりすると、どうしようとなったりしますよね。 >生まれた時からずっと母親からクリスチャンとしての生き方を・・とあるのでその教え方に対する反発とかと「統治体」という権威を与えられた対象がダブると方針が許せないとなるかもしれません。さて具体的に「排斥」と出たので調べてみました。 あるクリスチャンが弱さに屈したり、重大な罪におちいったなら、自動的に会衆から追放されるという意味でしょうか。そのようなことは決してありません。・・・温和な霊のこもった愛ある「再調整」を受けられるよう、神は会衆の中に霊的な備えを設けてくださいました。・・・・バプテスマを受けたクリスチャンが重大な過ちを犯し、その人を回復させるどんな努力も実らない場合、言い換えると、その人が罪深い道を改めることを頑固に拒む場合はどうでしょうか。・・・とありました。引・照聖句はたくさんありましたが、コリント第一5:11,13、伝道の書9:18、テモテ第一3:15、コリント第一10:12。 排斥がありますが、復帰もあります。以上、1996年9月8日、目ざめよ誌から。 「兄弟、僕、実は苦しいんです・・」とか切り出してみるのはどうでしょう?
- michael-m
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日本は世界で唯一宗教を知らない国です。共産国には神を信じる宗教はありませんがその中心には主席などと呼ばれる存在があります。ところが英国は王が君臨していますが、日本の天皇は君臨すらしていない。だから世界中から信頼できない国の筆頭になっています。北朝鮮は完全独裁で、しかも当てにはならないが話し相手は決まっている。これも宗教的なものです。日本は天皇も首相も当てにならないどころか信頼も出来ないのです。 そんな世界で唯一宗教を信じない事を自慢している国でもあります。だから無知な人たちは宗教を馬鹿にしている井の中の蛙です。当然、そんな中にいれば苦しむのも当たりまえの事なのです。 逆に、もし、貴方を誹謗する人が米国の片田舎に行ったとすれば、その人が貴方と同じ目に遭うでしょう。米国は宗教大国で、町の住人全てがひとつの宗教集団であることも不思議ではないからです。 宗教は個人のものであって、人のものではない。だから思想の違う相手に言っても通じるものではないのです。 それに教えは生き様であって、言葉ではありません。貴方が正しいと思う教えに従って生きていれば、それに気が付き賛同した人が自然に近づいてくる。「どうしてそんなに素敵な生き方が出来るのか」と聞かれたときに「私はこれを信じているから」と答えるだけ。そうすればきっと「やっぱりね。他の人とは違って、しっかりしていると思った」といわれるはずです。それが真の信仰生活です。 私はHNから推察できる様にカトリックですが、教会とのいざこざから教会には行っていません。 神は教会に囚われているのではなく、世界に君臨し統治ているからです。それに教会や神父は霊能者じゃありません。神と直接やり取りをするのは自分以外に無いのです。だとすれば、教会や神父(牧師)をアテにする必要もありません。 要するに、貴方は信仰と社会との両方にいい顔しようとしているから苦悩しているのです。しかも両者にいい顔しようとしているだけで、自分自身が無い。 思想とは、自分自身を強固なものにする、つまり自分自信を作るために持つものです。そしてその基準を社会にするか、宗教にするかの違いです。 貴方は人前で「神はこう言っている」とか「私の宗教ではこう言っている」なんて言いませんか?そんな事を言っている人は消化不良です。教えが身になっていない証拠。 また偉い人の名を出して相手を説得しようとするテレビの通販まがいな行為です。他の団体にありますよね。やたらと偉人の名を出して主張の正当性を誇示している人が。あれと一緒です。 教えが完全に消化でき血肉になっていれば、神の名を出す必要はありません。貴方の生き様が教えになります。それが十戒にある「みだりに神の名を呼ぶな」の意味なのです。 教会に行くなら隠れていきなさい。祈りをするなら一人の時にしなさい。神を邪神の目に曝さない様に 疲れたから信仰を捨てたい。・・・その程度であるなら信じる事を辞めればイイだけです。相談するほどのことではありません。離れていればイイだけですから。
- shizumo
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エホバの証人の生き方が魅力的であると言う以上、いったんやめても完全に抜け出せることは無いだろう。 なぜならばそれを信じているから。せいぜい休会するくらいでしょうね。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
自分的には普通の教会へ行くべきでしょう 同じ宗派で相談しても「絶対やめるな」と言うだけです。 もっと自分自身の感情を信じしっかり突き進めば 神はちゃんと道を示してくれるはずです。
- takotakoikaika
- ベストアンサー率10% (1/10)
親の愛は無条件です。両親に相談するのがよいと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます これから司会者の兄弟と研究があるので兄弟に相談してから親に相談したいと思います
お礼
神の存在は信じていますがもう教会とかには関わらないでおこうと思います ご回答ありがとうございました