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寺請制度以前の仏教人口
江戸時代の寺請制度以前から仏教を信仰していた人々は どれくらいいたのでしょうか? キリシタン人口は全盛期で数十万人規模だったそうなので 日本における歴史の長さを考えると 少なくともそれ以上はいたんじゃないかと思うのですが。 ご回答お待ちしております。
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ご質問の「仏教を信仰していた人々」を狭義に捉えるか、ほんの少しでも仏教思想に染まっていたら「信仰していた」とするかによって、数字は何十倍にも違ってくるように思います。 信仰度合いがキリシタンと同レベルの、仏教の信者さんは、NO.1さんの仰るように意外と少数のような気がします。 しかし、ほんの少しでも仏教に染まっていたという人を入れれば、当時の日本人の大多数が、仏教を信仰していたともいえるんじゃないかと思います。 仏教が伝来して1000年経過し、日本古来の神道(この神道という言葉も広義に捉え、原始神道的なもの)とうまく融合して、日本の隅々まで、なんらかの形で仏教思想が行き渡っていたと思います。 たとえば葬式ですが、この時代では今のような仏式の立派な葬式を出す人はそう多くはなかったと思います。 それでも、ほとんどの人は死者を葬る儀式めいたことをやっていたと思います。 本物のお坊さんを呼べなくても、山伏(仏教の修験道)に頼むこともあったてでしょうし、部落の中には有髪の亜僧のような人や普通人でも葬式の心得のある人がいて、儀式のようなことをしていたと思います。 神道は人の死というものに対して、割合と恬淡としているような感じを受けますが、仏教は人の死に対し親切?というか深く関わってくるところがあります。 仏教が伝来して1000年、そのような本物のお坊さんが来ない葬式でも、仏教的色彩はかなり濃かったのではないかと想像します。 このようなことで、当時の大多数の人々はなんらかの形で仏教とかかわりを持っていた、すなわち、寺請制度を受け入れる素地があったんではないかと考えられます。 だから、幕府も寺請制度を実行したのではないかと・・・。 以上は素人の推測、想像の類であまりアテにはなりませんが。
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- jinchanda
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安土桃山時代の推定人口は1500万人ほどだそうです。 神道信仰者が500万人くらいとして、キリシタン人口が30万人程だとしたら、970万人が仏教信仰者と言うことになります。 推測で申し訳ありません。 (-o-)/
- tanuki4u
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直感的に 数十万人。 ヨーロッパに於いて、一般庶民レベルで信仰が問題になったのは、宗教改革・反宗教改革(イエズス会とかそれらの運動)の時代から。 イエズス会の報告などは、たぶんその認識の元にされていると思います。 一方、日本に於いて、キリスト教的な庶民レベルでの教化運動をしたのは、当時は一向宗程度。 その他は、上層階級のみの信徒であったと思われる。 一向一揆の動員レベルを見ると、国別でだいたい数万レベル。これが、一向宗の多かった地域での実績。 とすると、北陸・近畿・東海など一向宗の多かった国数×数万で、数十万レベルではないかと考える。