仏教はお釈迦さんの教えがもとになっています。その教えの内容をひとことで言うと、「自分の欲望と執着をコントロールすることで、この世の苦しみから解放されることを目指す」というものです。ですから、お釈迦さんの意図としては葬儀はほとんど眼中になかったといえるでしょう。
そもそも葬儀というものが成り立つためには、対象がなければなりません。つまり「身体が死んでも生き続けるもの(=霊魂)」のようなものを想定してかかることが前提になります。お釈迦さんは、このような証明できないものに関わって時間を無駄にすることを戒めた人で、あくまでも「この世での解脱」をめざし、またそれを弟子に説きつづけたのです。
お釈迦さんの亡くなる前後の状況は、「長阿含経(じょうあごんきょう)」の中の「遊行経(ゆぎょうきょう)」とか、小乗の方の「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」などに具体的に描かれていますので、お釈迦さんが自分の臨終に際してどういう態度をとったのかがよくわかります。「歴史にてらして」ということですのでちょっとまとめてみましょう。
死期を悟ったお釈迦さんは「自分は遠からず入滅する」ということを口にします。やがて集まったお弟子たちの前で、臨終のお釈迦さんは「私や仏法や道について疑念のある者は今、私に尋ねなさい。あとで後悔することのないように」とおっしゃるのです(遊行経では三度)。
誰も声をあげる者はいないのですが、お釈迦さんは「私を気遣うために尋ねないのかもしれない。仲間に尋ねるように尋ねなさい」と言われ、それでも誰も尋ねません。
お弟子の阿難の「ここにいる者は誰も疑問がないので声をあげないのです」という言葉を聞き、お釈迦さんは最後の(有名な)言葉を述べられます。それが「私は、怠らずに励むことで悟りを得た。全てのものは移り変わっていく。お前たちも怠らずに励むことで悟りに達しなさい」という、お弟子への遺言でした。
恐らく実際にこのような言葉をお釈迦さんは口にされたのでしょう。この最後の言葉にさえ「世は無常であること」と「修行に精励すべきこと」という認識が明確に表されています。このことからも、お釈迦さんが「この世での苦からの解放」を目指す立場を貫かれたことは明らかでしょう。
その後、お釈迦さんの遺体は香湯で洗われ、新しい布や綿でくるまれ、棺に納められたうえで香油や香木で清められ、火葬に付されるまでの何日もの間、音楽や舞踊、散華で供養されたと書かれています(遊行経)。
このことを葬儀の始まりとみる人もいます。実際、現代の仏教の葬儀にはこの故事にならっている部分も確かにあるのです。
ただし、このような行為は、お釈迦さんの教えで積極的に触れられていないことですし、霊魂に対する宗教的な行為というよりむしろ、本当に偉大だったお釈迦さんの亡骸に対して最大限の尊敬を表そうとしたものだと思います。
事実、火葬のあと遺骨は8つに分けられ塔を建てて供養されるのですが、それにはお弟子は関与していないのですから。(詳しくは書きませんが、「塔を礼敬せよ…」という生前のお釈迦さんの言葉が引かれて没後供養を命じたように言う人もあるのですが、これは言葉の解釈を誤っています)
ただ、お釈迦さんの唱えた教えと今の日本の仏教が違っているからといって、ただちに現代の仏教が非難されるべき、とは私は全然思っていません。日本では日本なりの必要と意味があって千年以上に及ぶ「葬式仏教」の歴史があるわけで、その歴史を踏まえて論評すべきだと思います。
また、「葬式仏教」といって現代の仏教を批判する場合、現代の仏教のあり方そのものの批判というよりも、僧侶の質の問題であるとか、僧俗のコミュニケーションの問題、布施の金銭的な問題などを批判している場合が多いのですが、それはまた別問題として論じるべきでしょう。
少なくともお釈迦さんの教えを信じる者は、他人の態度を云々すべきではないし、そもそも批判するよりも先に自分が正しく実践すればよいのです。そのことそのままが、数多くの原始仏典に示されているお釈迦さんの人生の態度でもあるからです。
お礼
詳しいご回答をいただきまして、たいへんありがとうございました。