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大名の乱心

江戸時代、乱心して改易になった大名の人数は大名の総数を考えると結構多い気がします。 これは大名という環境・地位によるのでしょうか。 諸藩の家中でも乱心沙汰というのは結構あったのでしょうか?

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noname#24488
noname#24488
回答No.3

 乱心→精神が不安定なために起きたことだと思います。病気ではないけれども不安定な性格がどのように形成されるか、素人なりに考えてみました。  第一に先天的なものがあろうかと思います。  第二に、乳児期の環境です。最近の研究ではこの時期の養育者(とくに母親)との愛着関係はその後の人生における対人関係の原型を形成するといわれています(愛着関係があることは安定した性格を作り上げるのに大いに寄与します)。  第三にその後の環境です。  そして第三の環境により形成された性格を後から変えることは できないことはないですが、第二、第一に行くにしたがって困難になります。    以上の三点について、大名と今の我々一般人とを比べてみますと・・・  先天的なものは大名も我々も大差はないでしょう。  大名の乳児期の環境については、実の母親とのスキンシップが少ないということが想像されます。乳母のやり方いかんですが、乳児期の環境は我々よりは不利ではないかと思われます。  その後の環境については、我々よりも大名の方が良き扶育者・指導者が付く可能性が大きいわけですが、大名全員に良き扶育者がつくかどうか不明であり、なんともいえないところです。甘やかし、わがままし放題ということも充分考えられることです。  以上のようなことで、安定した性格を形成するには、大名の家に生まれ育った子供は不利ではないかと考えます。  次に長じて大名になってからのことですが、どうしても長子、嫡子優先の傾向がありますから、どうみても「殿様不適」の人物が殿様になる例が少なからずあったようです。  それから、藩の運営がうまくいってればいいのですが、経済的にも内実は大変だったようですし、民百姓の不満の押さえ込みや重臣の勢力争いなど、殿様にかかるプレッシャーやストレスは相当なものがあり、わがまま育ちで前さばきが下手な殿様だと、つい「ご乱心」に行ってしまいそうな気がしますね。殿様という商売も大変です(笑)。  普通の武士の場合で聞こえてくる「乱心」の例は、刃傷沙汰が多いように思います。これは武士特有の「恥の文化」がなせる業でしょうね。  つまらない口論が発展して、最後は切腹という「最高の見栄」を切って責任を取り、人生を棒に振ってしまいました。

noname#30350
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 刃傷沙汰は武士文化のなせる業ですか、 死に対する価値観も今とはかなり違ったのでしょうね。

その他の回答 (3)

  • iraburyou
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回答No.4

「押し込め」というものもあったそうです。 精神的な病とかじゃなく、素行不良やもろもろで「お家」のためにならないと、家臣団(家老クラスの数人)が 考えた場合に、城主を屋敷牢などに「押し込め」て、世代交代を迫ることだそうです。 こういうものは表向きは「ご乱心」だったのではないでしょうか。

noname#30350
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 家臣にとっては当主よりもお家の方が大事ですよね。当たり前ですが。 そういう名目的な乱心もあったのでしょうね。

  • komes
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回答No.2

封建制度という環境では大名は世襲制で領主という支配者として適格な人物が連続して生まれるという保証はありません。 しかも例え不適格者であったとしても世襲の制度に違反することは許されません。 しかも大名は領地の最高権力者ですからある程度自由気ままです。 このような環境の下で、一般の眼で見て乱心と映らない行動をとるには強い自制心を必要としたことでしょう。 しかもこのような最高権力は欲望の対象に成りやすく、有力な重臣にはこれを手に入れる手段として藩主の乱心を演出する手段に利用される事も多かったのです。 さらに幕府側にもこのような騒動を利用して取りつぶし、減封で幕府の権威を高めようという思惑がありました。 このような事情から利用されたのがお家騒動による取りつぶし、減封でした。

noname#30350
質問者

お礼

大きな大名家では○○騒動と名の付くものも多いですね。 そういう名目的な乱心に加えて、刃傷沙汰なども結構多かったように思います。 ありがとうございました。

回答No.1

具体的な記録は述べられませんが、細かな事件まで含めるとあったのではないでしょうか? 時代は変わっても人の心は変わらないといわれます。歴史とはいえ、人間の社会ですから、代変わりが起きると「俺だったら…!」と野心を燃やす子孫は出てくるはずです。幕府とその大名といっても数はしれており、大概は顔見知り。狭い範囲での人脈で権力は構成されていたのだからなおさらです。いつの世にも乱心を醸成する空気は存在したはずだと思います。 ただ、「乱心」というのはあくまで建前上のことで、実は権力側が支配構造を確固たるものにしていくために、意図的・計画的に改易を進めていったという見方もできます。事実は実のところ、こんな風だったりするものです。

noname#30350
質問者

お礼

狭い人間関係という特殊な環境下では普通より多かったかもしれませんね。 刃傷沙汰のような典型的な乱心ならともかく、意図的に改易するための名目として利用されたということはあるでしょうね。 ありがとうございました。

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