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江戸時代のキリシタン(大名)
切支丹大名は、江戸時代には皆無だったのですか?
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戦国時代ならば、黒田官兵衛、大友宗麟、中川清秀(細川忠興もかな?)など洗礼を受けたキリシタン大名が存命中でかつ大名なら江戸期でもキリシタン大名は初期は、存在するでしょうが、中後期以降はほぼいなかったと思います。 回答の一つで書いてあった前田利長にしても前田家2代目で江戸幕府成立以前に生まれています。 キリシタン大名の息子あたり(黒田長政とか)ならキリストに多少の理解のあったかもしれません。(ただ黒田長政がそうであったかわよく知りません。すいません)
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- TTl888
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江戸時代の島原の乱以降キリスト教が完全に御禁制になったので、戦国時代もしくは、安土・桃山時代生まれの大名ならキリシタンはいたでしょうが、家中にキリシタンの当主がいたら間違いなくお家取り潰しにあうため、そのような人物が当主または大名になることはほぼ確実になかった(させなかった)かと思います。
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ご回答、ありがとうございます。 隠れキリシタン大名のように噂されている方はいなかったのでしょうか?
- hazu01_01
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初期には隠れていた可能性がありますが、すぐにいなくなったでしょうね。 また、初期には切支丹大名でなくとも、切支丹に理解のある大名はいたと思われます。
お礼
ありがとうございます。 初期はキリシタンには割りと寛容な風潮もあったのかもしれませんね。 中期以降でキリシタン大名というのは聞いたことがありませんので、質問させていただきました。
いないことになっていますけど、噂では加賀100万石の前田利長などがそうだったとか言われています。 七尾の本行寺が隠れキリシタンの寺とか・・・。 http://web3.incl.ne.jp/gakuen/ 噂ですけど。
お礼
ありがとうございます。 初期の大名では、本人や妻子がキリシタンではあったようですが、泰平の世が続いていた時、 キリシタンだけでなく、大名やその妻子にキリシタンがいたのかな?と思い、質問させていただきました。 リンクもありがとうございました!
お礼
再度ありがとうございます。 初期は過渡期だったかもしれないけれど、それ以降は記録に残るような、 キリシタン疑惑がある大名はいなかったのですね。