新たに領地をもらうというのは、新たに取立てられたり、加増、国替えなどで、いろいろとやるべきことは多く、また年貢もすぐに入ってくるわけではなくて余裕がある状態とはいえません。
そのためできるだけ出費がないように新規築城などはしたくはなかったでしょうが、それでもメンツのためにもせざるをえませんでした。
しかし、勝手に築城できるわけではなく、少なくとも武家諸法度が発布されたあとは新築だけでなく修理についても幕府の許可をえなければなりませんでした。
江戸時代において築城、特に縄張りや普請(土木作業)は武士のやるべきことであり、これらの作業は家臣に石高に応じて割り当てましたから、すでに城があっても、家臣の負担は減っても直接大名の負担が減るということはありませんでした。
これに対して作事(櫓や御殿を作る)については大工仕事でしたからこれらの必要がなければ大名の出費は減ったにしても、前領主のときのままではまずいのて資金に余裕があればある程度の変更があったり、御殿などは建替えしたりすることがおおかったでしょう。
また、この頃は自分の城だけではなく、幕府からあれこれとお手伝いを命じられましたから、自分の築城費が浮いたとしてもすぐにお手伝いなどで使わされてしまいました。
お礼
前領主のものをそのまま使うのにも不都合が生じるのですね、ありがとうございます。