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大名の国造り
江戸時代初期に大名が領地をもらった先でもう城があって築城費が浮いた大名はその金を何に使うことが多かったのですか?庭園づくりですか?
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新たに領地をもらうというのは、新たに取立てられたり、加増、国替えなどで、いろいろとやるべきことは多く、また年貢もすぐに入ってくるわけではなくて余裕がある状態とはいえません。 そのためできるだけ出費がないように新規築城などはしたくはなかったでしょうが、それでもメンツのためにもせざるをえませんでした。 しかし、勝手に築城できるわけではなく、少なくとも武家諸法度が発布されたあとは新築だけでなく修理についても幕府の許可をえなければなりませんでした。 江戸時代において築城、特に縄張りや普請(土木作業)は武士のやるべきことであり、これらの作業は家臣に石高に応じて割り当てましたから、すでに城があっても、家臣の負担は減っても直接大名の負担が減るということはありませんでした。 これに対して作事(櫓や御殿を作る)については大工仕事でしたからこれらの必要がなければ大名の出費は減ったにしても、前領主のときのままではまずいのて資金に余裕があればある程度の変更があったり、御殿などは建替えしたりすることがおおかったでしょう。 また、この頃は自分の城だけではなく、幕府からあれこれとお手伝いを命じられましたから、自分の築城費が浮いたとしてもすぐにお手伝いなどで使わされてしまいました。
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- char2nd
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与えられた領地にすでに城があったとしても、そのまま使えるかどうかは分かりません。大抵は多少なりとも手を加えることが多かったようです。 そのそも、江戸開布以降は城を勝手に築造したり増改築することは禁じられていまし、全く使える城が無い領地というのもあまりなかったでしょう。 幕府は一国一城制を基本としていましたから(例外はある)、居城以外の城は逆に取り壊されていったはずです。 城の新築・改築にかかる費用は、各大名の持ち出しですから、「浮いた金」というのは発生しませんね。新しい領地に配されたら、やらなければならないことは山ほどあります。
お礼
多少手はかけたはずですか、ありがとうございます。
お礼
前領主のものをそのまま使うのにも不都合が生じるのですね、ありがとうございます。