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武家の借り入れ
武士が町人から金を借りてるのは頼母子講や藩からの借入枠では足らない多額借り入れの人なんですか?
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江戸幕府は武士の無尽講への参加は、賭博性の無い普通の頼母子講でも禁じていました。 もっとも金策として簡単な無尽講への参加は、大名から旗本の家来に至るまで、こっそり行われていました。 商人も含めた無尽講に参加したことも一因になり、改易になった大名もあります。 旗本、御家人の困窮振りに幕府は、しばしば恩貸、賜金などを行っていました。 それでも足りず、先の知行米、蔵米を担保に札差から借金せざるを得ませんでした。 寛政元年老中は惣札差を集め、旗本、御家人への貸し金が永年の取引になり、利足(利息)を重く取り立て利潤をあげ贅沢な暮らしをし、その上用達の旗本、御家人にたいし失礼な振る舞い言語同断、厳しいお咎めあるべきだが、この度は格別の御憐憫を持ち赦して遣わす。 と申し渡した。 その代わり今後の利足を下げ、さらに旧来の貸し金は帳消しにする徳政を命じました。 一般の藩では幕府のような援助どころか、上士に対してはは知行借り上げという減給をし、下士でも同率または多少減らした減給をするところが多く、大名を始めとして札差から借金せざるを得ませんでした。 大名では札差と掛け合って、借金を棒引きにしてもらう所もありました。 後日その札差が幕府から咎めを受けたとき、その大名のお陰で助かったという話もあります。
お礼
頼母子講は表向きご法度ですか、どうもありがとうございました。参考にします。