- ベストアンサー
江戸時代の身の守り方:農民や商人が武士の暴力からどう身を守っていたのか
- 江戸時代の農民や商人は、様々な方法で武士の暴力から身を守っていました。
- 質屋や高利貸しの場合、商売の取引において武士に対して優位な立場を取ることでお金を取り立てていました。
- また、身分の低い人たちは武士の威嚇や威圧に対して様々な対処法を用いていました。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
えーとですね、一度貴方様の頭の中にある江戸時代や侍に対する知識を『消去』しましょう。 貴方様の頭の中の知識はいい加減な時代劇がベースになっていますから。 モラルや犯罪面は武士の方がずーっと厳しいのですよ。 そもそも基本的には武士階級と町人階級は交流しません。 町人と武士で争いが起きたら、もうその時点で武士側が責められます。 武士というのは、主君やお家の為に命を懸けて戦う『高貴な戦士』なのです。 その『高貴な戦士』が下賤な町人なんかとケンカしたら、その時点で『高貴な戦士』失格です。 町人は対等な敵ではありません、戦うレベルではない対象です。 ですから、無用な争いが起きないようになるべく町人とは交流しないようにしていたのです。 町人に対する事件で特定の武士の名前が上がったら、その時点で武士としては大変不名誉なことであり、処罰されます。 犯人であろうが無かろうが、犯罪がらみで名前が出たという事自体が問題なのです。 でっ、当然、その武士には調査が入ります。 武士が町人に好き勝手に横暴に振る舞うの『作り物の時代劇の世界だけ』です。
その他の回答 (4)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11083/34534)
今の社会と違って、江戸時代当時は横のつながりというのがありましたからね。 その典型的な話が歌舞伎の演目にもなっている「極付幡随院長兵衛」です。不良旗本で評判の悪かった水野十郎左衛門とその仲間の狼藉の度が過ぎたため、地域の顔役だった幡随院長兵衛が仲裁に入りますが、面子を潰されて面白くない水野十郎左衛門は長兵衛をおびき出して無礼討ちという名目で殺してしまうのです。 ところがこの水野十郎左衛門、結局切腹を命ぜられるのですね。この事件は江戸時代初期に発生し、これが「判例」となって、以降、「町民や農民を無礼討ちにした武士は、無礼討ちにしなければならないほどの恥をかかされたのは不届き千万だから切腹を命ぜられる」となったのです。 他にも歌舞伎には、町人衆の代表である町火消と武士階級の代理である力士とのケンカを描いた「め組のけんか」って演目もあります。 あと、他の人も指摘していますが、当時の武士っていうほど武道(剣道)はできません。だってさ、そういうのを習うにもお金がかかるじゃないですか。戦争もないのに武道を習う意味なんてないでしょ。だから刀なんて抜いたこともないまま一生を終える武士なんて大勢いました。江戸時代の武士は武道を習うくらいならもっと文化的なものを習うほうを選んだのです。 だから、幕末になって治安が不安定になっても武士は頼りにならないから、農民階級出身の新撰組なんかに危険な仕事をさせたわけです。
お礼
その作品を読めば法令とか建前ではない現実の雰囲気がみられるかもしれませんね。 いいヒント キーワードをありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
斬りすてゴメン、なんて実際はほとんど行われて おりません。 正当の理由があれば斬ることは許されていましたが 正当の理由の有無は、旗本なら老中が調べて採決 します。 それに江戸市中では武士は刀を抜くことは御法度です。 抜けばお家断絶だってありました。 町人もそれを知っていますので、気の強い者は武士に 因縁をつけて楽しむ、なんてこともやられていました。 だから、武士は無用の外出は避けるようになります。 武士が借金を返さなければ、町人は屋敷まで取り立てに 行きます。 返さなければ、門前で騒ぎ立てます。 面子を重んじる武士としては困ります。 又、上司や藩に訴えることもできます。 これも困ります。 それに、一度踏み倒せば、次からの借金に困ります。 町人間では回状してブラックリストに載せます。 取り立ての専門として、不良御家人などと契約し、その 御家人に取り立てさせる、なんてこともやっていました。 金さえあればそういうことも可能です。 江戸時代の武士は、官僚化しています。 刀などただの飾りという場合がほとんどです。
お礼
回答ありがとうございます。 武士からの取り立ての際の護衛は不良御家人であって、町人農民階級出身ののごろつきはいなかったんですね。 参考になりました。
- 風車の 弥七(@t87300)
- ベストアンサー率24% (1392/5660)
>>農民や商人は武士の暴力からどう身を守ってた 切り捨て御免なんて、テレビの見すぎです。 武士はほとんど一般庶民には手を出しませんでした。 一般人を一人切り殺すと、そのあと上役や今の警察に当たるところから事情聴取がありました。 悪質だとそれなりの処分があったそうですから。 杉浦日向子さんの江戸時代の本を読んでみてください。
お礼
たしかに多くの目撃者がいる状態では武士が階級の低い人間相手でも非の無い者に手を出すことは困難だと思います。 ですが少人数しかいないときはどうでしょうか。 被害者が商人一人で目撃者が町人二人だとして彼らは非武装、武士は刀を持ってて有利なわけです。 奉行所?から事情聴取があるのは被害者か目撃者どっちかが生きていて通報したときのみに限定されますよね。 借金してたり普段から揉めてたりすると、仮にその場を直接見た人間がいなくても、「武士と被害者の普段の言動」を底辺階級者が証言したらそれ「だけ」で武士階級をお上に取調べしてもらうことは可能だったんでしょうか?どうでしょうか?
補足
ご回答ありがとうございました。
- shorinji36
- ベストアンサー率17% (406/2382)
基本的には泣き寝入りするしかありません。それが一揆へと発展しておりました。 しかし、武士もその辺のゴロツキではございません。対外的にも金払いはいいし、大義名分が無ければ簡単に人を殺すことなど出来なかったのです。 腐敗した国の警察官とは違いますよ。もっと日本人は過去に誇りを持っていい。
お礼
殺人の定義は「人」を殺すことですよね。 今の日本の価値観・常識では日本人は法律上みんな同格ですが、あの当時の武士と町人商人農民は同格だったんでしょうか。 武士の武士に対する犯罪や、町人の町人に対する犯罪は犯罪ですが、 武士が階級の低い人間を傷つけたり殺したりしたとき当時の価値観では殺「人」に該当したんでしょうか。 また、農民や町人が武士より階級が低いことは大義名分と当時は判断されませんか?
補足
ありがとうございました。
お礼
ていねいなご回答ありがとうございます。 理解できました。 武士と町人・農民が仲良しのシーンは創作作品の中にしか存在しない幻想だったんですね。 たしかに接触が極端に少ないなら人間トラブルが起きる可能性自体ありません。