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日本語の詩における子音連結(コンソーナント・クラスター)について

ヤクビンスキーの「日本語は詩においてのみ、子音連結(コンソーナント・クラスター)が見られる。故に日本語には日常的に使われる日本語と詩においてのみ使われる二つの日本語がある」という説について、子音連結の例を挙げてくださる方はいらっしゃいませんか?おそらくここで述べられている「詩」は俳句や短歌を指すと思うのですが。 よろしくお願いします。

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  • exangel
  • ベストアンサー率44% (12/27)
回答No.1

日本語は「子音+母音」を一音とする言語ですので、日常的に使われる日本語の中で子音連結は起こりません。しかし、俳句や短歌には五七の拍があり、その拍に従って歌を詠むので、往々にして子音連結が起こり得ます。 例えば「古今和歌集」より小野小町の句。 花の色は/うつりにけりな/いたづらに/我が身世にふる/ながめせしまに ここで「花の色は」を日常的な日本語として見れば「hananoirowa」と全ての子音に母音が付くので六音になります。しかし、これを和歌の拍の定義に従って(つまり五音として)見れば「hnanoirowa」と最初の「は(ha)」の母音が消されてしまい、「hn」の子音連結が起こります。つまり、俳句や短歌のような決まった拍の中で字余りになってしまう句のほとんどで子音連結が起こり得るということになります。 自分も専門ではありませんので、ヤクビンスキーの説に準じているのかはわかりません。あくまで推測です。しかし、そう考えるのが最も自然なのではないかと思います。他の方の意見や、文献などで調べて頂いた方が確実でしょう。

Vzlet
質問者

お礼

ありがとうございました。お礼が遅くなってしまいまして申し訳ありません。 詳しい説明を本当にありがとうございます。大いに参考になりました!

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