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日本語における頭子音消失化の有無について
中国語祖語と中国語の上古音・中古音の研究によると頭子音消失化が立証されています。 日本祖語から大和言葉(和語)に亘って同じ頭子音消失化があったか、なかったか、裏付ける研究はあるでしょうか。教えて下さるとありがたいです。
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僕は専門家ではありませんが「非常に新しい」という意味で massara などがあり、前の要素「マ」(真の字がよく当てられます)を除いた 頭子音の s が消失したのではないか、という意見をどこかで見たような気がします。 p > f > w > ゼロのような「ハ行転呼音]関係の音変化は、結果としては頭子音消失でも、時代的には奈良後期、広範囲に亘るのは平安中期以後、なのでずっと後になります。 日本祖語から和語に至る場合、漢字の資料は、頭子音ないし頭子音群(「樂」の再構の gl など)消失の後なので恐らく役に立たず、内的再構成に頼るほかないでしょう。
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- kamobedanjoh
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日本書紀や古事記の訓本に、時折見掛けます。 「大分」に「オオキダ」の訓が付されており、今日では「オオイタ」の県名になっていて、「kida」→「ita」への子音脱落が見られます。 外にも「上野」は「カミツツケヌ(上毛野国の意)」が、「コウヅケ」に変化し、「上野之介」は今日でも「コウズケノスケ」で通用しています。東京都と三重県にも上野が有り、双方「ウエノ」ですが、「カミツケヌ」の国名が「コウズケ」なので、古文書等では「上野」だけでは、誤解される場合もあります。 「丹波」は元々「タニハ」であり、奈良時代に分国されて「丹波」、「丹後」、「但馬」とされました。現在の読みは、それぞれ「タンバ」、「タンゴ」、「タジマ」です。国名に丹後があって丹前が無いのが不思議です。その他の場合は「豊前・豊後」、「筑前・筑後」、「備前・備後」、「上総・下総」などと、前後関係または上下関係で表されていますが、理解しにくいですね。 「築山」は「ツキヤマ」だったり「チクヤマ」だったり、「築地」は「ツキジ」だったり「ツイジ」になっていたり、「オヤカタ」が「親方」の意味や「お館(殿様)」だったりと、外国の人からすれば、随分厄介に感じられることと思えます。 特殊な発語や用例には慣れて戴くしかないので、大変お気の毒です。
お礼
「丹後」ですが、実は、私も「タンゼンは?」と思ったことがあります。おっしゃる通り、「豊前・豊後」「筑前・筑後」「備前・備後」も「越前・越後」もあり、なぜ「丹前」がないのかなあ、と。 「外国の人からすれば、随分厄介に感じられることと思えます。」 確かにそうです。地名・苗字とも謎が多いです。なぜ長谷川を「はせがわ」と読ませるかと思って、調べてみたことがあります。すると、音声的な説明は理解できても、なぜ「初瀬」が例外的に「長谷」で表記するようになったのか、納得のゆくような説明は未だに読んでいません。 余談になってしまいますが、「謎が多いです。なぜ長谷川を。。。」のところを読み返すと「なぞ」と「なぜ」の語源的な関係(?)が気になりました。調べてみます。 ご回答、ありがとうございました。
- SPS700
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#1です。補足です。 >>massara の話ですが、もしかしたら下記の論文のこと? http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/metadata/1469 いえ、もっと前に、Swadesh、Martin、Miller あたりが朝鮮語、アイヌ語、アルタイ語族などとくっつけようとしていた頃です。
お礼
こちらの論文の参考文献としてリストアップされているのが Swadesh et al ではなく日本の学者ばかりなので関係のない研究グループが出したものみたいです。 ご回答、ありがとうございます。
お礼
「。。。時代的には奈良後期、広範囲に亘るのは平安中期以後。。。」 「日本祖語から和語に至る場合、漢字の資料は、頭子音ないし頭子音群(「樂」の再構の gl など)消失の後なので恐らく役に立たず。。。」 そうですね。私の関心が大和言葉と言える言語の由来から遅くても奈良時代までです。勿論、この期間だとどの仮説でも推論にすぎませんが、研究の現状はどうかなあと思いまして。 ご回答、ありがとうございました。
補足
massara の話ですが、もしかしたら下記の論文のこと? http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/metadata/1469