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怒るより怒るほうが気分が憂鬱になるなんで?

怒るより怒るほうが気分が憂鬱になります。怒った時は、この人のためになることをいったとか思いますが、時間がたつと、何も言わなければよかったとか思って憂鬱になります。心の病気でしょうか?どのようにたちなおればいいでしょうか?

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  • ioaaaoa
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回答No.1

言葉は人を生かしも殺しもしますからね・・。さて、「怒る」と「叱る」は違うものだと思いますよ。・・怒(いか)る=その時の自分の感情を基準にただ腹を立て、言葉や態度で相手に示すこと。・・叱(しか)る=自分より年下の子供の言動などをとがめて正義や道理を諭す。・・つまり「叱る」こととは、後々にこの人のためになることをいってあげたときに初めて意味を持つと思います。・・ただし大人が大人を叱ってもたいした効果はない。ましてや、ただ瞬間湯沸かし器のように怒ってもほとんど何の効果もなく、増して自分の心象を悪くするだけですかね・・。誰かを怒ったあと、時間がたつと、何も言わなければよかったとか思って憂鬱になるのは、自分の価値観や利益だけが優先して、客観的に物事を判断できないときに起きてしまうと思います。・・人の命に関わるような緊急のタイムリーさを必要としないものであれば、「今、言いたい事は、後で言え。」「今日、言いたいことは、明日言え。」みたいに、時間差をつけておけば、そのうち言わなくても済んでしまうことって、人生では意外に多いものです。

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回答No.5

 「何も言わなければよかったとか思って憂鬱」になるのは、怒り方に問題があるのでしょう。的をついた怒りは、自分を表現できた満足感がありますが、感情と心が乖離した場合、「ああ言えばよかった」「余計なことを言ってしまった」ということになります。特に、自分をあまりさらけ出し過ぎる怒りは、相手の前で自分の心がストリップ状態になり、あとで恥ずかしさと悔いが残ります。

  • sarujie-k
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回答No.4

怒(おこ)るということ 相手を心から憎いと思うときに怒る。 相手を愛しているからこそ怒る。 理不尽な行いをされて怒る。 相手を恫喝、屈服させるために怒る。 いろいろな場面で人間は自分の感情を怒り(いかり)で表現します。 怒る=愛情表現 怒る=押し付け(相手を責める) 怒られたほうは、その状況によって対応が違います。 怒っている人に愛情を感じれば、それを理解し涙する。(この人は私のことを考えて怒ってくれている) 怒っている人に、憎しみを感じれば、逆に反発する。(こいつは自分を踏みにじろうとしている) 怒(いか)りが、こみ上げてくるのは、多くの場合、その人の人間の修行が足りない場合に起こる現象のような気がします。 理路整然と相手を説得する器量がない場合、口では表現できないので、怒(おこ)るという感情となって表れます。 政治家の論戦を見てください。誰も怒りの感情を出しませんよね。 怒ったら負けなのです。感情的になる人は政治家にはなれません。 すぐ感情的になる人に、政治はまかせることはできないからです。 私も体験したことがありますが、”ディベート”という論法で相手と疑似論戦します。お互いの欠点を責めあいます。声が枯れるまでやりあいます。 そうすると、言葉では言えない感情が身につきます。 それから、私は誰がなにをやっても怒らなくなりました。 怒って相手を説得することが、いかに無駄なものかがわかったからです。 怒りたくなっても、相手に、「なにを思ってその行動をとったのか、また言ったのか」を聞きます。相手の立場に立つということを覚えました。 悪い事とわかっていても「なにがしたかったの?」「なにがあなたをそうさせたの?」ということを聞きます。 絶対、相手を責めないことです。 相手はあなたの鏡です。あなたが怒れば相手も怒ります。あなたが相手の気持ちになって理解しようとすれば相手も心を開きます。 あなたが憂鬱になるのは、本能的に自分に対して憂鬱になっているのです。 相手を説得できなかった、言い負かすことができなかったなど、後悔の念があなたを憂鬱にさせるのです。 いつも、心を静かにして、相手を思いやる気持ちで接する。 これを実践することができたら、のびのびとした人生となると思うのです。 私は家族、特に子供が成長期のときに、子供がなにをしても怒りませんでした。ちょっとした事件を起こしても 「お父さんがお前をちゃんと教育できなかった。申し訳ない」と子供に謝りました。 相手があれば、子供に謝らせることはしませんでした。私が「子供をうまく教育できなかった私の責任です」と土下座をしました。 この行動が、良い悪いは別にして、今現在、子供たちは成人し、正義のある生活をしています。ただ、相手の立場に立って判断することをするので、相手にこちらをだます意図があるとだまされてしまいます。 そうすると「人をだませばいつかバチが当たる。だますほうでなくて良かったね」といった会話をします。

  • hakobulu
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回答No.3

「怒る」というのは、身体の危機を感じた時は別として、 他者の言動に対して許せない、という感情が湧く時だと思います。 この「許せない」という判断がなぜできるのかと言えば、 それが「許せないことであること」を自分自身が良く知っているからです。 「許せないことであること、を良く知っている」ということは基本的に、自らの中にもその要素があるからに他なりません。 外国の人にとって頬へのキスは親愛の挨拶になる場合がありますが、日本人はあくまで愛情表現という認識があります。 自分の恋人に対して他人がキスした場合、日本人は怒るでしょうし外国人は怒らないでしょう(無論、時と場合によるわけですが)。 日本人が怒るのは、自分がキスをするとすれば恋愛感情があるからだということを良く知っているので、相手もそういうつもりでキスをしたのだと判断するからです。 時宜を得てさえいれば、キスを挨拶として認識できる外国人が怒ることはありません。 他人の恋人に恋愛感情を持ってキスするなんてとんでもないという怒りは、自分が他人の恋人に対して同じ行為をした場合の自分自身の卑劣さ、嫌らしさが想像できるからです。 人は自分で為し得ないことを想像することはできません。 想像できるということは、どんな事柄であっても状況によっては自分も実行できる、ということを示しています。 つまり「怒り」というのは殆んどの場合、自らの内面への攻撃と裏表の要素を持つものです。 「>何も言わなければよかったとか思って憂鬱になります」とおっしゃるのは当然でしょう。 しかし、これは煩悩のひとつでもあり、誰しも避けることの難しい感情であることもまた事実です。 先に述べたような自身の内面に対する想像力を働かせることによって、他者への理解の糸口を掴もうとする意向さえあれば徐々に解消していくのではないか、という気はします。

noname#24129
noname#24129
回答No.2

私がある人のためになることをいう→その人のためになる→その人は喜ぶ→その人は感謝する→感謝されたら私は嬉しい こんな感じで、予想といいますか、期待といいますか、そういったものが、こころにあるのだと、私は考えます。 人のためになることを、感情をともなわせていう必要はあるのかどうか考えます。 人のためになることは、人のためになってからでないと分からないと考えます。 感情的に人のためになりそうなことをいった場合、もし、その人のためにならなければ、感情的な印象のみが残るのではないかと思います。 それは、いったほうもいわれたほうも、あまり快い経験にはならないでしょう。 私もあなたと同じような経験をしたことがあります。私は間違っていたと考えました。 私の場合は、ものの見方や考え方を変えることで、立ち直ったような気がします。 私は、あなたが心の病気かどうか、診断する資格はありません。

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