「1+1=2」というのは、先に「a+a=2a」というものが成り立っていて、その上で「a=1」を代入したのだという風に考えることができると思います。
つまり、1という数字も便宜上の記号であるということです。
最初の1と次の1が同じものであると仮定して、それを混合させることなく数え上げると、同じものが2つであるということになる、という文法なのだと思うのですが、「+」という記号はともかく、私には「=」というのが納得のいくものではありません。
1+1=3ー1、ではなぜいけないか。
「=」というのが等しいということで言えば、一番等しいのはトートロジーである、「1+1=1+1」です。
でもそれでは何も言わないに等しい。
そこで「=」は、表現の仕方を変えつつも同じことを言う記号であると考え、もちろん1+1=3ー1とか、1+1=50×4÷100とかいった「答え方」も可能です。
この式の裏には、どうも「右辺には数式よりも数字が書かれることが優先されなければならない」という、明文化されていないルールがあるように思われます。
こうした背景のルール(もちろん、記号の取り扱い方についてのルールも含める)を遵守した上で考えるなら、1+1=2、が正解ということになるのでしょう。
補足
その映画はGYAOで見ましたが今回は無関係です。 下の「丸い三角形は存在しない」もそうですがやはり質問の仕方がまずいですかねえ。 といってクリプキやラッセルの名前を出すと回答が得られないし、難しいですね。