アメリカに38年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。
私は「初心忘れずべからず」と言う日本の言葉を大事にして生きていきたいとできるだけいつも思って行動していきたいと思っているものです。
ただ昔のことを思い出すだけでなく、ただはじめた時にどう思っていたのか、だけでなく、どれだけ自分には出来なかった事があったのか、どれだけ自分は今日まで向上し続けてこられたのか、なども非常にこれからの自分の向上に向けて自分と言う物を素直に見る事が出来るからなのです。
今回のご質問になぜこの大切な事を書くのかお分かりですか?
willと言う「単語」を文法と言うものさしでしか見せてくれない学校英語教育があるからこそ今回の「素直な」「非常に自然な」「疑惑」が生まれてくるのです。 しかし、100%に近い確率であなたの今もっているこの件に関してのフィーリングは「作られた知識」によってぶちのめされてしまうのです。 willは助動詞であって「過去形」としてwouldがあり、そしてその上に、wouldをwillの過去形である、と決め付けているのです。 そして、その証拠として、文法がそう言っている、イギリスでもアメリカでもそういう文献がありインターネットでも「正しい」と言っているよ、と正当性を押し出そうとしています。
私は未来から見た過去と言うものは存在すると思っています。(この点は基礎文法と同じです)
しかし、丁寧さ等の「今の」フィーリングを出す表現、仮定法や話法表現での時制変換などまったく過去とは関係の無い使い方をしているのです。 この事実を知り尽くしていながら文法学者さんたちは「過去形だ」と言い切り、この説に対しての「素直な」反応である「現在のフィーリングを表しているのに過去形のはおかしい」と言うフィーリングを無視しているのです。
wouldにはwillの過去形でもあるし、wouldの現在形である、と言う非常に変わった単語である、として何がおかしいのでしょうか。
Would you please do this for me? 過去形ですか? それとも現在形ですか?
I would like to take you a special place tonight. When can I pick you up?のwouldは過去形ですか?
便宜上過去形としている、と言う意見には私は同意できます。 しかし、過去形だから過去形だ、と言う意見にどうやって同意できると言うのでしょう。
もちろん、過去形、と決めてしまったので、それを正当化するための「回答(解答ではなく)」が参考書に書かれているものです。 would you pleaseもwould like toも「仮定法の一部と考えるから」と言うのはそのひとつです。
私は,つまり、wouldはwouldと言う単語があり、昔は何かwillと関係があったのでしょうが、wouldを現在持っているフィーリングを表している単語である限り現在形としていいと信じるわけです。
これは、should, might, couldについても同じです。
という事で、willにwouldと言う過去形があると言う事は、willに何かしらのスペルと発音を変えて問題なく過去である事を示したいから英語を作り上げてきた多くの一般庶民が自然の流れとして作ったものなのです。
wouldと言う現在のフィーリングを出すにもいつの間にか使われるようになり、「じゃ、自分もそういうフィーリングを出す時に使おう」となったわけですね。 これは、もちろん、日本語の表現の変化とまったく同じです。 「全然」と言う単語が否定文に大正・昭和と一般的に使われてきたのが、「自然に」時代の流れとして、言葉の歴史の一ページになったわけですが、今では肯定文にも使われる様になりましたね。
miffysさんのご自分の英語への理解を深める為に聞かれたのか、それとも学校英語への理解をするために聞かれたのか、によって、私が書いたことに価値があるかが変わると思いますが、私が感じるままに、そして多くのアメリカの一般人が文法を考えずにwouldと言う単語を使っている背景として、今回は書かせてもらいました。
これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
なるほど。例文などでご説明していただき、ありがとうございました。 大変わかりやすかったです。