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左遷という言葉の意味を調べていたら・・・
一般的に地位の降格を「左遷」といいます。 どうやら右は左よりも尊く見られているようです。 そこで疑問に思ってしまったのが『水戸黄門』。 「すけさん」と「かくさん」はどちらが偉いんでしょうか。 どなたかお分かりになりましたら教えて下さい。 宜しくお願いします。
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- sumiyoshigawa
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えーと、質問の主眼は「左右どっちが上」と「助さん格さんはどっちが上」どっちですか。 1.左右 中国で昔から天子(皇帝)は南面するというのがあります。さらに陽が上る東が西より上というのがあります。(相撲でも東が上)日本も中国にならい、天皇が南を向くと東が左なので左が上ということです。これは天皇からみた場合です。臣下から見れば右が上ということになります。臣下からみて序列が下がれば左に遷る(うつ)ので「左遷」です。また「右に出る者がいない」はその反対です。ひな人形でもそうですが左大臣は向かって(つまり臣下からみて)右にいます。これは中国の思想なので中国文化圏以外はまた別です。 2.助さん格さん うーん、いまは向かって左(水戸黄門からみて右)に助さんがいますね。いままでの解釈だと向かって右の格さんが上になってしまいます。 過去をみれば助さんが向かって右にいたときもあったようですが。 史実では同じ年代で比べれば助さんが上です。年も助さん1640年生まれ、格さん1656年生まれで彰考館総裁も助さんのあと格さんが継いでます。既回答のとおり助さんが総裁のときは、格さんはその部下ってことになります。 でも時代劇の水戸黄門となると史実は無視ですからねえ。だいたい、水戸黄門の時代は元禄で1690年代前半ですが、そうなると助さんは50歳過ぎです。昔の50歳といえば年寄りです。 それはさておき、以前は時代劇でも助さんが上の設定でした。既回答のとおり過去の設定では、水戸黄門が縮緬問屋の隠居、番頭の助、手代の格という時期がありました。また助さんが既婚という設定(助さんの方が年長と思わせる)もありました。でも呼び合うときは助さん、格さんでタメでしたね。いまは番頭、手代もなくまたふたりもと独身の設定です。 今となっては幻の石坂浩二時代は、石坂浩二が史実に沿いたいとの意向で、はっきりと助さんを上にして、「佐々木さん」「格之進」と呼び合い、年長の助さんを堅物、年下の格さんを親しみやすいキャラにしてました。村の子供と仲良くなるのは格さんでした。水戸黄門29部ホームページ参照 http://www.tbs.co.jp/mito/mito29/index-j.html これは不評だったようで今の里見浩太朗では元に戻し、同格にしています。 結論としては「今の時代劇の設定では」同格です。
- mataoyu
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日本と中国では違うようですね。 左遷は、中国でできた言葉で、中国の戦国時代には、右を上位と尊んでいたからできた言葉です。
助さんのほうが格さんより格上です。 水戸藩の侍としても、助さんのほうが、上司に当たります。 越後のちりめん問屋のご隠居のお供という「てい」のパーティでも、手代、番頭頭という上下があります。 ご一行の銅像は、向かって左が助さんです。 印籠を持っていて掲げるのも助さんです。 テーマソング「ああ人生に涙あり」を最初に歌いだすのも助さん役の俳優さんです。 ご隠居さんは、「助さんや、格さんや」と助さんのほうを先に呼びかけます。 よって、助さんのほうがえらいです。
- mii-japan
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一般に左が格上です この左は、皇帝・天皇・主人から見ての左です (京都の左京・右京で確認してください、) 左大臣と右大臣では、左大臣が上です 余談ですが 南を向いているとき、東が左、西が右 左・東が上がるで右・西が入る おおあがりしま(大東島) いりおもて(西表) どちらが黄門様の左に居ますか(近頃は考証がいいかげんだからあてにはなりません)