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徳川家は何故・・

徳川家は家康以後、日本を完璧に統治していたよう見えます。何故天皇家は滅ぼされなかったのでしょうか?合理的理由がない様に思えるのですが・・

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  • IXTYS
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回答No.14

● 徳川家は家康以後、日本を完璧に統治していたよう見えます 徳川家が直接、間接支配していたのは、親藩、譜代の両藩にすぎません。 例えば、私が育った中国地方の五県の内、島根県の一部だけが譜代藩で、後は全部外様藩です。 徳川幕府の力は、直接及んではいません。 外様藩の石高は、全国の半分以上になります。 そこで、幕府は何とかして外様大名の力を削ぐ事に躍起となっています。 親藩や譜代藩の仕事は周辺の外様藩のスパイです。何かの不都合をみつけては、取り潰しをしようと考えていたのです。  外様藩はお国替えをさせられたり、また参勤交代で無駄な経費を使い、国力を消費させられています。 有力な外様大名は中国、四国、九州に多く、これらは江戸からは遠く離れています。 ですから、一回の参勤交代でも大変な出費になるのです。 ● 江戸時代の幕府と朝廷の関係 徳川家康は何とかして朝廷を取り込もうとしました。 その手始めに、二代将軍、秀忠の娘を109代の後水尾天皇の中宮に送り込みます。 そして、中宮の面倒を見るために多くの人材を送り込んでいます。  しかし、将軍家は決して経済的な援助はせず、薬師などを派遣して、上手に天皇家を牛耳っています。 まず、天皇家の石高は一万石に定め、決して力を持たないように管理したのです。  後水尾天皇には、19人もの親王(全部側室が産んだもの)がいましたが、幼児のうちに次々と謎の病死をしています。 証拠はありませんが、将軍家が派遣した薬師にはどんなことでも出来たのです。 そこで、天皇は若くして退位し、中宮が生んだ娘(将軍秀忠の孫)に位を譲り、将軍家の干渉を和らげようとしています。 これが110代の明正天皇です。 

propela
質問者

お礼

ありがとうございます なるほど・・ 御回答頂いて、こう思いました。やはりどんなに近代史に模して類似点を見つけ出そうとしても、通信手段等のあまりの現代との格差はそれが拒まれてしまう、と言う事です。遠隔地の情報を入手できるのが近代と比較にならない程、時間かかったのでしょうから為政者の統治への猜疑心もおそらく・・

その他の回答 (15)

  • AUGQX-MAN
  • ベストアンサー率28% (39/139)
回答No.5

徳川家康の先祖は新田義貞の親族を経由して、源氏になります。源氏の創始者は源義家でした。そのため、徳川家康は源氏の棟梁である事を示すため、「家」の字を使いました。 源義家の先祖は誰かと言うと、清和天皇です。そのため源氏も天皇家も先祖は一緒なのです。「源」という名字も天皇から授かったものであるため、天皇家を滅ぼしてしまったら「親戚殺し」の悪名を負ってしまい、源氏の棟梁を名乗る事もできなくなってしまいます。 武家は血のつながりの重さを大事にしていたので、天皇家を滅ぼそうとなんて出来ませんでした。これは鎌倉幕府でも同じだったと思います。 日本史で天皇家を滅ぼそうとしていた可能性が高かったのは、織田信長だったと私は思います。 血の繋がりを重んじせず(弟を殺したり、織田本家を滅ぼして尾張を統一したりした)、自らを神格化したり(第六天魔王と名乗ったり、安土城の中に宝珠を置いたりした)したので、新時代の王となるには天皇家は邪魔だったと思っていたかもしれません。安土城には内裏の構造をした建築物があり、完全に無力化させた天皇家を身近に置こうとした節がうかがえます。

propela
質問者

お礼

ありがとうございます。平将門さんや道鏡さんについても興味を持ってます。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.4

ちょっと考えればわかりますが, 江戸幕府よりも鎌倉幕府の方が天皇家を滅ぼす合理性は高いですよね? 実際には幕府の政治権力を認める後ろ盾として天皇の権威を使ったわけです. 制度的には「天皇から征夷大将軍の位を受ける」ことにより幕府を開く権限を得たこと. もう 1つは家柄で, 将軍の権威そのものは「遡ると天皇にたどりつく」ことに由来しているため, その根拠たる天皇家を滅ぼすわけにはいかなかったという事情があります.

propela
質問者

お礼

ありがとうございます。平将門は新皇を短期間ながらも名乗る事が出来たのだ。と解釈してます。

noname#188374
noname#188374
回答No.3

つまり、建前(形式)上は「朝廷が正規の政府で幕府は地方における臨時の政府」だったのです。

propela
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

noname#188374
noname#188374
回答No.2

武士(将軍)は征夷大将軍という官職を朝廷(天皇)から与えられる、幕府を開いたのです。 つまり、将軍家から見れば朝廷は将軍という自分の身分を保証してくれる後見人だった訳です。 その朝廷を滅ぼすということは『征夷大将軍』という自分の身分を否定することになるので、そんな馬鹿なことは行わなかったのです。

propela
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

  • nbm
  • ベストアンサー率40% (25/61)
回答No.1

質問読ませていただきました。 確かに徳川家は約260年にわたって日本を統治してきました。その中では天皇家を廃絶しようという動きもないわけではなかったようです。 しかし、日本では古来から天皇が絶対的な権力を持ち、また、日本の象徴として崇め奉られてきました。言ってみれば、今以上に日本人の心だったわけです。そんな天皇家を滅ぼしたらどうなるでしょうか?日本国民全てを敵に回すことになりかねません。ひょっとすると家臣のなかから謀反も起きたでしょう。 いくら徳川家が当時圧倒的な武力を誇っていたとしても、そこまでリスクを犯すこともないわけで…それなら政治の実権を奪って、隅に追いやっておこうということになったわけです。

propela
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

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