- ベストアンサー
諧調の美
「ダヴィンチに私淑し、ラファエロと同世代のコレッジョは、諧調の美をまだ信じることができた。しかし、遅れてきたパルミジャニーノの世代には、諧調の美を信じることはもはや不可能だった。」 諧調の美ってなんなのでしょう?どういう美術史上の意義がありますか?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ご引用の文章が誰のものなのか、どういう本(たぶん)の中に書いてあるのか。 でもまあここは、美術論、それもマニエリスムに関する本ではないかと想定し、その方向で回答します。 美術史におけるマニエリスムとは、ルネサンスとバロックの間の時代、 イタリアで云えばほぼ16世紀に当る時代であったとしておけば、大きな間違いはないかと思います。 したがって「諧調の美」とはルネサンス期に基準とされた美、ということになろうかと思います。 「ラファエロ(1483年生)と同世代のコレッジョ(1489年生)」はその美の基準を信じられたけれども、 「パルミジャニーノ(1503年生)の世代」ではもはや信じることができなくなっていた、ということでしょう。 この原因は社会の激動で、地理上の発見によってイタリアの重要性が失われるとともに、 中世的な閉じられた生活空間が投げ出されたことが一点。 もう一つはルターに始まる宗教改革の嵐で、またその反発としてのイエズス会を最大とする反宗教改革でした。 こうしてイタリアは周辺外国諸勢力に蹂躙されるという事態に立ち至ったのです。(最終的にはスペインに) 絶対的権威も、永遠なるべき美の基準も信じられない、「パルミジャニーノの世代」はそういう時代を生きたということでしょう。 ---- ルネサンスの美を代表する作家と作品各一点を挙げるとすれば、 ・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」油性テンペラ壁画 ・ミケランジェロ「ダビデ」大理石像 ・ラファエロ「アテネの学堂」フレスコ これらが近世造形芸術のモデルとなるものでした。 また、盛期ルネサンスにおける様式の原理としては、 ・合理的な、遠近法を基礎とした三次元的空間 ・解剖学の知識に基づいた比例正しい人体 ・統一がとれていて均衡があり、何にもまして調和と簡潔さを尊ぶ構図 という三原則が働いていたようです。 (以上、若桑みどり氏の16世紀イタリア美術に関する著述から引用) これらの言葉を参考に、実際に画集を見るなりして「諧調の美」のイメージをつかんでください。