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生存説は人気、指示のバロメーター?

義経がチンギスハンになったとか明智光秀が天海であったとか、荒唐無稽であるとかは、別として処刑、戦死、自害した(された)人物が実は生き延びていたというのは、人気、支持のバロメーターでありその人物を好きである人には大いに慰めになる場合があるかと思います。 人気があるとは思えないが生存説がある。 生存説にかなりの証拠がある。 知られていないがこの人には、実は生存説が存在する。 というのをご存知でしたら、是非お聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • zionic
  • ベストアンサー率39% (31/79)
回答No.3

真田幸村が秀頼連れて九州(薩摩)に逃げのびた、という話があるようです。 詳しくはこちらに。

参考URL:
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sanada/sanada/sanada/seizon.html
noname#25898
質問者

お礼

まさに出会いたかったサイトです。ご紹介ありがとうございました。大変おもしろく読み応えがありました。とり急ぎお礼まで。ゆっくり読んできます。

その他の回答 (7)

  • t-6000
  • ベストアンサー率36% (25/68)
回答No.8

>人気があるとは思えないが生存説がある。 ヒトラー生存説はどうでしょうか。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC
noname#25898
質問者

お礼

参りました。降参です。実は石田三成公のお膝元、彦根に行った時、良い殿様ぶりが窺えたので、生存説のある人は、皆それなにの人気、支持があるのでは?と質問してみました。人々の惜しむ気持ちの昇華では、なくて本人の無念さの代弁なのでしょう。でも、すっきりしました。ご協力に感謝します。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.7

ヒトラー アルゼンチンに亡命したとか、南極に逃亡したとか、ソ連が連行してい ったとか・・。 戦後スペインの列車に向かい合わせに座った老人が、ヒトラーだった というニュースが現地の新聞に載ったこともありました。 ナポレオン セントヘレナで死んだのは、実は影武者で、本人はフランスに舞い戻 っていたという話があります。 ナポレオンの遺品や財産を保管していた建物に侵入し射殺された男が ナポレオンに顔や体格が似ていたという噂話もありました。 ルイ17世 フランス革命で投獄された王一家は、元召使いの手引きで別の子を 身代わりにして、子供を逃がしたのでは?という説話が根強く残って います。 ベルギーで、「私はルイ16世の子だ」と名乗る老人が現れ、話を聞く と王一族しか知らない話を語ったそうです。本当かね・・・。 豊臣秀頼 薩摩に逃れたとか。当地にはそれを裏付ける伝承話があるそうで。 キリスト(とその子ども) 有名なところでは、ダビンチコードの話で有名になった、マグダラの マリアとその子がフランスの教会にかくまわれたとか。 キリストも青森まで逃れたというのは、70年代にオカルト少年たちの バイブル「ムー」の定番でっちあげ話でした。 プレスリー 今だに、「彼をバーで見かけた」「街を歩いているところを見た」と いう話が現地のタブロイド紙に掲載されてます。 西郷隆盛 明治政府が厳しい統制や汚職ばかりだったため、庶民の間で西郷生存 説が人気を呼びました。 歴史というのは、当時の人間のものではなく、後世の人間のおもちゃ なんですね。 アナスタシア ロシア革命で殺されたはずの皇帝一家の末娘が、後にアメリカで 貧しい生活をしているところを保護されたという出来事がありました。 現在賛否両論ですが、どちらにしろ歴史的に見てどうでもいいこと なのですが。 マルティンボルマン ナチスの悪名高い高官です。アルゼンチンに存命だということで イスラエルは必死になって追っかけていましたが、どうもでっちあげ のようです。 他にもまだまだあるようです。 あと、「本当は、実在しなかった」という説はどうですか? 聖徳太子、徳川家康(身代わり説)天草四郎などがありますね。

noname#25898
質問者

お礼

タイトルの支持の字が間違っていたことをお詫びします。私の与太質問にここまでお詳しい方に来て頂けると返って恐縮です。ヒトラーを出されては、ぐうの音もでないですね。人気、支持のバロメーターではないかもしれません。ご教示ありがとうございました。

  • Scull
  • ベストアンサー率26% (248/951)
回答No.6

新選組の原田左之助忠一は公式には上野の彰義隊に加わって戦死していますが、後に満州に渡って馬賊になったと言われていますね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B7%A6%E4%B9%8B%E5%8A%A9
noname#25898
質問者

お礼

興味深いご指摘をありがとうございました。もしかして唯一本当に生存していた人物でしょうか。ゆっくり拝見したいと思います。

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.5

義経の首は酒に漬けられて43日かけて鎌倉まで運ばれ、和田義盛と梶原景時が首実検(首実験ではありません)した、と吾妻鏡にあるそうです。 吾妻鏡の史料としての信頼性は高くないらしいし、いくら酒に漬けたとはいえ43日も経ってから確認できるのか、疑問もあります。奥州藤原氏が討ち取ったことにして、別人の首を差し出した、という小説も書けるでしょう。 生存説で根強かったのはロシア革命で処刑された皇女アナスタシアですが、最近は否定されてしまったようです。 第二次大戦までは日本人なら誰でも知っていた杉野上等兵曹がいます。文部省唱歌「廣瀬中佐」で「杉野はいずこ杉野は居ずや」と歌われました。敗戦後すぐの新聞に、杉野は海に落ちたが漁師に助けられて満洲で生きていた、というスクープが出ました。回復するのに時間がかかったが、帰国しようと思ったら、戦死した英雄(後に軍神広瀬中佐と共に銅像となった)になっていて、帰るに帰れなかった、とのことです。この生存スクープは実話かどうか疑われているようです。

noname#25898
質問者

お礼

私も酒(塩)漬けの首には、疑問を持っています。外国の歴史は疎いので、これを機会に勉強します。近世で、生存説のある人がいるとは全く意外でした。優れたご指摘ありがとうございました。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.4

>佐藤は? 先般の大河ドラマ義経でも出て来ましたが、藤原秀衡の家臣だった佐藤継信・忠信兄弟で継信は屋島で、忠信は京都で討死にした文字通り忠信でした。

noname#25898
質問者

お礼

よくわかりました。ありがごうございます。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.2

日本では敵の武将を討ち取ったときはその証拠に生首を持ち帰る習慣があったのですが、義経の首は持ち帰ることができませんでした。その事と判官贔屓という日本人の信条が結びついて生存伝説が生れたのでしょう。東北地方ではその逃走経路まで手拭いに印刷して売られており、樺太から大陸に渡ったことになってますね。  東北では義経は異常と思われるほどの人気があるようで明治時代に姓を名乗ることになったとき、富樫、佐藤という姓を多くの人が選んだことにもその影響が現れていますね。  同じく首を取られなかった信長に関しては生存説が殆どないのはややり叡山焼き打ちや長島一揆の皆殺しなどが影響しているのでしょうね。

noname#25898
質問者

お礼

義経についての丁寧な説明ありがとうございました。富樫は関所の役人のことですか?佐藤は?信長へのご指摘は目からうろこでした。生きていたら黙って落ち延びているキャラでもないからでしょうか。ありがとうございました。

  • leo-ultra
  • ベストアンサー率45% (230/504)
回答No.1

明智光秀って人気あったのですか? 忠臣蔵の四十七士は人気があったけど、そういう話はないのでは?死ぬことに美学があったからでしょう。 新鮮組は?  マリーアントワネットは少なくとも現代までは人気はなかったと思うのだが、でも生存説はあったらしいし。 要するに、こういうのは根も葉もない噂がもとなのだろうから、有名人である必要はあるが、人気不人気はあまり関係ないのでは?

noname#25898
質問者

お礼

光秀は、信長に一時でも対抗できる軍勢を持ちえたのですから支持はありました。四十七士、新撰組が生きていたとあっては、逆に支持層は納得できないでしょう。マリーアントワネットに関してはタイトルの自説の気持ちが揺らぎました。反論お待ちしています。ありがとうございました。

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