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漢文の訓読み
漢文の質問です たとえば「畔」のような漢字。普通なら田んぼの「あぜ」と いう意味ですが、昔の漢文では「そむく」と訓読みさせています。 「そむく」なら「叛く」の字が適当なはずですが なぜ、わざわざ「畔」の字を使ったのでしょうか? どなたか教えていただければ幸いです。
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音通というのをご存じでしょうか? 有名な杜甫の詩に 山青花欲然 (山青くして花然(も)えんと欲す) というのがありますよね。最後の字の「然」と「燃」は音が同じなので代用されているわけです。(どちらの字も漢音ゼン、呉音ネン) 中国人は中国語で読んでいるので、まったく同じ音であれば(日本語の音ではなく、あくまで四声、有気無気を含めた中国音の話です)別の漢字を使うことはよくあります。 叛も畔もまったく同じ音(pa`n)なので、中国音で読む場合違和感は感じられないのだと思います。 語源的にも叛も畔はどちらも「ふたつに分ける」という原義から来ているそうです(藤堂明保「漢字語源辞典」より)。
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- sekiryou
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こどもの頃に親父の手伝いで田圃に出て畔を歩くと「畔は道ではない崩れるから無闇に歩くな!」と注意されました。 道に非ず『「畔」(叛)そむく。道にそむくことをいう』 と言う意味も有るのかなと考えました。畦道とも言いますがね?
お礼
ご回答ありがとうございました。 しかし、当時の中国が米作だったかどうかまで さかのぼらなければいけませんね。 うーーーん。 面白い感想ありがとうございました。
- banzaiA
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用字法は難解ですね!作者しか分からないのでしょうね! 畔 田と田を二つに分ける。その意味から一つのものが仲間割れをするなどという意味になったのかな、と類推です。 背 背中をむける 叛 逆方向に二つに割れる 結局、同じような意味なのだと思います
- orkney
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出展は何ですか? 詩や詞の場合だったら韻や平仄を合わせるために文字の制限を受けた可能性があります。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。 出典は「十八史略」の殷王の暴政の部分です。
- kyouzaiya-k
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「畔」に「そむく」という「訓」があるのは、「そむく」という意味があるからではないでしょうか。 「大漢語林」では、「背」の欄で、同訓異字として「乖・背・倍・反・叛・畔・負」を挙げ、それぞれの字の意味を述べています。 また、手元の他の漢和辞典4冊にも「そむく」の意味が載っていました。 では、多くの同訓異字のうちなぜ「畔」を使ったのか、また、それが適切な使用法であるかは、現時点で私には判断できません。 ご回答にはなっていないかと思いますが、以上、私の感想を述べさせていただきました。
- heisenberg
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これはもう 「‘畔’は‘そむく’とも読むから・・・。」としか 言いようがありません。 「畔」という漢字の訓読みを調べてみましたら・・・ △畔 あぜ くろ そむく ほとり 上記のように 訓読みの中に「そむく」もあります。それで「そむく」と読ませているのでしょう。 なぜ 「‘叛’を使わず わざわざ‘畔’を使ったのか?」については その文章を書いた本人に訊かないと 本当のところは解りません。 「そむく」には この二字の他にも 「背く」という風に 「背」を充てることもあります。 「なぜ ‘叛’でも‘背’でもなく ‘畔’なのか?」 1.「畔」しか知らなかった。 2.当時は「畔」の使用法が一般的だった。 3.個人的な好み。 4.どれでもよかったが 偶々「畔」を使った。 5.その他 本当の理由は神のみぞ知る?
お礼
詳しい説明ありがとうございました。 音通ということは、字による意思疎通でなく、音(耳)による 意思疎通が普通であった古代において特に違和感がなかったと 考えられるのでしょうかね? 現代では音が共通だから、字が違っても平気ということにはなりませんね。 やっぱり字が普及しないころの話だと考えていいのでしょうか?