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There is no ~ing の意味上の主語

 There is no ~ing で「~することはできない,することはとても難しい」という意味になりますが,この表現の意味上の主語についてお尋ねします。    ジーニアスには = One cannot do ~と書いていますが,意味上の主語,すなわち,「~することができない」の主語が「一般の人,誰でも」の場合に用いる表現なのでしょうか。あるいは,その都度,I とか,話題にしている人ができない,という意味で用いることができるのでしょうか。  さらに,あえて「私ができない」と言いたいとき,There is no my ~ing,あるいは There is my no ~ing としてもいいのでしょうか。  あと,「蓼食う虫も好き好き」という日本語を There is no account for tastes. と英語に訳すことが多いですが,こんな英語をいうのは日本人だけで,Tastes differ. などのようにいうと聞いたことがあるのですが,実際のところどうなのでしょう。

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noname#19923
noname#19923
回答No.2

wind-sky-wind さんのご質問は,本当にひさしぶりですね。 さて, (1)一般論かどうか 日本語でも英語でもそうですが,一般論で何か言うのは,一般論のふりをして,誰かのこと言うときです。 「寝る前には歯を磨くものです」 「コーヒーを飲むと眠れなくなります」 「イエスマンばかりだと本当のことが分からなくなるよ」 とかね。 発話はすべてその場に関連性のあることですから,一般論でもその解釈はその場の状況に依存します。「関連性理論(Relevance Theory)」の受け売りですが。 (2)There is no my ~/There is my no これは#1さんのおっしゃるとおりです。 ま,no my books ではなく none of my books というでしょうし。 (3)There is no account for tastes. と英語に訳すことが多い いや,There is no accounting for taste. では? Longman, Cambridge, Oxford の各種学習辞典に記載されていますから,使われないと言うことはないと思いますよ。 なぜかアメリカ系の辞書には載ってないので,アメリカの新聞をググって見ました。 “There is no accounting for taste,” she said. (www.msnbc.msn.com) But always remember, there is no accounting for taste. (www.washingtonpost.com) It is now, therefore, a scientifically proven fact that there is no accounting for taste. (www.suntimes.com) #「蓼食う虫も好き好き」ということわざ自体, #それほど毎日使うような表現じゃなし, #聞いたことがない,そんなことわざ知らない, #なんて日本人も多いのでは?

wind-sky-wind
質問者

お礼

お礼が遅くなりました。 >日本語でも英語でもそうですが,一般論で何か言うのは,一般論のふりをして,誰かのこと言うときです 全く,その通りです。ありがとうございました。

wind-sky-wind
質問者

補足

 すみません。#1の方の補足のところにも書いたとおり,accounting の誤りでした。  「蓼食う虫も好き好き」という日本のことわざは抜きにして,「人の好みはさまざま」という意味で,There is no accounting for tastes. というかどうか,という点が知りたかったのです。

その他の回答 (4)

noname#241887
noname#241887
回答No.5

There is no knowing what will happen tommorow.のように 「明日何が起こるか知ることはできない」ということわざのようなものは一般的かと思います。この主語は「誰にも」になるでしょう。

wind-sky-wind
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.4

Gです。 こんにちは!!! いつも文法について「盾をついている」様な回答ばかりですが、けっして、wind-sky-windさんの知識の深さについて言っているのではありません。 何事もwind-sky-windさんのように「奥の深さ」を感じさせる知識はもてるなら持った方がいいと思う私であることはご存知だと思い甘えているGです。 つまり、wind-sky-windさんの「有無を言わせぬ実力」は尊敬しています。 さて、まず、There is no accounting for tastes.ですが、一応イディオムとしてno accounting for tastesとして覚えてしまっていますが、私はもともと「好み(tastes)には計算方法(accounting)は無い」と言うフィーリングを持っていました。 これで、人の好みは計算できない、つまり、人の好みは数学的に説明できない、となり、人の好みについてとやかく言えない、人の好みにうるさく言えるわけはない、と言うフィーリングを持っていたわけです。  ただこれは、イディオムと言うより、比ゆ、として使われることが多く、自分は嫌いでも好きな人はいる、とか、自分は個人的に反対しても同意する人はたくさんいるしね、という事で、とやかく言っても時間の無駄になる、と言うフィーリングを言いたい時に「引用する」表現だ、と私は感じます。  つまり、人の好みに楯突くな、って言う感じで使われるときもあるわけです。 「蓼食う虫も好き好き」「人の好みは好き好き」だから気にしていては無駄だ、とか、好みについてとやかく言わないほうが良い、説明なんて出来ない、と言いたい時、と言う感じかな。 (「蓼食う虫も好き好き」をどのような時に使うのか私には分からないのかもしれません) There is no way of ~ingでOne can not ~。となり、どうしてもway ofが使われると一般的な表現になりますが、There is no ~ingではone can notのフィーリングが出る一般的な表現だとは思えないのですが、いかがでしょうか。 There is no way of my ~ingという表現をしてI can not ~のフィーリングを出すことはできます。 なぜか、もしかしたら的を射ていないかもしれないというフィーリングが私の頭の中で顔を出そうとしていますが、これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

wind-sky-wind
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。しばらく旅行に出ますので,もう少し,ご回答を検討させていただいて,あらためてお礼をさせていただきます。

wind-sky-wind
質問者

補足

 あらためてご返事するのが遅くなり,誠に申し訳ございませんでした。実は,ベトナムの方に行っていたのですが,向こうでは,お互いの英語が思うように通じず苦労しました。ネイティブの方は私の下手な英語を理解してくれるのですが。  まだまだ英語の表現不足ということは普段から感じています。今回も there is no ~ing を there is no way of ~ing とは結びつけて考えられませんでした。ここで質問するより,新たに質問させていただきます。

noname#19923
noname#19923
回答No.3

えっと, tastes(複数)→ taste(単数) ということで。 単純に Google で検索しても 英語のページ 約 36,600 件 とでるので,それほど頻度は高くないが,使われてはいると思います。 >「人の好みはさまざま」という意味で,There is no accounting for tastes. というかどうか 用例を見ていくと, 1.「人の好みはさまざま」 2.「人の趣味は分からん,おかしな趣味だ」 のどちらかの意味で使われているようですが,これは「蓼食う虫も好き好き」と同じですね。

wind-sky-wind
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ジーニアスを見ると,There is no accounting for taste.(tastes は今は古)とありますね。何十年も前,学生時代は tastes と習った記憶があります。  でも Tastes differ. の方が Taste differs. よりも一般的のようです。  しばらく旅行に出ますので,またあらためてお礼をさせていただきます。

  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.1

こんにちは。珍しいですね、wind-sky-windさんが質問されるとは。 >There is no ~ing で「~することはできない,することはとても難しい」という意味になりますが,この表現の意味上の主語についてお尋ねします。 >「~することができない」の主語が「一般の人,誰でも」の場合に用いる表現なのでしょうか。あるいは,その都度,I とか,話題にしている人ができない,という意味で用いることができるのでしょうか。 変な言い方ですが、どちらでもなく、その中間ではないかと感じます。つまり、一般の人とまでは言えないし、しかし、当事者だけに可能性を狭めているわけではないと言う感覚です。 よく次のような感じで使われる表現ですよね。 >It is impossible to tell what may happen next.             <同意になるよう、(  )に適語を入れよ> =There is ( no )( telling ) what may happen next. 一種の受身表現と同じで、主語を隠す意図があるのではないでしょうか。誰の判断か、それを言わないで、内容だけを伝えようとする表現だと思います。 >さらに,あえて「私ができない」と言いたいとき,There is no my ~ing,あるいは There is my no ~ing としてもいいのでしょうか。 これはほぼありえないと思います。my,noとも、一種の決定詞ですから、二つが重なることはないと思います。 >あと,「蓼食う虫も好き好き」という日本語を There is no account for tastes. と英語に訳すことが多いですが,こんな英語をいうのは日本人だけで,Tastes differ. などのようにいうと聞いたことがあるのですが,実際のところどうなのでしょう。 よく分かりません。googleで引いたら、確かに、There is no account for tastes. の使用例は一つしか出てきませんでした。

wind-sky-wind
質問者

補足

 すみません。 >There is no account for tastes. There is no accounting for tastes. の誤りです。theere is no ~ing を用いて,There is no accounting for tastes. 「(人の)好みの説明をすることはできない」という意味です。

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