bossambaさん、いつもお世話になります。
今日は少しでもご恩返しになれましたらと思いました。
実は日本音階でいちばん歴史の古い雅楽から、長調と短調(もどき)はあったんですよ。
呂律がまわらない、という言葉の元になった呂旋法と律旋法がその一例です。
bossambaさんにすんなりおわかりいただけるように言うと、呂旋法はミクソリディアンで、律旋法はドリアンなので、ならば長調短調じゃないでしょう、と言われてしまいそうですが、大和民族の楽しい調、さみしい調、という観点ではこんなふうになってました。
わたしもジャズファンなので邦楽はちゃんとは知らない身分なんですが、いわゆる江戸時代以後の端唄俗曲のたぐいから終戦直後までの歌謡曲では部分転調的に明暗がくるくる入れ替わる作品も多いですよね。
(そういう現象を何と言うのか私も良く知らないんですが、ごめんなさい)
たとえば有名な「青い山脈」の「あーおーいーさんみゃー」の一節だけは長調風にひるがえったり、など…
これは私の勝手な想像ですが、民謡やわらべうたについては、飢饉で餓える苦しみや、乳幼児の死亡率の高さ、くちべらし、うばすて、などの止むに止まれない心情も多少は影響あるのかもしれないですね…。
単純に豊年満作を祈る内容だったりするといいんですが、わらべうたなどはドキッとするような恐ろしい内容であることを大人になってから知らされて、はあなるほどね…と自分なりに納得した気になったりしたものです。
日本人だけに短調のジャズがとても人気があるのもアメリカ人の不思議に思うところだったそうです。
(ソニー・クラークのレコードは本国ではさっぱり売れなかった、などなど…)
お礼
こんにちは。 私はおしえてグーでお世話になったことはあるけれども、あまり人の役に立ったことはないので、そういわれるとちょっと狐につままれたようになります(^^;) そうですか。古来長音階もあったのですね。青い山脈の例、わかりやすいです。 やはり悲惨さなどを背景にしょっているものは、短調に落ち着いてしまうという心理があるのでしょうね。なぜ欧米ではそういうものがないのか、宗教的な話になっていってしまうかもしれませんね。