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縄文時代の開始は気候変動が関与している?
最終氷期が一万年ほど前に終了して、これより温暖な気候になって行きますが、これと連動するかのごとく(私の思い込みかはわかりませんが、時期的に一致している木がする)縄文時代が始まっている気がします。 温暖な気候に移ったことが、縄文時代開始のきっかけなのでしょうか?
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土器を作り始めたのは、何か気候の変動と関連性があるのではないかということですが、私は「ある」と思います。 日本列島に人が住みはじめたのは、今から三万年以上前と考えられています。まだ地続きだったアジア大陸から、狩りの動物を追ってやってきたのでしょう。 http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq_01.html この人たちは、祖先の時代から何十万年いや百万年以上も前から、道具としては弓矢と石器だけで狩猟と採集を行い、生活の糧を得ていたはずですが、今から1万2千年前頃、世界でもっとも早いと言っていいくらいの時期に土器を作りはじめました。それは、土器を作らねばならない必然性が起きたのでしょう。 土器は古代史上、画期的な発明です。その目的は、「煮炊きできる」ことに尽きます。 煮炊きできると言うことは、いろんな動植物を食料とすることができるので、質・量ともに食生活が大幅に向上したはずです。裏返せば食料不足が起きたのではないでしょうか。 以下、埴原和郎著『日本人新起源論』の抜書きです。 「石器時代から縄文時代の気候は、陸上の花粉分析、海底の堆積物に含まれる有孔虫の研究からかなり推測できるようになってきている。 約3万3千年前、気候が寒冷化すると同時に乾燥化して雪が降らなくなった。日本列島が大陸と陸続きになって、北や南から動物がやって来た。 ところが、約12500年前を境に、日本海側を中心に雪がどんどん多くなる。そうすると、大型哺乳動物の生息に適した草原が縮小していって ブナやナラ類の落葉広葉樹林帯が拡大してくる」とあります。 このことから私見を述べますと、獲物は少なくなり、冬の間の食料を確保せねばならなくなりました。 そこで、堅いものを軟らかくして食べるとか、生では食べることができなかった魚介類を食べるとか、とにかく食料不足を補うため、智恵を絞り、土器を作りはじめたと思います。 百万年以上も、道具と言えば石器と弓矢だけのような生活を続けてきた人類の内、日本列島に住みついた人たちが土器を発明して、その土器を今の私たちが見ることができるのはまさに夢のような話です。 世界史でみても次のような論文があります。 http://www.kishou.go.jp/info/fukusawa.htm 12000年~10000年前、メソポタミアや東アジアでは、寒冷化によって狩猟採集による十分な食料確保ができなくなった。人類はこれを克服するため、野生植物を栽培化すると同時に野生動物を飼育化して、食料の能動的な生産と確保の営みを開始した。
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- sudacyu
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最終氷期が終わることで縄文時代が始まるというのは、ありそうなことです。世界の文明を見ても1万年位前からいろんな文明の芽生えが見られます。 気候が温暖で安定していれば、採取経済(自然の物に生活を依存する。)であっても、初期の農耕文化であっても、定着・進歩するには好都合ですから。 ただ、きっかけ=その文化が始まった一番の理由とまでは言えないかもしれません。最初の文化の形成は文字による記録もないことから、決定的な結論はえられていません。 安定した気候条件は、要素としてかなり重要であったと言える程度でしょうか。 追加の質問の原人と縄文人について 類人猿(現在は主として数種類:テナガザル・ゴリラ・オランウータン・チンパンジー・ボノボなど)から進化して、人類に分類される種が数種類あります。(現在は1種類のみ生存。学名ホモサピエンス=サピエンス:賢い人=新人=現生人類、つまり私たち) 人類の種の分類:進化の度合いの違いでそれぞれの種を4つのグループに分けます。 猿人:もっとも古いタイプの人類。類人猿の特徴を多く残す。 原人:人類として典型的な特徴を持つが、かなり旧い名残を持つ。完全な直立歩行をしていた。 旧人:基本骨格としては、現生人類とほとんど変わらない。インド南部のドラウィダ族やオーストラリアのアボリジニは、旧人の遺伝子を一部持っているという説もある。 新人:現生人類。亜種としてアフリカ系・ヨーロッパ系・アジア系がある。 縄文人は旧人の特徴を一部持つともいわれるが、多分新人に当たるでしょう。
お礼
私の質問のご回答ありがとうございます。 縄文人が旧人の特徴も持っていたとは知りませんでした。 やはり、気候温暖が文明≒農耕ということはいえそうなことですね。
- onbase koubou(@onbase)
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縄文時代とは「土器の使用開始」をもって区分される「文化史的区分」です。 したがって奈良時代以降の「政治史時代区分」とはことなり「○年から縄文時代」とはっきり区分は出来ません。 基本的には旧石器末期の細石器文化と縄文時代草創期が重なるのですが、すべての細石器文化に土器を伴うわけでもないのでその時代変化は暫位的であったと思われます。 No1の方も書かれていますが、現在理化学的な分析により縄文時代の開始が12000年頃ではないかと推定されるようになってきています。 また、縄文時代草創期~早期までは大規模な集落などもほとんどなく遺跡数もそんなには多くありません。 「縄文時代」というと豪壮な模様の土器やや三内丸山遺跡のような大規模集落などがイメージされるかもしれませんが、これらは縄文時代中期文化です。 温暖化と土器の製作に関連性がある可能性は極めて低いと思われることや草創期~早期でさほど遺跡数が増加していないことも考え合わせると縄文時代の開始と温暖化には関連性はないと思われます。 縄文時代中期文化の隆盛には温暖化の影響があるとは考えられていますけれども。
お礼
開始が緩やかであるというのは、関連なさそうですね。結局は文明化が開始ということになると思うので、温暖化したあとその自然条件を生かす模索が始まり、その結果が見えてきたのが結構後になっているということもいえないかなと。結局人口増加と食料生産の増大が根本だと思うのです。それは温暖化が可能にしたのではないかと考えたいのです。
「縄文時代」の定義によって「いつ頃」が「縄文時代である」かが変化します。 発掘された「物」による分類と.c14放射線年代測定を中心とする考え方の2つがありますから。 前者の場合.「いつ頃」か画はっきりしていません。 後者の場合.誤差が結構大きくてよくわからない(日本の縄文時が原人が生きた時代と重なる)。 よってわかりません。 なお.私の情報は古いので最近の考え方は変わってきているかもしれません。
お礼
そうですか。考古学は素人なので。 原人と縄文人って違うのでしょうか。
お礼
1万2500年前から雪が多くなってきたとは、やはり温暖化と思われます。それが返って食糧不足を招いたというのは意外ですが、マンモスも同様の温暖化で滅びたようなことをテレビで見たことがあります。私は、食料が豊富になってきたので土器文化が出てきたのかと思ったのですが、逆の考えもあるのですね。納得できます。