- ベストアンサー
宮崎アニメに繰り返し現れるモチーフ
テクスト分析などにお詳しい方にお尋ねします。 7 月 21 日に,「ハウルの動く城」のテレビ放映がありました。 そこでふと思ったのは,宮崎駿氏の作品には共通して「飛行・飛翔」が描かれていることです。それから「ハウルの……」を見て感じたのは,「ヒロインが髪を切る・切られる」というシーンがあって,これは「天空の城ラピュタ」でシータがお下げ髪を撃たれて切られる,というシーンと重なりました。 こういった,「飛行・飛翔」「ヒロインの断髪」といったモチーフの意味するところ,作品中での位置付けというのは,何なのでしょうか。「××分析」「××批評」などといった観点から解説してくださりたく思います。そのほかに共通するモチーフがあれば,それもあげてくださればと思います。 当方,恥ずかしながら専門的なことは知りませんので,概略を解説していただいて,あとはこの文献を読みなさい,というご回答をくださればと思います。ご紹介に沿って勉強したいと思います。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
私は、それほど宮崎アニメを好んで見ないので、いくぶん不親切な助言になる可能性があることを、あらかじめ断っておきます。 とりあえず「分析」というからには、もう少し細かく突つくほうがイイでしょうね。 たとえば―― 「飛翔」とだけ指摘するのでは、ユルすぎる。 スーパーマンのように自力(素手)で飛ぶのでもなく、モビルスーツのような馬鹿げた重装備で飛び上がるのでもない。 その差異は押さえたいところでしょう。 つまり、宮崎アニメでは「軽装で飛ぶ」のです。 これは「風力」の助けを借りることが、重視されているからです。 巧みな自然との調和、そこではじめて「飛行現象」が成立する。 その証拠に、未熟な主人公たちが「風力」に翻弄され、四苦八苦するシーンが再々描かれる。 コレは決して、モビルスーツ等の七面倒な道具(機械)の操作に不慣れだというのではなく、あくまで、気まぐれな「風の力」を最大限利用できるかどうかがポイントになっているということです。 それから、No.1氏の指摘された「親の不在」は、「家族的なものの不在」ということもできる。 あるいは「家庭教育の不在」とも。 なぜなら、大自然そのものから直接学習することこそが大きなテーマになっているから。 No.2氏の指摘された「断髪」もここに関わってくるかもしれない。つまり「女性」は家庭における役割のひとつですが、さしあたり宮崎アニメでは、「家庭/家族」の描写は想定外なのです。 そこで教育が完結してしまっては、単なる英才教育ですよね。 「老人」についても、おそらく2種類描かれているのでは? だから、もう少しキチンと見てみないと、何も言えませんねぇ。 なお、「風」から力を引き出す一方で、逆に、自然力の利用不可能性、すなわち、自然の猛威も必ず描かれているのでは? それを欠くと、いくらでも自然を利用できると錯覚しかねない。 要するに「自然を巧みに利用せよ」、「自然は支配できない」、これらが子供たちの学ぶべき2つの知恵といってイイ。 その他、反復されるモチーフとしては、当然、「城塞(楼閣)」もそうでしょ? これは、「風」に抗いつづける人工物と言い換えてもイイ。 「動く要塞」(巨大飛行物体)も反復される。これもまた「風」を無視してどちらの方向にでも進んでいく。 だから、「城」と「巨大飛行艇」は、機能的に同義です(垂直方向に風を無視するか、水平方向に風を無視するか、というだけのこと)。 それに対置されるのが、風の影響を受ける「軽装での飛行」というわけです。 結局、テーマ批評は、誰がやっても同じようなものになる、退屈な作業なんですよ。 簡単な文献としては、『キネ旬ムック/フィルムメーカーズ6 宮崎駿』(責任編集・養老孟司、キネマ旬報社)に収録された論文「ファンタジーの内と外 宮崎駿の『神話世界』が示唆するもの」(樹村緑)があります。 それによると―― 宮崎アニメの「主題は、自然(森林)と調和的に共存しようとする者たちと近代的機械文明の武器を用いて自然を支配しようとする者たちの対立だと言われる。」 さらに、「男根的な塔は、父権的な権力の象徴」で、「地下の洞窟」は「子宮のような再生の場所」として対置されている、という。 そして、テーマ批評お決まりの筋として、作者の思想が批判されることになる。つまり、すみずみまで「形式的に規定された秩序が閉塞的に感じられる」とか、能天気な「『原始』の理想化」とか、大衆を軽視した「『英雄的歴史観』」といったものの問題性です。 この論文の他、「コナン」から「もののけ」に至る各作品の解説(解釈)が、複数の批評家の手で寄せられていますが、どれも退屈です。 でも、「分析」の参考にはなるでしょう。 しかしながら、テクスト分析には、作品における無意味なものの理不尽な反復を追跡する側面もあるんです。 となれば、作品をかなり注視して追っていく必要がある。 だが、これは、宮崎アニメの大ファンでないと難しい(私はそうではないので……)。 ちなみに、宮崎駿は、宮沢賢治を崇拝しており、賢治の童話作品に多くのモチーフを負っている。コレは看過できない点でしょう。
その他の回答 (5)
- kaokaokao417
- ベストアンサー率12% (18/143)
「××分析」などの難しいことはわかりませんが、共通するモチーフという観点で、まだ挙がっていないものをピックアップしてみました。 ・上半身が大きくて足元のふらつくキャラクター。 …ラピュタに登場する金属のロボット、ナウシカに登場する巨神兵の群れ、ゲドにでてくるクモがラストで老人化した姿。わりと怖い系のキャラクターに見られます。 ・第二の名前。 …ラピュタに出てくるムスカやシータ、千と千尋、ゲドにでてくるゲド、アレン、テルーなども、第二の実は第二の名前を持っています。千と千尋では、名前を千に変えられることによって、自己のアイデンティティーの所在を問う意図が作者側にはあったようですね。 ・自然との共存を訴える内容。 …モチーフとは言えないかもしれませんが、トトロ、ナウシカ、もののけ、ゲドに共通するメッセージとして、自然との共存を訴えている点が挙げられるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 こういった繰り返し形を変えて出てくるものが,宮崎作品を特徴付けるとともに,それに安心して身をゆだねられる評価につながっているのでしょうか。
- yoshinobu_09
- ベストアンサー率32% (134/413)
#2です。 >宮崎監督がそれをどうして「断髪」として描くにいたったのかが,気になりますね。 「断髪」シーンですが、 宮崎アニメは旧来男性がやっていた男性的役割を 女性がやるという特徴があります。 女性尊重というか、少女賛美思想のようなものがあります。 断髪は、決意する、吹っ切れるという意味もありますが、 男性化するという意味もあると思います。 従来女性は髪をなびかすことで女性らしさを表現していました。 宮崎アニメでは髪を切ることによって、女性に男性の役割を負わせています。 髪の代わりに女性らしさを表現するものがスカートです。 長いスカートがふわふわする場面が何度もでてきますね。 スカートは髪の代償だと思います。 少女は成長することにより、本来の自分を発見します。 それが髪を切った姿です。 もっとも断髪しなくても、ヒロインは最初から髪が短いことが多いです。
お礼
重ねてのご回答,ありがとうございます。 「長髪」に女性のイメージが重ねられているからころ,断髪が意味を持つ,という解釈でしょうかね。
宮崎作品を全部フォローしているわけでもなく、特別にファンというわけではないのですが、結局のところけっこう好きです。 分析は分かりませんので、共通するモチーフを。 ・少年少女 ・少女はかしこくて強くて可愛い。 ・高貴な血(姫とか王子とか、族長とか) ・飛ぶ ・飛行機、武器・武具、城、戦い ・ペットや動物と心を通わせる ・紋章 ・毛長牛 ・森 ・父母の不在、または葛藤 ・血縁者ではないが、親切な大人や老人 飛行機や武具やメカ、それと紋章のようなものが好きなのは、もともとあの人(宮崎さん)がそういうもののマニアだからだろうと思います。中世ヨーロッパみたいなのも好きなようですし。 昔っからもう、そういうものが大好きなんです。この愛好ぶりは、恐らく理屈抜きでしょう。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4499226775/250-5784457-6455402?v=glance&n=465392&s=books うわ、こんな本も出てるんですね(^^; http://www.amazon.co.jp/gp/product/4499227909/250-5784457-6455402?v=glance&n=465392&s=books それと、どうも高地や谷間の土地柄もお好きみたい。 『ナウシカ』『ラピュタ』もそうですし、『シュナの旅』もそうです。 『On Your Mark』という短編を見て、宮崎駿の世界が色濃く反映されているなあ、と思ったことがあります。 残念ながらDVDが出ていないようなのですが、CHAGE&ASKAが宮崎氏に依頼して製作されたビデオクリップです。歌の内容とは全然関係ないというか、歌の内容から宮崎的に発展させた世界です。 翼のある少女、汚染された世界、怪しげな教団(ナウシカの土鬼を思い出しました)、自由への解放、清らかなものを守る・・・などなど。 余談ですが、「宮崎泣き」というものがありまして(昔『アニメージュ』で覚えたんですが、どうも今も言うみたいですね)、少女が両手で顔を覆ってうつむいて泣くシーンです。 これも黄金パターン。分析には関係ないと思いますが。 (強いけど硬いのでなく、優しくてエモーショナルなヒロインが多い、と言えるのかもしれません) 宮崎駿のことを知りたければ、『風の谷のナウシカ』原作マンガをお読みになると良いと思います。 それが宮崎作品のすべてを表わすとは言えないと思いますが、決して外せない世界観だと思います。
お礼
興味深いご回答,ありがとうございます。 宮崎監督の表現は,その好きなもののあらわれだと言われれば,納得できる部分もありますね。 「ナウシカ」の原作は,かつて知人に勧められた覚えがあるのですが,未読です。この機に検討してみたいと思います。
- yoshinobu_09
- ベストアンサー率32% (134/413)
「飛行・飛翔」=自由・放浪・旅の象徴 「ヒロインの断髪」=女性(受身)からの脱皮 いずれにせよ、拘束されているものからの開放を表しているのだと思います。 宮崎アニメでは、「成長」というモチーフが主を占めているので、 過去の自分からの脱皮、魂の開放、自由への飛翔などの象徴としてそのようなものが繰り返し現れるのだと思います。 もうひとつ考えられるのは「冒険」です。 旅も断髪も冒険の一部と考えられます。 そのときの魂の躍動が「飛翔」シーンにみられる 「浮遊感」でしょう。 宮崎アニメの最大の魅力だと思います。 旅に出て、冒険し、自分と向き合い、成長する、この一連のテーマとして、「飛翔」「断髪」が出てくると思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに「断髪」のシーンは,決意する,吹っ切れるという状況に前後して当てはまると思います。 そうすると,宮崎監督がそれをどうして「断髪」として描くにいたったのかが,気になりますね。
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
>そのほかに共通するモチーフ 私は、「親、特に母親の不在」をあげたいと思います。 カリオストロの城の クラリス 未来少年コナンの ラナとコナン コミック版ナウシカの クシャナとナウシカ ラピュタの パズーとシータ トトロの サツキとメイ(病気不在) もののけ姫の サンとアシタカ 千と千尋の 千 ハウルの動く城の ハウル ちょっと違うかもですがが、魔女宅の キキ(修行開始後) <おまけ>宮崎作品とはいえないでしょうが ゲド戦記のテルーとゲド 反面、祖父母、またはその世代の人が重要な役割をしめるものは多数あります。 ラナの おじいちゃん ナウシカの 「そのもの青き衣をまといて」のおばあちゃん シータの おばあちゃんと海賊のおばあちゃん サツキとメイの 「まっくろくろすけ」のおばあちゃん もののけ姫の 長老 千と千尋の ふたりのおばあちゃん 耳をすませばの 地球屋主人 魔女宅の ニシンパイのおばあちゃんとメイドのおばあちゃん ハウルの 二人の魔法使い
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃる類型も確かに多いと思います。それが意識的であれ無意識的であれ,何を象徴するのかは,興味深いところです。
お礼
詳細なご回答,ありがとうございます。 おっしゃっていることにはなるほどと感じますが,その対象が宮崎作品に閉じている気がします。それがいったい,「どんな分析に基づいて」おっしゃているものが導けるのか,それに対して「参考文献」などがあれば,ご教示いただきたく思います。このあたりは,宮沢賢治作品から演繹できる類のものでしょうか。