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中世日本の農村社会について

現在農村社会についてのレポート作成中なのですが、資料不足の部分があり困っています。 お聞きしたいことは「自給自足的な農民社会の中で商品流通がどうやって生まれたのか」です。 質問する立場でお願いするのもなんですが、できるだけ詳細な過程を書いていただけると非常に助かります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • at9_am
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回答No.3

自給自足経済が確立していた室町中期ころの農村経済は、塩以外は交易そのものがほとんど存在しない状況が続いていました。 ただし、この時期にも各地の有力大名(正確にはこの時期には大名ではない)や寺社はそれなりの商品流通を行っていました。例えば日明貿易などが良い例ですね。 末期になりますと、特に畿内を中心に貨幣経済が浸透します。近江商人などが良い例です。農村への波及も、商品作物である綿の普及が物語っているように、かなりのモノになります。 その後、江戸時代には、各地の大名の政策の影響を受けつつも、農村は、例えば肥料として鰯を使うなど、次第に自給自足経済を脱していきます。 因みに。 旅の語源は、「たべ」、即ち「くれ」だそうです。 要するに乞食がくれくれと言って諸方を回っていたのが語源だそうです。 商いは、「秋」「担う」、即ち秋に荷物を持って歩き回ることが語源だそうです。 要するに秋に採れた収穫物をもって諸方で交換して回ったのが語源だそうです。 この位大昔から交易はあったようです。

その他の回答 (2)

  • izumon
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回答No.2

 商品流通が実現されるためには、余剰生産が可能になることが不可欠です。したがって、次のような図式が成立します。 鉄製農具の普及や農業技術の進歩(肥料・二毛作など)   ↓ 余剰生産+流通の担い手の存在(河原者)   ↓ 中世における商品流通の発達

回答No.1

どんな時代にも、放浪癖の人間がいます。 その旅人が、 ある村で余っている産物が、 違う村では、少なくて困っている事を知ったら、 必ず動いて、その産物を流通させ、 感謝され、もてて子供をなすでしょう。 その子供もまた放浪癖なので、 あちこちに出かけては、めぼしい物を見つけてくるでしょう。 ということは、放浪癖=鑑定師のハズだが、ちょっと無理があるな。

noname#151214
質問者

補足

大変わかりやすい回答ですが、残念ながら私が求めているのは例えではなくあくまで歴史に基づく過程の説明なのです。