江戸期の軍談書『常山紀談(じょうざんきだん)』のエピソードです。
鷹狩りに出掛けた太田道灌が雨に降られ、百姓家に簑を借りようとしたら、女から山吹の一枝を差し出されました。花をもらいに来たのではないと道灌は怒って帰りましたが、後に『後拾遺和歌集』にある兼明親王の古歌を踏まえた返答であったと知りました。
「七重(ななえ)八重(やえ)花はさけども
山吹のみのひとつだになきぞかなしき」
山吹の実と簑を掛けて、簑が無いことを伝えた女の意図を理解できなかった己の不明を恥じた道灌は、詩歌を学びます。
その後、戦で夜半の利根川を渡るため浅瀬を探した時に、
「そこひなき渕やはさわぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて」
の古歌を思い出して波の荒い場所を見つけて浅瀬を渡ったなど、詩歌に通じた文人になったと伝えられます。
ただし、『後拾遺和歌集』の兼明親王の歌は正しくは以下の通りです。
「七重八重花はさけども
山吹のみのひとつだになきぞあやしき」
植物学的にはヤマブキは5本ある雌しべのすべてが結実することはまれで、1~4個の核果を付けます。ただし八重咲きのヤマブキは結実しません。
平安期ごろから鑑賞されるヤマブキは一重咲きよりも八重咲きが中心であったので、「ヤマブキは実ができない」と誤解されたのでしょう。
核果…モモやウメの液果のように外果皮は薄く、多肉・多漿質の中果皮と、厚く堅い内果皮とをもつ果実。