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正岡子規の俳句の意味を教えて下さい。
春雨をふくめる空の薄ぐもり山吹の花の枝も動かず。 何卒よろしくお願い申し上げます。
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子規は「写生」ということを提唱しました。それは、悲しいとかうれしいとか書くのではなくて、自分が何かを心に感じた情景をそのまま写真のように描写をする事で読む人に同じ体験をしてもらう、何か近い物を感じてもらう、そのような手法と考えても良いと思います。 この歌(俳句ではなくて短歌です)を書いたのは死の二年前で、もうほとんど家から出る事はできず、寝たきりに近い生活をしていました。その病床から見える庭の情景を描写した「庭前即景」と題した十首の歌のひとつです。 芭蕉のように取材旅行をしようにも不可能であった子規は、庭という狭い中で普通なら見過ごしてしまうような移ろいをじっと見つめていたのでしょう。またそれまでの他の歌人俳人があえて取り上げなかったような事柄を取り上げて詩にしたとも言えると思います。 雨を予感させるような雲を通した春の柔らかな光の中で、自生したのでしょうか、山吹の黄色い花が全く揺れもしないで今静かに咲いています。 そういう情景を心に描いて味わってみてはいかがでしょうか。 他の季節にはあることも忘れている山吹ですが、春になると吹き出すように咲いて存在を明らかにして、もっと前子供の時に見たことなども思い出します。自然の生命観を感じる歌だと思います。 「庭前即景」 山吹は南垣根に菜の花は東境に咲き向かひけり かな網の大鳥籠に木を植ゑてほつ枝下枝(えしつえ)に鶸(ひは)飛びわたる くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる 汽車の音の走り過ぎたる垣の外の萌ゆる梢に煙うづまく 杉垣をあさり青菜の花をふみ松へ飛びたる四十雀二羽 一うねの青菜の花の咲き満つる小庭の空に鳶舞ふ春日 くれなゐの若菜ひろがる鉢植の牡丹の蕾いまだなかりけり 春雨をふくめる空の薄曇り山吹の花の枝も動かず 家主の植ゑて置きたる我庭の背低若杉若緑立つ 百草の萌いづる庭のかたはらの松の木陰に菜の花咲きぬ
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- nobita60
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意味はあなたが解釈すればいいのです。 入試の天声人語空の出題で作者の気持ちを答えよと出題されることがあります。 作者はそんなことは思ってないと反論されることもあるでしょう。 貴方がなぜそう思ったかを述べればいいのです。意味は子規以外知らないのです。子規以外の人は自己の感性で解釈しているのです。 私の解釈 子規は結核で長く闘病生活を送っていました。その心情が色濃く出て、薄曇りの空で、もう直ぐ春雨が来るのかもしれない。今は山吹の枝も動かない状態。私も病に侵され動くことができないが、春雨が私に降り注げば枝を動かして水分(養分)を吸収したいな。 貴方の感性で答えればいいのです。解釈の相違があるからこそ対話が生じるのです。みんなが同じ考えは気持ちが悪いと思いませんか?
お礼
詳しくすぐにお答え頂き、有難うございました。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
そのくらい淀んでいるってことでは? そこから風が吹くようになれば雨も降るのに・・・という意味でしょう。 でも季語が重複されているのは珍しいですね。
お礼
有難うございました。
お礼
有難うございました。勉強させて頂きます。