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太田道灌の山吹
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌、これについてはいろいろ説明がありますが、当方はどういうわけかこの歌が「失恋」の歌に思えてならないです。七重八重と美しく咲く山吹が実を結ばないように私のこの恋も美しく燃え上がったがゆえに好きな人と結ばれなかったのだ、という気持ちが込められているようです。「なきぞ」は「無きぞ」と「泣きぞ」の二つの意味があると思うんですがどうでしょう。
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失恋の歌という解釈は十分成り立つと思いますが、「なき」を「泣き」とするのは無理があります。 「実のひとつだに」+「泣きぞ」では文法的に支離滅裂な日本語になってしまい、意味不明ですし、後に「悲しき」とあるのに、さらに「泣き」を重ねるのはくどすぎます。 「泣き」にしなくても、そのままで十分に失恋の歌という解釈は成り立つと思います。
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- eroero4649
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歌はどう解釈しようと、その人の自由であると思います。和歌も、J-POPも。 私は持統天皇の「北山にたなびく雲の青雲の 星さかりゆき月もさかりて」を勝手に「失恋ソング」と解釈しています。「北の山に雲がびゅんびゅんと飛んでゆくよ。まるで私の元を去ったあなたのように」って。
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やはり恋の歌が歌の中でいちばん多いんだと思います。日本に限らず、また時代に関わらず。人は心に秘めた思いを歌で表現してきたんですね。これからも変わらないでしょう。ありがとうございました。
- gunsin
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本当の事は、詠み人でないと解りません。 読者が如何様に、解釈しても宜しいと思いますよ。 和歌は掛詞を駆使する事が上級テクニックとされています。 山と言えば、駿河の人は、富士山を上野の人は赤城山を 思い浮かべる事が多いでしょう、育った地域で言葉の意味が 違って来ます、七重八重の詩も、失恋した時に読んだのかも 知れません、それを、無きぞ悲しきに掛けて、太田道灌に、 差し上げた可能性は零ではないでしょう。 漢字、カタカナ、ひらがな、3つの文字を持っているのは、日本国 だけです、平安時代の女史に感謝です。
お礼
そうですね、詠んだ人でないとわからない。最初は失恋の歌であることが明白だったのかもしれません。しかしそれについての説明は残らず美しい日本語の調べだけがその後何百年も残ったのでしょう。ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。当方、古典文法よく理解していないのにあれこれ書いてしまいました。お恥ずかしい。ただD-Gabachoさんも失恋の歌の可能性有り、と解釈されているわけでその点当方と一致しました。将来、この歌が失恋の歌とはっきりわかる、というものでもないのでしょうね。美しい日本の歌がここにある、といつたところでしょうか。