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団塊世代の青春期
団塊世代の人達(昭和22年から24年前後生まれ)で大学に行かなかった人の多くは「お金がなかったから大学にいけなかった」と皆が口をそろえて言いますが、実際にはこの世代の人達は経済的理由で進学を諦めたのでしょうか?それとも、受験競争に敗れたけど、それを言うのがはずかしいからこのように言っているのでしょうか? 確かにこの世代は兄弟・姉妹が多い人が多いので経済的理由もわからなくないのですが、たった数年経過するだけで世の中の豊かさが半端でないくらい豊か(昭和35年から45年の間)になった事を考えると不思議で疑問に思いました。
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>実際にはこの世代の人達は経済的理由で進学を諦めたのでしょうか? はい、多くの人が大学はおろか高校も諦めなければなりませんでした。 そのため、企業は、中卒の人を雇って、企業内で教育をしたりしました。 また例えば、学校でも、ようやく始まったテレビ放送を見る、「白黒テレビ」が買えなくて、ユネスコの援助で設置されたというような状態でした。
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- lisanakano
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何か、多少の認識違いが在ると思います。(私はこの後の世代ですが!!) 質問者さんは、多分最近の世代の方と考えますが日本が豊かになった時期は昭和35~45年ではなくて高度経済成長期ではありますが、衣、食、住が何とか不自由でなくなったと言う事で決して豊かと言う感覚を持っていなかった筈ですよ。 勿論、高度経済成長期で耐久消費財を国民が徐々に手にすると言う時代では有りますがそれでも殆ど家、車、電化製品についても高級感は無く、今の時代で言えばまがい物に近い物が殆どです。 昭和45~50年で私の記憶では国立の入学金+授業料で一時納入金が5万程度私立では関東圏で50万弱、大卒の初任給が36000円程度高卒は28000円程度(この当時は給与も急速に増えていきます。) 関東圏での生活費が5万/月、関西圏で3.5万/月程度でした。其の当時の父親の給与は多分10万程度、高度経済成長期ですらこの程度ですから其れより前の35~40年での給与は多分半分程だと思います。生活費も半分だとしても、大學に行く事が出来る人は短大も含めて30%程度だと考えますし、受験人口は年間45万人ぐらい(40年代後半、入学する人の数は多分半分程度だと思う。) このような時代よりもう少し以前ですから、受験競争に敗れたけど、それを言うのがはずかしいからこのように言っているなどと言うのは、あまりに侮辱だと思います。 ある程度外の世界を見る事が出来豊かさを実感出来るのは昭和50年以降だと考えますが!!!!
- shigure136
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人間は「先に知る者」ではなく「後に知る者」であることを確認してください。 これから起きることを先に知るのではなく、このようなことが起きたということを、起きた後になって知るのです。 したがって、団塊の世代の子供達を支えてきた大人たちは、まもなく訪れるであろう好景気の到来を知る由もなく、自分達が育ってきた厳しい時代の延長線上で、生活のことも教育にことも、子育てのことも考えてきたのです。 もちろん、次第しだいに生活は楽になり、こんなことだったらこれも出来たのに、あれもしておけば良かったのにと思うことは多々ありました。 しかし、その時点では判断基準が発展途上の厳しい時代のものだったのです。 経済的な理由はなんにつけても絶対的な基準だったのです。我慢、忍耐、という戦後から続いた日本人の根底に流れる精神が、まもなく訪れる好景気、高度成長前夜でも、厳然と生活の基盤として定着していた時代だったのです。
- aburakuni
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25年生まれと言う事で団塊の外れなのですが、地方の小学校時代では、大学まで行くと言う人が50人クラスで数人でした。 中高は東京の進学校でしたので、言われる様な事は聞いていませんたが、大学に入って「金銭的に入れない人が多い」という事を身にしみて知りました。 当時の国立の授業料は「月千円」でしたが、それでも奨学金を受けてやっとの友達もいて、「私立は絶対無理」という人はとても多かったのが実情です。 日本が本当に豊かになったのは、オイルショックを克服し発展していった後で、それまでは普通の家で車を買う事も考えられない状態でしたし、1ドル360円というレートでも海外からモノが輸入されてくれば、国内産業は全滅してしまうと憂慮されるような時代でした。
私は23年生まれですが、たまたま奨学資金で大学には行きましたが、中学卒の年にオリンピックがありましたが、その2、3年前には高校生が革靴を履いていて、まぶしく感じられました。大学に入った当時は、早稲田などに入るのに入学金が、確かではないが50万~100万位かかったので諦めて入学金10万の大学を受験した事を覚えています。社会人の平均給料が、やはり確かではないですが3万?あったかどうかという当時ではなかったかと思います。今でもかなり親御さんは負担ではないかと……。少子化で、せめてコノ子くらいはと考えているかもしれません。当時は借金もローンっていう便利なものもありませんでしたよ。高校受験時には大学紛争はなやかりしで、阪神の岡田監督なんか、ゼミが受けられずで(先生いなくて)卒業はしていません(余計な事ですが)45年くらいから一気に経済上昇っていうところでしょうか……。
- yokanise23
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地方出身の23年団塊世代です。 中学で習う英語は必須ではなくて職業技術との選択でした。70人ひとクラスで12組あり840人のマンモス校でしたが他地区の学校も似たり寄ったりでした。 高校に進学したのは半数です。普通高校の進学校でしたが、その高校から大学に進学したのは20%ぐらいではなかったでしょうか。 高校に進学しなかった人は青田刈りで就職を奨励していた事もあり集団就職で列車に乗って都会に向う人を何人も見送りました。 進学校でありながら大学に進学できなかったのは経済的理由が一番ですね。兄弟が多く学費に回すほどの経済的余裕がない家庭が多かったですね。 お願いして大学受験は認めてくれましたが国立だけの受験で落ちれば就職がする事を条件に受験したことを覚えています。(当時は一期校・二期校と受験できました。) 自営業の家庭はそれでも私学を受験する余裕があったのでしょう友人の何人かは高い授業料の私学に行きました。 みんなが貧乏の時代でした。 今でも貧乏していますので成長していないようです。