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「いつ死んでもいい」と思うのは?
こんにちは。10代後半の女です。 「いつ死んでもいい」と思ってしまいます。 と言っても自殺願望があるわけではなく、「死にたい」とは全く思いません。 私が死んだら悲しむ人もいるし、将来やりたいこともあるし、今やらなくてはならないこともあります。 ただ、今家庭に大きな問題を抱えていて周りにもよく耐えられるねと言われるくらい、精神的苦痛は受けています。 私は鬱など病気というわけではありません。 この質問をして何か答えが出るというのではないのですが、「いつ死んでもいい」と思ってしまうのは、良くないことだと思いますか? カテゴリー違いでしたらすみません。
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質問者が選んだベストアンサー
どんな職に就きたい、などの将来への展望は割とちゃんとあるし、 そのためにも今やらなければいけないことがあるのは理解しているけれど、 今の生活に対しては、特に未練もないし、という感じでしょうか。 こういうのは青年期によくありがちな状況だと思います。 というか、自分自身、高校の後半はずっとそんな感じでした。 別に今死んでも、何も困らないかなって。実際は困るんですけど。 大学で本当に学びたいことを学ぶため、勉強しなければいけないのは分かる。 でも、高校での勉強のうちの多くが将来役に立つとも思えない。 自分は何でこんなことに時間を割かなければいけないんだろう、と。 また、家庭については私も、今も継続されている部分が多少あるのですが、 特に高校の頃は多大なストレスを感じていました。親による束縛やストレスの転嫁など。 鬱ではないという質問者さんの判断も正しいと思います。 おそらくアイデンティティの拡散した状態、あるいはモラトリアムの状態にあるのでしょう。 自分の中での物事への価値が不安定になっているように思えます。 (アイデンティティやモラトリアムは心理学の用語ですが、 自分自身、こういったことがよくあることなのだと知ったのは、 心理学の講義を大学で受けたためです。) 私が思う、今、質問者さんがすべきことは、 自分がやらなくてはいけないと感じている事柄を"それなりに"やっておくこと、 それから、周囲との間に発生している問題について考えることです。 その問題が自分の中で解消される方向に向かっていったとき、 「まだ死にたくない、死ねない」という思いに変わっていくと思います。
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- kosa
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「死にたくない」って思うのは、自分にとってやり残したことや未来に対する希望や願望が大きい場合に思うことであって、挫折や失望などで今が全然楽しくない時は、私も「いつ死でもいいや」って思うことはあります。 そう考えてしまうのは悪い事でもないと思う
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね…今は楽しいことも楽しくないこともあるし、それなりに生活しています。 現実的に考えて、今楽しいのは自分なのだから、自分がいなくなっても困ることはないのかもなぁと思ってしまうのかもしれません。 価値観の違いみたいなもので、悪いことではないのかなと思えました。
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お礼
回答ありがとうございます。 >どんな職に就きたい、などの将来への展望は割とちゃんとあるし、そのためにも今やらなければいけないことがあるのは理解しているけれど、今の生活に対しては、特に未練もないし、という感じでしょうか。 本当にその通りだと思います。 今死んでも現実的にどうにかなるだろうし、ととても虚しい考え方をしてしまうんです。 高校の勉強が無駄とかそういう風には思わなくて、勉強の意味や必要性もわかってはいるのですが…。 でもみなさんおっしゃるように、こういう年頃みたいですね。 家庭の問題は厄介ですよね。 buglerさんの問題も、早く解決すると良いと思います。 どうして鬱にならないでいられるんだろうと思ってしまうくらいですが、なんとか大丈夫でいます。 「いつ死んでもいい」と考えるのは個々の価値観や感じ方の違いのようなものなんでしょうね。 はい、今はやるべきことを"それなりに"やって、将来死にたくないと思えたら良いなと思います。