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室町時代の国人の出自
室町時代の「国人」についてです。これらは鎌倉時代の地頭、悪党がそのまま地元に根付いて、その出自の者たちが室町時代に国人といわれたということでしょうか?いきなり「国人」というのが登場して、それまでこれらは何をしていたのか、わからないのです。教えてください。
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国人といってもいろいろなパターンがあります。 代表的なものは ・守護、地頭の末裔 これはそのままです。守護、地頭としてその地に移り住んでいたのがそのまま国人化したものですね。中国地方にいる熊谷氏や毛利氏がこの系列。鎌倉~室町に出現した国人で、一番多いパターンかと思います。 ・中央官制における守、介などの末裔 これは、藤原氏を名乗っている国人に多いです。守として派遣された人の次男あたりが住み着いたのを始まりと「している」国人です。ただし、僭称が多いため本当のことかはよくわかりません。信濃の村上氏、武蔵の成田氏なんかがこれにあたります。平安期に出現した国人ですね。 ・完全な在郷領主 つまり鎌倉期以前からその地に根を張っていた一族です。三浦半島を保有していた豪族の三浦氏の末裔や、摂津の国人(ただし豪族にちかいかなあ・・)であった池田氏がこれに当たります。古くは奈良時代以前に出現した豪族です。池田氏なんかは系譜は景行天皇の末裔としていますが・・・この天皇、紀元前13年から紀元後130年の間に天皇になっていたという人でして、ほぼ間違いなく架空とされています。つまり文字として残るより昔からその地にいたのです。このタイプは、室町にはほとんど絶滅していますね。 ・悪党といった新興勢力 これはそのままですね。元は農民とか何なのかよくわからないのが、勝手に領地を奪ってそこを手に入れたタイプです。 このくらいでしょうか・・・基本的には、国人とは在郷領主のことでして、同義語です。武田氏なども捉えようによっては国人となります。 その地に根を下ろして、実際に領地を持っているのが国人、ということですね。 室町になると、守護職はほとんどが斯波とかの中央官僚から選ばれて配置されたので、彼らはその土地からすれば「よそ者」なのです。 つまり、そういった「地方に根付いていない領主(つまりよそ者)」と区別するために「地方に根付いた領主」を国人と呼んでいるのです。つまり国人というのは、あくまで区別のための言葉でして、実際には平安期から、在郷領主はいたのです。それを鎌倉期になって、守護、地頭といったものが配置されると、在郷領主を国人、と呼ぶようになったのです。 で、室町になってから彼らに光があたるのですが、それ以前は中央から派遣された役人も含めて中央が強力だったのです。 しかし、室町に入ると中央が混乱して弱体化したため、歴史を動かすパワーにおいて国人の重要度が増したため、勉強の中では室町で初めて、国人、という言葉がでてくるのです。 国人の定義については詳しくは参考URLにて。
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- 6dou_rinne
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そういうケースが多いです。 参考URLを参照してください。