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江戸時代の日本人が海外に出かけたりできなかった理由

江戸時代の初期、家光の時代に、禁教政策とともに、日本人の海外渡航行ぎ禁止されましたが、その理由は何ですか?

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  • phantom1
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回答No.1

最近は学校で教えないのですか? つまりはキリスト教禁教政策に連動した動きです。海外に日本人が出て行くと、キリスト教徒との接触は避けられないので、キリスト教の浸透を防ぐために海外渡航を禁じたのです。 しかし、幕府も国際事情から全く隔絶しては拙いと考えたので、長崎出島での厳重な監視下に限定し、新教(プロテスタント)国のオランダだけに門戸を開きました。

その他の回答 (6)

  • fornaoya
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回答No.7

すいません、NO.6です。 シーボルト事件は幕末なので今回のお話の例としては不適切だったかもしれません。すいません。 家光の時代は建国まもなく、いまだ治世が安定していない時期だと思われますので、やはり異なる政治体制からの隔離が大きな目的であったのではないかと思います。

  • fornaoya
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回答No.6

日本の機密・情報等が国外へ持ち出されることを憂慮していたためであると思います。 シーボルト事件に見られるように、鎖国以降、日本についての情報は極力国外へ漏らさないようにしていたようです。 なんということのないみやげ物ひとつでその国の経済状態や文化水準などがわかってしまったりもしますので。 また、専制的な社会では、異なる支配体制、文化から極力国民を隔離する、というのが常かと思います。 徳川幕府を専制政治と言い切ってしまうのはどうかとも思いますが、当時の幕府でも、よその、「自国よりも良さそうに見える世界」を見て、国民達が騒ぎ出したら困る、という部分があったのではないかと思います。 暴動が起きたり、幕府に従順でなくなったりする可能性を恐れたのだと思います。

回答No.5

>あとは、キリスト教ですが、これは鎖国以降です。 キリスト教の禁教令は秀吉以降、家康も出しています。

  • ultraCS
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回答No.4

別に海外だけではなく、国内の移動も厳しく制限されていました。少なくとも、藩を跨いで移動するのは簡単にはできなかった時代です。 移動の自由の制限は独裁制や封建制の大きな特徴の一つです。独裁制といわれる国のなかで、北朝鮮は明確にそうだし、中国もそれに近いことをやっています。一方、同じく独裁政権といわれていても、シンガポールは移動の自由は、一般国民には原則制限していません(だから、自由主義圏とされるのだと思います)。このあたりがヒントかと あとは、キリスト教ですが、これは鎖国以降です。

  • phantom1
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回答No.3

>世界が植民地化され続ける中、世界を支配したオランダに屈することなく貿易していたのです。 >日本の外交力はすごいと思いませんか? 人の見解にけちを付けるようで恐縮ですが、この見解は少し手前味噌のような気がします。家光が鎖国政策を進めた時期のオランダは、本国をスペインの統治下に置かれており(その後1648年にウェストファリア条約で独立)、幕府にその事実をひた隠しにしていた事情があります。つまり、当時のオランダは弱い立場だったのです。

  • jamiru
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回答No.2

日本を守るため。 すでにこの時代にポルトガル、スペインによる世界各地で植民地化が進んでおり日本にも触手を伸ばしていた。 しかも、植民地化のやり口を知っていたので外国の手先にならないようにした。 それと異人が歩いた後に不幸が起こったと言うのもあります。 風土病を撒き散らしたり・・・。 出島に隔離したのはその為でもあるそうで。 それとオランダはいち早く東インド会社を設立しており、世界の通商を支配に動いていた。 幕府は手を結ぶ相手としてベターな相手を選択したわけです。 世界が植民地化され続ける中、世界を支配したオランダに屈することなく貿易していたのです。 日本の外交力はすごいと思いませんか?