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一号作戦で
すこし下の方で一号作戦に触れましたが この作戦で、日本軍はB-29とB-17を それぞれ何機位捕獲できたのでしょうか それと昭和17年の夏 戦艦主砲一門に付き、何発の三式弾の在庫が有ったのでしょうか
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- Pinhole-09
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米軍はB-29の基地として、桂林も考慮しましたが、地上軍の手薄さから断念しました。 B-29が桂林地区へ来た事はなく、写真はB-17ではないでしょうか。 中国進出前のB-29の最初の出撃では故障機が多く、1機がベンガル湾に不時着しましたが、日本の占領地外でした。 成都から北九州への爆撃でかなりの撃墜、墜落機があり、日本の中国占領地域などにも落ちましたが、殆ど壊れました。 1機だけ不時着機がありましたが、勘違いした日本機が爆撃破壊してしまいました。 残念でした。 不時着機は他に、シベリアに降りて、ソ連に確保された1機があります。
- Pinhole-09
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昭和19年ごろ、3式焼霰弾は戦艦主砲1門あたり60発の規定でした。 17年ころは不明。
補足
なぜ17年かと言いますと、ガダルカナル砲撃です 金剛が選ばれたのは、高速戦艦だからだと言われてますが 実際は長門クラスや大和クラスには、 三式弾が無かったと思いましたので 特に大和は竣工した直後なので 2回のガ島砲撃で(うち1回失敗) 日本の戦艦8隻の36センチ三式弾を使い切ったのかと 思いまして
- Pinhole-09
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日本軍はB-29の航続距離を、低く見積もっていたので、桂林、柳州の飛行場制圧をめざし、占領には成功しました。 ところが米の第二十爆撃兵団は、日本に対しそれより500キロ遠い、成都の飛行場に展開していたので、肝心の目的は達成出来ませんでした。
補足
中国に進出した当時のB-29は練度不足、初期故障で 多数落ちています、1号作戦の写真を見ると 大型機が写っていますので、もしや緊急着陸をして 整備不良のまま、捕獲されても、不思議でないかと思いました
補足
ソ連のB-29は1機だけだと思っていましたが 3機でした。勉強になりました http://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-4_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)