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サイパンでの52型「零戦捕獲作戦」

昭和19年6月15日のサイパン上陸から始まった「零戦捕獲作戦」において 日本が死守した第一飛行場(アスリート飛行場)で、多くの零戦が捕獲され ていますが、捕獲される前に燃やすとか爆破することが出来なかったのは ナゼなのでしょうか。 宜しくお願いします。

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  • ithi
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回答No.2

heriotoro-pu さん、こんばんは。 これは捕獲作戦というより鹵獲ですね。たぶん、そんな暇がなかったか、燃料がからだったからか、あるいは弾薬が不足していたのではないでしょうか? アスリート飛行場周辺では日本兵が必死の抵抗していますが、組織的戦闘ではないた目、さっさと占領されています。 サイパン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D.E7.B7.8F.E6.94.BB.E6.92.83

heriotoro-pu
質問者

お礼

ありがとうございます。 指揮官はパラオに行って留守であっても、また、アメリカ軍がサイパンに来るとは まるで思っていなかったにしても、爆破するとか燃やすくらいのことがなぜしなか ったのでしょうか。すっかり、来ないと思っていたのでしょうかねぇ。 このあたりのことが書いてある本はナカナカ見当たりません。 ガダルカナルのときでも、日本は「アメリカ軍の奇襲」と書いていますが、、 アメリカ側は、日本軍は待ち受けているもの、と思っていたという場合が あるようです・・・・・

その他の回答 (1)

  • eroero4649
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回答No.1

なんすかそのサイパン島の「零戦捕獲作戦」て。初めて聞きました。 そもそもそんな作戦はなかったし、必要もなかったと思いますよ。だって米軍は1944年8月には以前にアリューシャン列島で鹵獲した零戦を徹底的に研究して開発したF8Fベアキャットを初飛行させていますから。 つまりサイパン上陸作戦をやる頃にはもう設計図はできあがって開発は進められていたのです。何もわざわざ新しい零戦を手に入れる必要はありませんでした。

heriotoro-pu
質問者

お礼

大戦末期には、零戦の秘密は研究しつくされていたのですが、最新(52型)は 入手していなかったということです。第一飛行場で多くの零戦を捕獲されたこと が記されている本は数が少ないので質問しました。 日大航空宇宙工学科で、零戦設計主務者の堀越二郎博士の講義を受けている 藤森氏(元航空雑誌編集、のちに世界をめぐりながら現存する零戦の雄姿を 写真撮影している方)のカレンダー2017にもコメントがあります。

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