Gです。 おはようございます。 午前のミーティングが午後になってしまい、本当はキャンセルすべきものなんでしょうがわざわざアメリカからと言うことで午後に持つことになりました。 よって少し時間が出来ましたので書かせてもらっています。
jayoosanさんがおっしゃっているjuguarにもうひとつの発音で一時話題になったことがあるのでご紹介しますね。
ラジオのコマーシャルでのことです。 前まではジャグアーというような発音で統一されていたのですが(Rの発音に違いがあることはjayoosanの言うとおりです)、問題はこのGUにもあるのです。 同じコマーシャルで男性(女性の方だったかも)は今までどおりに発音して、次に登場する異性の人はジャギュアーと発音しているのですね。 つまり、「グ」と「ギュ」の違いでUをどのように発音しているかなんです。 しかし全国的なコマーシャルですので結局どちらでもいいということなんでしょう。
学校文法とはとかく白黒に分けたがる(私がここで「分類学的作業」と言っていることですが)、しなくては教えられないと感じていすぎだと思うわけです。
固定観念が作り上げられていない、つまり学問とは離れた一般人は、文法のことを聞かれると、「そうやな、学校で習ったことがあるけど、本当はそれが正しいのかもしれないね。 でも、こういう表現をするんだから仕方ないんじゃないかな」という人がほとんどですね。
よく日本人の人で「アメリカ人の英語は間違っている」ということを言うのを聞きますが、本人たちが使っている日本語を聞くと「国語」で習った文法に反する言い方をしていますよね。
何が正しいかどうかではなく、どのようにしたらそのTPOに会った表現が出来るか、ちゃんと相手に言いたいことが伝わっているか、ちゃんと相手の言っていることがわかるか、が言葉としての「文法」なのではないかと私はこのカテでフィーリングと言う言い方をして、このTPO+性格+知識+経験を表現するものであるとしているわけです。
この考えに同意しない人はいても当然のことだと思います。 しかし、それを、間違っている、というのであればその人の言葉に対する知識・理解が少なすぎるということにもなると思うわけですね。
文法に関していろいろな理解・解釈を持っていてもそれはまったく問題ないこと、と思っているGです。
ではまた。