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労働の定義??

みなさんにとって労働とはなんですか?? 私は今、大学で「家事と労働」について研究しています。 家事は労働に値するのか? 労働に値するならばそこに賃金は発生しないのか? という問題定義を行っております。 そこで、疑問に思ったことなんですが労働の定義とはなんなのでしょう?? もし、労働の定義が「賃金を得るために行うもの」とするならば、家事に賃金を発生させることは現実問題難しいこともあるので家事は労働ではなくなってしまう。 しかし、私の労働の定義は「社会の中で生きていくために行うもの」と漠然とですが考えているので家事は労働になるのではないかと思っています。 みなさんなりの労働に対する定義があれば教えていただけないでしょうか?? それぞれの意見をお聞かせください。

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  • turbo27
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回答No.2

>労働の定義とはなんなのでしょう?? 複雑なものを理解する時はその本質に遡ってシンプルに考える事です。 では労働をず~っと遡っていくと、最初の労働は食料の狩猟採集です。これは野生動物も人間も同じです。人間の歴史でもつい最近まで(ほんの数千年前まで)「生きる為にエサを探す」事がまず「労働」でした。 その後農耕が始まり、食料計画が立つ事で労働が変わります。それまで自分か家族の分の食料を得るだけで精一杯だったのが、それ以上の食料を得る事ができるようになります。肉や魚を得る事も技術が上がり、畜産や漁業で生産量や漁獲量が上がります。 そうなると食料生産のみに労働力をつぎ込まなくてもコミュニティ(村など)が生きていけるようになり、余った労働力は道具を作ったり、服を作ったり、靴を作ったりと別の事ができるようになります。 ここから文化が始まります。なぜ道具を作る人はエサを取りに行かなくても生きていけるかと言えば、生活の向上の為に人が便利になる物を作れば、それを食料と交換できるからです。ここからいろんな職業が生まれだします。 さて最初は食料と物との物々交換だったのが、そのうちお金というものができます。食料では長期間大量に貯蓄したり持ち運んだりが不便な為、便宜上価値を別の物に置き換えた方が都合がいいからです。最初は石や骨、そのうち技術が発達し、金属の貨幣になりました。紙のお金=紙幣が出来たのは、つい最近の事です。 >もし、労働の定義が「賃金を得るために行うもの」とするならば、家事に賃金を発生させることは現実問題難しいこともあるので家事は労働ではなくなってしまう。 家事は労働です。労働の対価として生きる為に必要な「食料や物」を得ます。 外で働いてきた父ちゃんも家で家事をしている母ちゃんも、同等の家と物と食い物を得ます。 労働の定義は「賃金を得るために行うもの」と考えるからおかしくなるのであって、「食料や物を得るために行うもの」と考えればいいわけです。 「賃金」はその「食料や物」を便宜上、別の価値に置き換えたものというわけですねw。

noname#33409
質問者

お礼

ありがとうございます。 シンプルに考えるとすごくわかりやすいですね。 賃金の成り立ちがわかって、やはり家事に賃金を持ってくるのは違うなという自分なりの考えがまとまってきました。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • sinkyou
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回答No.5

お返事有り難とうございます。 質問者さんの「労働に値するならばそこに賃金は発生しないのか?」という点に焦点を当てて述べていました。 私の意見は、「家事労働」といったり、「内助の功」といったり、表現は違えども、「労働」になります。 生活する上で、日常必要なものであると考えます。 なぜならば、労働は対価を発生させるということは「家庭内に置いて」はないものとおもいます。 私の書いた論文も私の所見を十分に述べているつもりで書きました。そこに私の意見は当然述べておりますし、たまたま民法の著名な先生の説と合致しただけなので、あくまで私自身の考えをのべたものです。 もう一度、私の前の意見に目を通していただけませんか。 法律や社会学でも採り上げうるテーマとして、多様な考え方が出来るので、関連した著書を大学図書館などで当たられ、著者の考え方も参考に…。とのことで述べさせていただいた次第です。 本の内容もその著者の意見が述べられております。また、その人の労働の考え方が分かりますよ。社会政策などの本でも、ひもとくといろんな方面の片の労働に関する考え方が分かると思ったので、学問名を挙げたのです。 大学生ということで、学生の中でも一番本と接するべき時期だと思いますので、本から得られる知識、考え方が人の幅を広げるものと私は確信しています。 研究は地道ですが、関連ホームページ、書物に当たられると良いかと思います。 このサイトは、統計など取るのが適しているのかもしれませんね。 いろんなカテゴリで、少し内容を変えて幅広く考えを求められれば、意見も集まることと存じます。 参考まで。

noname#33409
質問者

お礼

ありがとうございます。 とても参考になりました。これから色んな視点から物事を見ていきたいと思いました。 ありがとうございました。

  • sinkyou
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回答No.4

私も大学の折り、法学部で家族法を学びました。 研究テーマは夫婦財産制について論文を出しました。 家事は労働に値するのか? 、という疑問ですが、「家事労働」といったり、「内助の功」といったり、表現は違えども、労働になります。 生活する上で、日常必要なものであると考えます。 着ていた衣類を洗濯する、部屋の掃除をする、買い物に行くなど生活する上では欠くことの出来ないものばかりです。生活する上で、収入を得るのと同じく、誰かがしないといけません。 質問者さんの労働の定義をブリーフ(修正)する必要があるとおもいます。 なぜならば、労働は対価を発生させるということは家庭内に置いてはないものとおもいます。 労働法の対象も、他人のために労働力を提供して対価を得る(収入を得る)と定義されています。ですから、家族は対象からはずれてしまいます。 私の論文で研究したのは、夫か仕事をし、妻が家事をするという形の家族で、夫が得た結婚後の賃金は夫のだけの財産になるのではなく、そこには、妻の内助の功(家事労働)が得られたゆえのものであると論じております。 最近では、社会学的に言うと主夫という考えも出てきています。上で述べた逆のパターンですが…。これも、夫が妻を支えるという形になりますね。夫が洗濯したり、子供の送り迎えをしたりして。 この場合、妻が稼いでいて、夫は何もしていないかといえば、決してそんなことはありませんよね。 判例(裁判所判決例)でも、家事労働(内助の功)は労働の価値ありとしての解釈がなされています。 私は民法の大家である故・我妻栄先生の説を自分の考えと一致し、先生の説を採りました。 東京大学が東京帝国大学と呼ばれていた頃の我妻先生が上記のように家事労働を認めるように述べているのは興味深いものと思います。 歴史的にみても、まだ洗濯機がない頃などの家事労働は、たらいで洗濯物を洗っていたりしてましたよね。 歴史をさかのぼると家事労働、内助の功がいかに家を支えていたかが分かるとおもいます。 社会学的にみても、今の主婦は、家のこと、パート勤務など、社会にどんどん進出してこなすことが増えているように思えます。 このような社会情勢からみても、質問者さんのテーマは多様な角度でみていくと誠に興味深いものであると思います。 私の意見が参考になればと思います。

noname#33409
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 >質問者さんの労働の定義をブリーフ(修正)する必要があるとおもいます。 なぜならば、労働は対価を発生させるということは家庭内に置いてはないものとおもいます えーと、私の労働の定義としては「社会の中で生きていくために行うもの」という考えなのですが、そこをどう修正するべきとお考えですか? 私の理解が浅いところがあると思うので申し訳ないです。 もしよろしければ、労働法や民法などの法律的なことは抜きとしてsinkyouさんの個人的な労働についての考えをお聞かせ願いますか?

  • ajyu7
  • ベストアンサー率55% (142/254)
回答No.3

学問として考えるなら、「労働」のような広い意味を持つことばの定義とはなにかと考えるのではなくて、「ある視点からみた労働とは」と定義するのが一般的ではないでしょうか。 家事が労働に値するか、否かについて、両方の視点から「労働」を定義した場合、それは異なった結論になりますよね。 NO1さんの仰るようなことも「労働」の一つの定義ですし、「労働」を契約と捉えて「行為に対する対価」とした場合は、「自分の食糧を得る活動」は労働ではない、となってしまいます。 法律的には、契約と考えざるを得ないので、労働に対しては対価が必要でしょう。(もちろん「無償で」と合意して行うこともありえます) 個人的意見としては、家事は立派な労働でしょう。 自分のために行う家事については労働とするか否かは意見が分かれるところでしょうが、それを他人にやってもらう場合(お手伝いさんなど)、相応の対価を支払わないと引き受けてが通常はありません。 家庭における家事であれば、結婚も法的な契約の一種であるので、夫が対外的に労働を行い賃金を得、妻は家庭で家事を行う、という合意ができていれば、直接的な賃金は発生しませんが、資産、年金等は「共有財産」として扱われ、二人で稼いだとみなされるのが一般的ではないでしょうか。 道義的、心情的には、もう少し別の考え方があると思います。 要は、ご質問者の考える「労働」の定義が、どの視点から見たものかという点がはっきりしないとあまりにも広い概念なので諸説あるのでは、ということです。 きちんと場合分けして定義しないと学問的な定義は行えないのではないでしょうか。

noname#33409
質問者

お礼

ありがとうございます。 至らない文章で申し訳ありませんでした。 自分の中で労働という定義の確立がしっかりできていないので、考えるにしても考えられないなと反省しました。。 私としては、結婚もひとつの契約とは言えど、会社とは少し異なった心情的なものが家事労働には絡んでくると思っています。それによってつらい思いをしている人がいると思うので、家事労働をすることによって家庭内の格差はなぜ生まれるのかということを根本としては研究したいかなと思っています。 ですから、心情的なものとして労働とはなにかを問いたいです。 とてもいい勉強になりました。 まだまだ、考えなくてはいけないことがたくさんありますね。 ありがとうございました。

  • tanuyama
  • ベストアンサー率38% (109/286)
回答No.1

家事は立派な労働だ。その対価は、家に住み、服を着て、食事をする、時には外食、ショッピングを楽しむ、といったものであると認識する。外で働いているオヤジ共は労働により金銭という対価を獲得する。しかし、一部の勝ち組をのぞいて、赤提灯の安酒や、350円の牛丼しか食えないのだ。その対比からわかるように、家事労働は金銭という対価を得る変わりに衣食住という安定的な対価を手に入れている。それはさておき 労働とは、汗水垂らして、無い知恵を絞って、額に汗して働くこと、であって、決してムラカミヨシアキの様な輩の所行ではないこと、と定義できる。

noname#33409
質問者

お礼

ありがとうございます。