- 締切済み
無知の無知たる所以は?
ここのサイトでも多くの方が、質問されていますが、分からなくて悩んで質問されているのでしょうが、どうして、回答が偏っているのに、それで満足されるのでしょうか? 実際には、それが正解でないかもしれませんが、自分の知識の範囲で気に入ったものを良しとしているとしか思えません。 分からないのでしょ。 それで、どうして、それが良しといえるのでしょうか? お互いに論議して、糸口を見つけ出すことが大事なんじゃないでしょうか? それが知ることじゃないですか? 回答者諸兄には、いろんな方がおられますが、正誤、真偽等もあるでしょうが、認識の違いはあるかもしれませんが、一つの意見でしょ。 それが、本当に正しいのかは、本来、質問者には分からず、理解されないことではないのでしょうか? 助言は、本人には耳が痛いことが多いということです。 安易な選択は墓穴を掘ることになるのではないのでしょうか? 如何でしょうか? 耳の痛い話を聞かせて下さい。
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- summer_lunch
- ベストアンサー率7% (1/13)
こんにちは。odd-artさん。 お礼欄があるのに、さらに点をつけることがチョッとだけおかしいと思います。 良回答のについて言及するなら、あの点は、どれだけ説得されたかという意味での、点である部分が大きいと思います。私はこれだけ説得されましたっ的に、二十点、みたいな。はらたいらさんに、、、←クイズダービーです(超古いですね)。ご存知ですか? 同じ世界に住んでる人は言葉も同じで話も出来、通じる所が大きい。慣れ親しんでいるから。しかし、宇宙人と話すのは億劫でしょう。だいいち、違和感、気持ち悪い、という感覚がその人に働きます。回答者の度量、大きさが、問題です。相手の事を思っているかという事です。少年が、老人に教えると言う事は、比較的難しいと思われるかもしれないが、相手が老人でも宇宙人でも、「その人」に回答するという姿勢が教える側には当然だと思います。 いかにして判断下されるのか?という問いは、注意しなよ、。的に素敵ですが、判断、決断と言う「行動」も、結構考えるべき点と私は感じます。 考えて行動するのは、一途じゃないです。って思います。だって、候補たくさんって感じだもん(笑
- FFMAN
- ベストアンサー率21% (15/69)
純粋な知識欲を元になされた質問であるならば、確かにodd-artさんが指摘される ような問題点に大筋で同感です。単に自分の考えの補強のつもりで質問するよりも 質問の回答にオープンな姿勢で臨んだ方が、結果的に質の高い知識に到達できる可 能性が高いと思います。 ただ、このサイトでは知識を問うてるのではなく、生き方を決定するための 選択肢や意見としての回答を求めている質問が結構多いような気がします。 そのため知ることよりも、今後自分の行動の指針となりそうな回答を必要と するのは自然な成り行きかと思います。そして自分の気に入った回答を選択 しがちなのも自然に感じます。そもそも色(願望)のついた質問であること が多いと思いますから。(例えば、道徳的行動の根拠の確かさに不安感をもっ ている人が立てた質問は、不安感を解消するための回答を欲しがるのではない でしょうか。) 安易な選択であったかその選択が正しかったかどうかは、その後の質問者の人 生が明らかにするでしょう。ただ生き方の決断って、決断時にはその正誤は判 定できない種類のもので(予測はできても)、ただ結果のみが語ってくれるも のじゃないでしょうか。だから正しいか正しくないのかわからなくとも、納得 できそうなものを選択するより仕方ないのかなと思います。
お礼
有り難う御座いました。
お邪魔します。 最近お名前をみるとオモシロそうだなと思い立ち寄ってしまいます。 私の考えはgould09さんに近いかな? でももう少しシニカルな考え方です。 質問者は知らないから判断できない・・その通りです。 律儀な方は、あらためて調べ直して納得したものに「良」をつけることをしてますが、多くは判断したのではなく選んでいるのだと思います。選ぶだけでしたら、うちのラッキー(ビーグル13歳)でもしますので、別に『知』はいらんと思いますよ。 >或る程度、回答を知っていて、試しているとしか思えません。 これについては、それを悟られなければいいのでしょう。悟られるとは、知識を披露して回答者と議論になってしまうことです。それにコレを完全に否定すると『あいまいな知識で・・コレって本当?』と聞くものも出来なくなるような気がします。回答を読んで「はいそうですか、ありがとうございます」だけ書いておく分には良いんじゃないかと思いますよ。間違いをきつく指摘したりすると和を乱す意味で引っかかるのではないでしょうか? 徹底した議論をした上で解に到達することは実社会では正しいですが、このサイト内での扱いはbeginnersanさんが書かれたとおりだと理解しています。でもそれをかいくぐるようにしてあいまいな形で楽しむのもこのサイト内では可能なように思います。冷静に議論するとか、冷静におちょくるとか・・です。 >本当に正しいのかは、本来、質問者には分からず、理解されないことではないのでしょうか? ・・・その通りです(先に回答済み) >助言は、本人には耳が痛いことが多いということです。 ・・・その通りです。(言うまでもなく真理です。) >安易な選択は墓穴を掘ることになるのではないのでしょうか? ・・・その通りなんですが、墓穴を掘ろうと尻に火がついてその後どうなろうとどうでもいいのと違いますか? 自分のことじゃあないし、質問者が自分で選んだことだもの。実生活の悩みがチョコチョコっとネットに書き込んだだけでそんなに簡単に解決するわけないですからね。解決したらそれこそ『ラッキー』なだけでしょう。 そう考えて気楽に行きましょうよ。
お礼
有り難う御座いました。
補足
そうだよね。 所詮は、「自業自得」で、間違っているとしても、それを正しいとした、自分が悪いのですね。 まあ、それほどまでに質問者を心配しても詮無いことなんでしょう。 ここのサイトは、勉強にもなるけど、面白いよね。
- samarukando
- ベストアンサー率18% (17/93)
最近ここで質問したり回答したりする楽しみを見つけたものです。 odd-artさんのご回答にはいつも感服させられている一人であります。 さて今回の無知についてのご質問でありますが、わたしもおっしゃっているような疑問を持ったこともあります。しかし最近はちょっと変わってきています。 質問に対して回答してみても、こちらが思ったようなお礼の言葉や点数がもらえないときは、回答を失敗したなと思います。それから改めて質問や他の人たちの回答を読んでみると、質問の趣旨を誤解していたり読み間違っていたことを発見することがよくあります。 質問に対しては文字の上に現れたものだけでなく、質問の背後にある隠れた本音のようなものも読みとることが必要だなと思うこともしばしばであります。 ここで回答するということは、非常に勉強になります。質問者の人に教えられることがいっぱいあります。 無知というのはソクラテスの昔から「おのれの無知を知らざる事こそ無知」でありますから、自分の無知を知って質問される方々こそ真の知者ではないかと思ったりしています。
お礼
有り難う御座いました。
補足
自分の知らないことは何かを明確に出来る方は、本当に居るのでしょうか? 実際は、分からないとしながら、確認しているとしか思えません。 知らないということは、教えられたものが、全て正しいものであるということにもなり、本当は判断が付かないんじゃないでしょうか? 本来、正しいという判断は付けれず、判断出来ること自体、間違っているんじゃないのかと、問題にしたわけであります。
- gould09
- ベストアンサー率33% (196/589)
ごめんなさい。 うまく説明出来なかったようです。 >そうなんです。 >選択の基準を、自分の知識だけで判断しているのです。 回答は難しいです。 また、伝わらない可能性は有りますが、出来る限り説明させて頂きます。 自分は、odd-artさんの質問の主旨とは反対の回答を行ったつもりでしたが理解して頂けなかったようです。 自分の言いたかった事は、質問者しか正しい良回答は書けないと言う事を言いたかったのです。 それと一緒に、良回答が誰に対しても正しいとは限らないと言う事も書きたかったのです。 自分の考えは、人の気持ちに関係する問題は人それぞれに、正解は違っていると言う事です。 その為、人の考えが間違っているように感じる時は、その人の立場にたって物事を考えるだけの経験が足りない事を現しているだけだと思っています。 >でも、その質問に対して、無知であるにもかかわらず、判断出来ることが分からないのです。 自分は、ここに無知と言う言葉が出てくる事に違和感を覚えてしまい。 自分は、質問者が無知だとは思っていません。 と言うか、このサイトは真理/真実を明らかにするのが目的で存在しているとは思っていません。 このサイトは、困っている人に対しての助け合いの場として存在していると思っています。 そして、ポイントは回答者に対するお礼の気持ちであって、良回答をつけた回答が真実だと言っている訳ではなく、質問者に対して役にたった事を現しているのだと思います。 何が真実か決定する為だとしたら、odd-artさんの質問のように回答者が良回答を付けると言うシステムはおかしいと思います。 でもこのサイトは、困っている人が質問して、手助け出来そうな人が自分のわかる範囲の手助けを行う所だと思っています。 だとしたら、質問者がお礼(良回答)したい人は、質問者自身が一番よくわかっているのではないでしょうか。 そう考えると、質問者が良回答をつける事に問題は無いと思います。
お礼
有り難う御座いました。
補足
なるほど、助言へのお礼ですか。 それならば、皆でしょ。 でも、それで本当に質問の主旨への解決がなされるのでしょうか? 分からない、解決できないからの質問であり、その助言が正しいものかどうかは、分からないんじゃないでしょうか? 分かっているなら、質問すること自体、間違っているのでしょ。
- gould09
- ベストアンサー率33% (196/589)
難しい質問ですね。 自分の理解を書いて見ます。 質問の内容によっては、はっきり正解/不正解が明確に決められるものが有ります。 でも、質問によっては人によって意見が変わる内容の質問も有ります。 これは、質問を行った人や回答を行った人の人生経験や理解度に関係していると思います。 この手の質問で大事なのは、質問を行った人に理解出来る又は、助けになる事が前提になると思います。 どんなに、すばらしい回答でも質問者が、あと10年の人生経験を積まなければ理解出来ない回答だとしたら、例え一般的には正解だと思われることを回答しても、今の質問者には正解ではないと思います。(言い方を変えると、質問者を行った人に対しての助けにならないと言う意味です。) そして、この所が回答する側がとても苦労する所ではないでしょうか?
お礼
有り難う御座いました。
補足
そうなんです。 選択の基準を、自分の知識だけで判断しているのです。 でも、その質問に対して、無知であるにもかかわらず、判断出来ることが分からないのです。
- chihoko
- ベストアンサー率13% (14/106)
●あなたが このサイトの運営に疑問を持つということは あなた視点がこのサイトのそれより高いところにあるということです。 視点を「ある高さ」に設定しないと「なんでもあり」のサイトになってしまい 結局 魅力の無いサイトになってしまう可能性があります。 視点の高さはその企業のセンスそのものでしょう。どれだけ人々の注目を 集めれるかですよね。ここのサイトはわたし的には 刺激不足ですが それなりに使えてはいます。 無知の無知たる所以について・・・。 ●わたしは幼い頃 アリを面白半分で踏み潰していた子でした。 いろいろ知り考えることで そのようなことができなくなりました。 いま アリを面白半分で踏み潰した頃の自分が 嫌か?と問うなら 大好きだと答えるでしょう。わたしが嫌いなのは いけないことと自分で思っているのに そのいけないことを何気なく 行ってしまうことなのです。敢えて無知を定義するなら「分っていることを 何気なく分っていないがごとくに行うこと」です。 分っていないから分っていないままに生きることは普通のことです。 わたしたちは 分らない事だらけで生きているのですから・・・。
お礼
有り難う御座いました。
補足
別段、サイトに疑問を持っているわけではありません。 質問者側の対処が問題なのです。 質問したのは、知らなかったんじゃないか・・・、それなのに、どうして、回答が良しと出来るのでしょうか? それでは、或る程度、回答を知っていて、試しているとしか思えません。 以前、私も、これをやり削除されたことがあります。
- beginnersan
- ベストアンサー率25% (14/56)
以前同じような事を質問しました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=191012 ここは論議する場所ではありません。ここは意見を聞く場です。論議が起こりそうなカテゴリーには、論議を禁止する趣旨が書かれています。禁止事項に触れるのであるから、削除は当然なのです。 私も以前は、論議をして(面白い)、解を出そうとしましたが、見事に削除されました。しかし、ここが論議をする場ではなく、意見を聞く場であると気付き世界観が変わった次第です。これまで、1つの方法論でこだわってきた私としては感激したように思えます。確かに、信頼性という面では危険な部分も多くあります、しかし、そのことに対して十分に理解していれば、ここは素晴らしいサイトです。 ルール・管理人さんには逆らってはいけません。 議論したいのであれば、他のサイトで議論してください。
お礼
早速、有り難う御座いました。
補足
別に論議しなくても、いいんでしょ。 要は、質問者がそのことに対して、無知であるにもかかわらず、反論することも不思議なのですが、良い回答だと選択できることが問題なのです。 「忠言耳に逆らう」 を謙虚に受け止めれるかどうかです。 中には、自分もよくしますが、同意を求めることがあります。知っているというよりも、確認の為です。 しかし、得てして、逆の回答がある場合があり、ちょっと突っ込ませて戴く事もあります。 それで、明確になればいいのでしょうが、結局は、不明のままかもしれません。
お礼
有り難う御座いました。