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美学は崩壊したのか?

ヘーゲルのカント批判を読んでいるのですが、ロマン芸術の時点で「美学」は崩壊してしまったらしいのです。 エゴイズムを最も崇高する芸術の上で、主体と客体の一致はありえないから、という理由らしいです。 つまり芸術は感じるものだという結論? そこであえて質問なのですが、現代には「美学」というものはないのでしょうか? 現代の「美学」というものがあるとすればどのような定義なのでしょうか? 参考になる文庫などありましたら教えてください。

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回答No.1

わたしはヘーゲルは二次文献しか読んだことがないので、はっきりとは言えないのですが、 > エゴイズムを最も崇高する芸術の上で、主体と客体の一致はありえないから、という理由らしいです。 > つまり芸術は感じるものだという結論? > 現代には「美学」というものはないのでしょうか? 一体どこからこういう結論が出てきたのか不思議に思いました。 「芸術は形式から見て外的な直観方式をとり、実体的な内容を多くの自立的な形態へと主観的なかたちで生み出してバラバラにする。宗教は表象のかたちで自分を解体し、かつ、こうして展開したものを媒介する全体性である。この芸術の直観方法が宗教の全体性において、ひとつの全体へと総括されるばかりでなくて、単一の精神的直観へと結合され、次いで自己意識的な思考へと高められるかぎりで、この学問〔哲学〕は芸術と宗教との統一である。したがってこの知は、思考しつつ認識された、芸術および宗教の概念である」(『エンチュクロペディー』 今村仁司・座小田豊編『ヘーゲル』講談社選書メチエからの孫引き) これは絶対精神の形態について述べた部分です。絶対精神のあらわれとして、芸術はなお「感性的」であり、宗教はなお「悟性的」であり、学問としての哲学がこの両者を統一する、と言っている。これは「芸術は感じるもの」ということではありません。 ここらへんに関しては、もう少し文献を読んでいただくとして、ここから回答です。 > 現代には「美学」というものはないのでしょうか? あります。 「現代の美学は衰退するどころか完全な開花状態にある」(ドニ・ユイスマン『美学』文庫クセジュ) ヘーゲル以降、ショーペンハウアー、ニーチェが現れ、さらにそののち、厳密的な学問的手続きをもとに、直感的ではない論証的な言語によって芸術を記述しようとする実証主義美学、あるいは、芸術は直観にもとづいて、思考の仲介なしに事物をとらえるものである、とするベルクソンに代表される観念論的美学(あと、ベルクソンのほかにもクローチェが重要)があらわれ、そうして、芸術作品に付随するアウラの消滅、ということを中心的に据えたベンヤミンに代表されるような批判的美学を経て、現代の美学に到る、とおおまかな流れを概観することができるのではないでしょうか。 > 現代の「美学」というものがあるとすればどのような定義なのでしょうか? 「定義」というかたちで美学を規定しようとすると、「芸術を哲学する学問である」、という以上のことは言えないと思います。 アプローチのしかたも「ポスト構造主義」的なアプローチ、「現象学」的なアプローチ、あるいはまた社会学的なアプローチ、心理学的なアプローチとさまざまです。 それをひとくくりに「定義」づけようと思えば、「芸術の哲学」以上には言いようがないのではないかと思います。 >参考になる文庫などありましたら教えてください。 上でもあげたドニ・ユイスマンの『美学』が、さまざまな流れを非常に要領よくまとめてあるのではないかと思います。

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