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素直さを取り戻したい

生活でも人間関係でもそうですが「こうしたい」「こうしたらいい」と思う逆の事をしてしまいます。行動に素直さが現れません。人にも素直になれません。ある意味、人生の責任逃れをしているような気もします。でも、自分のやりたい事じゃないからしたくないという目の前の物全てに過小評価している自分もいるかもしれません。自分を過小評価する部分が大きい分、過大評価も大きい。このような自分に対する考えを一定にしたいのですが、どうしたら良いでしょうか。何かありましたら、ご回答をお願いいたします。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

◇ 「素直」というのは、実は本質的に楽な精神状態のはずです。(余計なことを何ひとつしなくて良いのですから) ですから、素直になれないのにはそうなるだけの必然的な理由が必ずあります。 もっとも、これは殆んどの人に共通の真理とさえ言って差し支えないと思いますが、確かに程度ということがありますから、そのことでお悩みになる方がいらっしゃるのも自然なことかもしれません。 ただ、先に述べたように本来は素直であることが楽なはずなので、素直にならないほうがもっと楽であるという判断をしなければ、人はなかなか素直さを捨てることはできないのではないかと思います。 では、素直であることによって生じる楽でない事柄とは何かと考えてみます。 素直とはありのままの自分のことですから、素直に行動した結果として現われるものは【まぎれもなく自分本来の責任においてもたらされたもの】に相違ないという厳然たる事実ではないでしょうか。 つまり、素直になれない(あるいは素直にならない)最も大きな理由は自己逃避であると考えるのがごく自然だろうと思われます。 ご自身でも認識されているように「>ある意味、人生の責任逃れをしているような」姿勢の結果と言って良いのではないでしょうか。 ただ、ここは「人生」ではなく「自分」からの逃避と考えたほうが良いでしょう。 なぜ逃避するのかというと、(明白な)結果を見るのが怖い、つまり自らに自信が持てないということになると思います。 ◇ しかし、自信が持てないというのは辛い。 かといって簡単に自信が持てるとも思えないし、第一その気力も湧かない。 いっそ自分が自信を持つ替わりに周囲の状況を過小評価すれば同じことじゃないか、というわけです。 当然のこととして自分を過大評価していることと同義になります。 この偽りの構図に満足できなくなったということなのでしょう。 ベクトルは健全な方向に向かいつつあるわけです。 自信の持ち方は色々あるでしょうが、 基本的には、【捨て身】つまり格好をつけないということです。 本質的には、相対的価値観から脱却して【絶対的個】を目指すということになるでしょう。

vivien5
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 素直になれないというのも素直な事であり、その事を知ることによって、自分の置かれている環境や、目的について考え直すきっかけとなりました。やはり、「自立」した考えのもと、自分が満足出来る道を選んで行くことが人生なんですね。もし、素直になれないなと思ったら、また書いて頂いた事を思い出し、自分の気持ち、また自分の環境を見直して行こうと思います。大変ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.5

素直になれないのは、「素」の自分は「受け入れられない(生きていけない)」・・だから「受 け入れられる(生きていく)」ために、多少窮屈でも「偽り」の自分を創ってしまおう・・ みたいな「見捨てられる不安」「孤独になる恐怖」なんかにも起因しているような気がしま す。確かに他の回答者様も書かれているように、自分を「拒絶される傷」から「守ってい る」・「拒絶される傷」と向き合うことから「逃げている」という感じも受けます。 質問者様が「安心」して「無防備」になれるといいな~と思います。一度、怖くてもちょ っと勇気を出して「素」の自分を誰かに見せてみるといいと思います。いろ~んな人がい ます。例えば過去に「それではいけないよ」と言った人がいたとしても、そうぢゃない人 もいて、「素」の質問者様を「素晴らしいぢゃないか」と言う人もいると思います。いろ~ んな人がいますから。そして「自分は素のままで歓迎されてるぢゃないか」なんて思える ようになったらしめたものです。と淡々と書いてるけど、わりと時間かかると思います。 質問者様がおいくつかは存じ上げませんが、長年にわたって学習された「生き方のクセ」 みたいなものを、少しずつ手放して少しずつ再学習することになると思うので。 素直になる、ということは、自分を尊重する、ということでもあります。 もちろん社会的に求められたときに何らかの役割を演じなければならないこともあります が、「自分を尊重する」ということは生きていく上で最も大切なことではないかと思います。

vivien5
質問者

お礼

ありがとうございます。自分が「安心」して「無防備」になれる人が居るということは生きていく中で本当に大切かもしれません。現在、「素」の自分を出すように努力しています。素のままで歓迎されている自分がいました。「素」を出せないと本人が悩んでいても、相手はちゃんと「素」の私を見てくれていたのですね。そんな風に思いました。『自分を尊重する』の意味をやっと分ったような気がします。ありがとうございました。

  • ozisan
  • ベストアンサー率11% (154/1339)
回答No.3

中島みゆきの「五才の頃」を捧げます。 現在から過去へ、ご自身のアルバムを一枚ずつ記憶を思い起こしながらさかのぼって見てください。 何か思い出す事がある事でしょう。 あなたにも素直だった頃があるはずです。

参考URL:
http://www.h2.dion.ne.jp/~mtmamiri/itutuno.htm
vivien5
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんとなく、涙出そうになりました。 大人になると自分の意見を問われる事がたくさんあります。恋愛するにも自分の気持ちを冷静に伝えなければならなくなります。生きて行くにも考えて進まなければならなくなります。そうしているうちに、自分の素直な気持ちは消されてしまうのです。

回答No.2

おいくつの方か分かりませんが、 スポーツなど、客観的な評価の出てしまうものに取り組んでみたらいかがでしょうか? 失礼ながら、自分自身を冷静に評価したくないために、様々な場面で、限界までやることを避けているように見受けられるのですが。 ご自分でも、 >自分のやりたい事じゃないからしたくないという目の前の物全てに過小評価している自分もいるかもしれません。自分を過小評価する部分が大きい分、過大評価も大きい というように、ある程度気が付いてらっしゃるのでは、と思います。 まずは、何か一生懸命やってみる。今までの人生でやったことのない、なおかつ今の仕事等とは関係のないジャンルのことに挑戦してみたらいかがでしょう。 楽器とか、絵でもいいと思います。ある程度までは努力した結果が得られます。 そこで、一生懸命やってみて、出来ること、出来ないことを冷静に自分で判断し、自己評価をやり直すと、そこから自信も湧いてくるのではないでしょうか。 自分自身に対する見方が変われば、自ずと周りとの関係性も変わると思います。 遠回しなアドバイスですが、的はずれの場合はご容赦を。

vivien5
質問者

お礼

おっしゃる通りです。自分自身の評価を避けているかもしれません。実のところ、現在休養中ではありますが、以前長い間、生活及び仕事に対して漠然と自分の限界までやり通した経緯があります。それからですね、自分らしくなくなってしまったのは。今思えば、目標設定が「漠然」であり、それは「自立」への挑戦でした。「自立」という意味を知らない子供だったのです。ある意味、人生に挑戦し続け、それに満足感を得られずに帰ってきてしまった事に問題があるように思えてきました。無知だった自分が経験により、より多くの事を考えさせられ、経験してきたかもしれません。それに比べたら、今ある全てに過小評価してしまう自分がいるんだと思います。そして、自分を判断する事もされる事も恐れている事に気づかされました。もう一度、ゆっくりと自分が出来る事の再確認して行こうと思います。 現在、まだ手をつけていない通信教育の「習字」が箱の中に眠っています。そちらの方を気晴らしに初めてみようと思います。何か心の動きがあるかもしれません。 真摯なご回答に心打たれました。 ありがとうございました。

  • R48
  • ベストアンサー率24% (683/2741)
回答No.1

お金もかかりますが、リンクした岸さんのお話を聞くと可能になるかもしれません。 私は会社の研修で受けたのですが、思い切り前向きになれました。 内容が多いのでここで簡単に回答できるものではありません。

参考URL:
http://www.h6.dion.ne.jp/~k-coach/index.html
vivien5
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり、コーチングの研修を受けるとその後の人生は変わるのでしょうか。今は遠く離れたところに居るので、研修を受ける事は出来ませんが、岸さんの本など読んでみたいと思います。

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