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古代国家が学んだ律令と坊条制は中国のオリジナル?

古代律令時代における「律令による国家整備」と「坊条制による都作り」は中国から学んだそうです。 では、中国はそれらをどこから学んだのでしょうか? これらは中国のオリジナルでしょうか? それともシルクロードなどを通じてヨーロッパなどから輸入したものでしょうか? よろしくお願いします。

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回答No.3

知られている限り、中国より古くから律令制のように、網羅的に整った統治・法制度を持っていた国はないと思います。中国文明のオリジナルでしょうね。

その他の回答 (4)

回答No.5

京都の坊条制の区画は、分かりやすい 碁盤の目のような、道を作り名前で区画する。 道路に道路名を書く。 中国では国を大きく分けて、九にしたので 九州の会稽の王の、九州の土地と云われた。 日本の九州が古代の耶麻国である。 北部九州等が是。国名 古代日本の土地名が奈良と北部九州が似ているの や九州全体の 呼び名も、ここからきている。 これも坊条制の先駆者がつけたもの。 「律令による国家整備」がここにある。 都のあり方がこのメソポタミア坊条制による。 通称習慣や風習伝統文化とされているもの。 計画的な市街とは坊条制を基本としている。 国の「みやこ」造りが原点である。

回答No.4

古代国家が学んだ律令と坊条制は中国のオリジナル? 中国はそれらをどこから学んだのでしょうか? これを解説する前に 条坊は7世紀 中頃以前であり大和朝廷最古の坊条制都城である藤原京(694年)より古い日本最古 の政庁大宰府に条坊制による街区の存在に見られる http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%BA%9C#.E6.9D.A1.E5.9D.8A.E5.88.B6 都の創設よりも古い最古といえば、 世界で最初に、始まる イラクのチクリス河沿いのメソポタミア文明の都の 神殿を中心とした、街の構成から、紀元前3000年前中国へ、移動した民族によりここに花開きます。 メソポタミアのシュメール人によって、受継がれた 古代中国律令時代における「律令による国家整備」と「坊条制による安邑都作り」が始まり、夏王朝の時代 がここに始まる。 それが起源前111年に終末となり、 111年に倭国入りした、「歴史が魏志倭人伝」に記されているので参考とされたし。 漢の末期漢の武帝により侵略され、更に 倭国へ移った会稽南越王が、日本に始めた国が 邪馬台国なる豊葦原水穂国を安邑という、古都坊条制の原点となった。 それが何時のまにか、中国から学んだになっていた そうです。

参考URL:
http://www9.ocn.ne.jp/~aysk535/index.html
  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.2

律令制は始皇帝が最初でしょう。彼の師匠の韓非子のオリジナルです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

いちどにできたものではなく、いろいろな歴史や他からの影響をつみあげでできたものではありますが、オリジナルといってもいいのではないでしょうか。 少なくともこの時代、中近東やバルカン地方(東ローマ帝国)はともかく、ヨーロッパはまだアジアに比べれば未開の地方でした。

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