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放射状の市街と碁盤目状の市街
ヨーロッパの大都市は、王宮や教会を中心に放射状に市街が形成されていると思います。 一方、中国の北京や唐の時代の長安は、碁盤目状の市街です。 なぜ、ヨーロッパでは放射状に市街をつくったのでしょうか。 なぜ、長安市街は碁盤目状につくったのでしょうか。 漠然とした疑問ですが、両者の間にはどのような考え方の違いがあるのでしょうか。 テレビで観ただけですが、アルジェリアにある古代ローマ遺跡では、街路は碁盤目状になっていました。 よろしくお願いします。
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- eroero1919
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- jkpawapuro
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- kuroneko3
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お礼
いつも詳しく調べてくださってありがとうございます。 >オスマンが放射状の都市をかっこいいと19世紀半ばにかっこいいと考えて、パリで実現し、それをいくつかの都市が真似たから。 私は、この「かっこいい」に拘って、図書館で調べました。 結論を先に言いますと、 このご回答の最初のURL「中世・近世の都市計画」の16ページに「バロックの都市美学 パリの都市軸」がそうです。 都市計画の長い歴史のなかで、美しい都市を考えるなら「バロックの都市」をおいてほかにないといわれている。(市川宏雄著『文化としての都市空間』) ヴェルサイユ宮殿で用いられたデザインの手法が、都市的スケールでパリの都市改造にそのまま用いられたという点で大きな意味をもっている。(同書) ヴェルサイユ宮殿の庭園の平面図を見ますと、確かに、エトワール(円形広場)に8本の道路が放射状に集まっています。 オスマンが、この庭園のデザインを参考にしたのではないか、と推測しています。 なお、エルサレムやバグダードも放射環状型市街ですから、これらの都市は、宗教と何らかの関係があると思っています。 中国・長安の都市計画は、周礼・考工記によるもの(同書)と思います。 多くのヒントを教えてくださってありがとうございました。 お蔭様でここまでたどり着くことができました。