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放射状の市街と碁盤目状の市街
ヨーロッパの大都市は、王宮や教会を中心に放射状に市街が形成されていると思います。 一方、中国の北京や唐の時代の長安は、碁盤目状の市街です。 なぜ、ヨーロッパでは放射状に市街をつくったのでしょうか。 なぜ、長安市街は碁盤目状につくったのでしょうか。 漠然とした疑問ですが、両者の間にはどのような考え方の違いがあるのでしょうか。 テレビで観ただけですが、アルジェリアにある古代ローマ遺跡では、街路は碁盤目状になっていました。 よろしくお願いします。
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http://web.sfc.keio.ac.jp/~hib/toshi/3rd.pdf P5 トリノ の古代から中世への都市変化 古代では 城壁も貧弱で 四角い街で 碁盤目状 その後 城壁が高くなり 防衛のために 星型の出っ張りを出して ギザギザの楕円型になる。 P6 最初から防衛を考えると ギザギザの円形がベスト(理想都市) P8 が実現された理想都市 http://www.h-nisshou.com/palmano.htm 人口は5000人くらいしか住めない で、あれ?と思うでしょうが これは 函館の五稜郭のご先祖になります。 理想都市では放射状に作れるが、だんだんと発展すると トリノのように放射線は作れない。 P18 ウィーンの図 左が 城壁を壊す前 右が 城壁を壊して道路にした http://epoque.egloos.com/3795274 中国 古代帝国では 方形にしている 明代の南京は方形を破棄している 元や明、清の北京は帝都として方形を形作っている。 都市単位で防御を考えると都市は円形(ギザギザ付き)になるが、その必要がないと 方形を作りたがるのは古代ローマも古代中国、近世中国も変わらないようだ。 最初の質問に戻ると 「ヨーロッパでは放射状に市街を作ったのか?」 オスマンが放射状の都市をかっこいいと19世紀半ばにかっこいいと考えて、パリで実現し、それをいくつかの都市が真似たから。 19世紀末ころには、イギリスのハワードが田園都市構想で 放射状のニュータウンを作るべきだと構想し http://yaplog.jp/babyism/archive/84 日本の田園調布などはこの構想を踏まえて新規に作られた http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82
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- eroero1919
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なかなか面白いテーマですね。考えてみると、おっしゃるように古代ローマの都市は整然と区画整理をされています。 個人的な見解ですが、それは「都市計画の有無」にあるのではないかと思います。碁盤の目状の都市というのは都市計画がないと実現しませんね。いってみれば「作られた都市」になるわけです。都市をつくる前から「こうやって作る」となにもないところに計画して作るか、仮に既存の町に作るとしたらそこに住んでいる人に「ここに道路をつくるから立ち退け」といえるような強い権力が必要です。 古代ローマ帝国というのはとにかく並はずれた土木建築技術をもった文明でした。だから、都市計画というのもちゃんとしていたのですね。 ところが、ローマ帝国が崩壊するとヨーロッパはいわゆる「暗黒時代」に突入します。文明は停滞するどころか完全に後退しローマ帝国が築いた様々な技術や文明、文化が失われます。中世ヨーロッパっつーのはとにかく無秩序で、無計画な時代なんですよ。 だから、ローマ帝国崩壊以降に発達した都市というのは城または教会を中心とした発達の仕方をしたので放射状に市街が形成されていったのではないかと思います。 ヨーロッパの都市というのは、都市国家として高い独立性を保っていたという歴史があります。その地域の領主といえども都市に支配権を確立していなかったんですね。ということは、領主による都市計画ということも不可能であったと思います。都市国家は今でいうところの民主制に近い支配体系でしたから、民主主義といえば聞こえがいいけど強力な支配者がいないってことはリーダーシップをもった大規模計画というのも実行不可能であったということだったと思います。 そしてまたそれゆえに、そうとはいっても外敵に襲われるということはあるわけで、そのためには精神的にも中心となる場所は必要となる。その役割が教会となり、教会を中心とした発達の仕方をしたんじゃないでしょうかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 内容の濃い丁寧な回答を多くの方からいただいたのは嬉しいかぎりですが、何しろ西洋史なんて全く知識がないので、その内容を理解するのに一苦労しています。 いま、やっと気付いたことですが、「集落の発生」から「都市の発生論」まで、そしてギリシャ・ローマ時代から3千年の歴史を考えないと、回答のお礼が書けないと言うことです。 >碁盤の目状の都市というのは都市計画がないと実現しませんね。いってみれば「作られた都市」になるわけです。 そうですね。よく解ります。 東洋、西洋に拘わらず、そして、古代から現代に至るまで、普遍的な原則だと思います。 >だから、ローマ帝国崩壊以降に発達した都市というのは城または教会を中心とした発達の仕方をしたので放射状に市街が形成されていったのではないかと思います。 そういうことなんだ、と漸く理解できました。
- jkpawapuro
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中世以降のヨーロッパが丸あるいは星状の都市を築いたのは、砲による攻撃から中心を守るためです。 一方古代中国の時代は火砲はまだありません。 よって丸や星状で長い射程の砲から守る必要がなかったのです。 もちろん古代ローマ時代も火砲はありません。 必要性が無く自然とできた城が碁盤状の四角だったのは、おそらく単純に土地の区画整理状便利で効率的だったのでしょう。 城壁を作る上でも丸のほうが煉瓦が少なく済み効率的なはずだと思うのですが、必要性が薄いとは言え正直なぜ四角なのかはイマイチ謎です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仰るように碁盤目状の市街は、単純に土地の区画整理をするのに便利で効率的だったのでしょう。 古代ローマの時代から現代に至るまで、ほとんどの都市が再開発するときには、碁盤目状に整備されていますから。 すると、なおさら市街を放射状にするのが不思議です。 町の形(円や星状)ついても教えてくださってありがとうございます。
- tanuki4u
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過去にあったのではないかと思ったら大昔にあった http://okwave.jp/qa/q636127.html けどなんだなぁ民族性だのなんだの・・・ 中国とヨーロッパというか中国以外の違いは、中国では圧倒的な帝国が形成されたので「首都段階で城壁を効率的な円形にする必要がなかった」ということです。 中国人は四角いのがかっこいいと考えていたので、四角い都市を作った。 けど 中国人だって 防衛中心に考えれば 円形でつくる http://www.geocities.jp/ninoike2905/er.html 戦争状態が続いた中世欧州では、効率的に都市を守るために、円形の城壁を作りましたので、円形の中に碁盤目状の都市を作ります。 http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou21/kiyou21_02.pdf 古代ローマも中国と同様に都市レベルで都市を守るための城壁の必要性が低いので、四角い都市を作っている。 オスマンが放射状のかっこいいパリを作ったので、マネッコしたが、あれほど大胆にはできなかった。 キャンベラ(アングロサクソン) 1911年からの建設で、オスマンのパリ改造の味わいをふんだんに入れているので放射状です。 ニューデリー(アングロサクソン) 1911年から建設 放射状で作られている ケソン(住民はカソリックのアジア系で支配者はアメリカ) 1939年 市政開始 まだ、放射状が人気あり ブラジリア ラテン系 1960年からの建設で もう 放射状でもないだろうというので放射状ではない オスマン放射状プランは、新都市建設において 20世紀前半までは模倣されたが、20世紀後半になると、自動車交通がメインになったので、設計から外されるようになった。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 自動車交通がメインになって、「ラウンドアバウト」にするしかない放射状道路は採用されなくなった、ということですね。 これは、よく解ります。 そういう意味で今あるラウンドアバウトは貴重な存在ですね。 城壁の形、つまり市街を円く囲うのか、四角あるいは多角形にするのかについても、回答してくださってありがとうございます。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
オスマンが すごかったから。 ナポレオン三世時代に オスマンが 今のパリを作ります。 見映えがいいので みなさんそれを真似ました http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E6%94%B9%E9%80%A0 その前は 円形であっても放射状市街はありません http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/paris/index.html 19世紀のヨーロッパの都市計画では、パリのように大事はできなかったので、同心円状の城壁をなくして 外環道路をつくるというのがメイン。 ウィーンとか ロンドンとかもそうだったかなと
お礼
ご回答ありがとうございます。 オスマンによる「パリ改造」で、凱旋門やバスチーユ広場などにつながる道路が、放射状になったことはよく解りました。 放射状にするというオスマンの発想の根源は何でしょうか。 オスマン自身の「ひらめき」によるものか、モデルにした例があるのか、調べています。
- 畑山 隆志(@deltalon)
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キリスト教の原点は「光」 キリスト教史によれば、古くはインドのゾロアスター教の影響が伝えられている。 つまり世界をあまねく光で照らし、邪悪な闇を打ち消そうという意識を含んだもの。 結果、キリスト教の神が降臨する場所が広場、その広場を中心に神の光が世の中を照らし出すという意味で放射状になった。 碁盤目状に関しては主に方位で考える「易」と「儒教」の影響が考えられるが、時代によってどちらに重きを置いたかは研究してね。 (今の北京は昔モンゴルが儒教的な論理をそのまま使って建設されたといわれている。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は、キリスト教について全く知りませんので、「キリスト教の原点は光」と言われてもなかなか理解できません。 しかし、光なら放射状である、ということはよく解ります。 キリスト教以前の古代ローマでは、碁盤目状の都市計画がなされています。 キリスト教の影響について少し調べてみます。 「易」と「儒教」についても知識はありませんので、なんとかかじってみます。
- kuroneko3
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中世以降のヨーロッパの場合,キリスト教徒の住民はみんな教会のミサに行きますし,教会の前にはたくさんの人が集まる広場が設けられ,商談などもここで行われていたようです。要するに,王宮や教会は住民の誰にとっても重要な町の中心であるため,そこから放射状に市街が形成されていったのではないでしょうか。 これに対し,中国の都市にはそこまで重要な町の中心はなかったので,碁盤目状に道を造り市街を形成していくのが最も効率的と考えられたのではないかと思います。 いずれも,あくまで私の推測でしかありませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 キリスト教の権威が絶対であった頃の都市は、確かに教会を中心にした町づくりが行われたと思います。 放射状であれば、どこからでも平等に教会が見えますね。
お礼
いつも詳しく調べてくださってありがとうございます。 >オスマンが放射状の都市をかっこいいと19世紀半ばにかっこいいと考えて、パリで実現し、それをいくつかの都市が真似たから。 私は、この「かっこいい」に拘って、図書館で調べました。 結論を先に言いますと、 このご回答の最初のURL「中世・近世の都市計画」の16ページに「バロックの都市美学 パリの都市軸」がそうです。 都市計画の長い歴史のなかで、美しい都市を考えるなら「バロックの都市」をおいてほかにないといわれている。(市川宏雄著『文化としての都市空間』) ヴェルサイユ宮殿で用いられたデザインの手法が、都市的スケールでパリの都市改造にそのまま用いられたという点で大きな意味をもっている。(同書) ヴェルサイユ宮殿の庭園の平面図を見ますと、確かに、エトワール(円形広場)に8本の道路が放射状に集まっています。 オスマンが、この庭園のデザインを参考にしたのではないか、と推測しています。 なお、エルサレムやバグダードも放射環状型市街ですから、これらの都市は、宗教と何らかの関係があると思っています。 中国・長安の都市計画は、周礼・考工記によるもの(同書)と思います。 多くのヒントを教えてくださってありがとうございました。 お蔭様でここまでたどり着くことができました。